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第6話 コウノトリからの贈り物 2
【コウノトリからの贈り物 2】
その日も俺はカウンターに座って肘をつきながらいつもの寂れた店内をぼんやり眺めていた。
「働いててもヒマはヒマだな……」
そうそう、慣れるほど無い仕事にはもう慣れたし、"あのガキ"の来訪にもいつの間にやら慣れてきた。
「おはよ!」
「おう、今日も早いな」
「いってきます!」
「おーいってらっしゃい」
ただそれだけを言うために店に顔を見せるあのガキ。シドニーっていうらしい。それから常連といえば、もう1人。
「うーす、しっかり働いてるかー茶太郎」
「お前もあのガキみたいに毎日毎日顔を見せに来んなよ」
「いいじゃねえか、俺は数少ないまともな客だろ?」
警察官のリドル。なんだかんだ……もう出会ってから3年目くらいになんのか?
最初はショットと俺が一緒にいるから興味を持たれてんのかな、と思ってたけど、どうも今ではすっかり俺個人に懐いてるらしい。変な奴。
まあそんなコト言って今では気の知れた茶飲み友達くらいの関係ではあるし、俺も敢えて嫌ってるワケじゃねーけど。
それにしても、ここで働いてることがバレてから毎日足繁く通われてうんざりだ。なんなんだよ。別にショットを捕まえる為に情報を聞き出そうとかしてるわけでもないみたいだけど。
「なあ、今日は何時に終わんの」
「さあな」
「どっか行こうぜー、奢るからよ」
「金には困ってないっつの……」
いっつもこの調子だ。自分で言うけど、こんな仏頂面の俺なんかと飲んで何が楽しいんだか。それより、あんまこいつと仲良くしてたらショットが拗ねるのが面倒だ。
「あ」
そういえば忘れてた。
「なんだ?」
「別にお前に報告しなきゃいけねえことでもねえけどよ、俺とショットさ……」
「言うな!」
「はあ?」
「なんとなくわかったからそれ以上言うな、聞きたくねえ!!」
買ったモンを放り出して走り去ったリドルの背を見送って、置いて行かれたパンを食べた。聞きたく無いか。なんだよ、冷たい奴だな。
「あーあ……」
でも俺らって本当に"恋人関係"なのか?キスならしてるけど……まあ、それだけだしなあ。いや、正直に言えば俺はショットと先に進みたいと思ってるけど。ショットはどう思ってンのか、あんまわかんねぇ。
「う……」
もしあいつが本当に"知らないだけ"なんじゃなく、そもそもの"好きの種類"が俺とは別モノなんだったら、なんて。自分で考えておいて普通に落ち込む。
***
バイトを終えてアパートに帰ると部屋は空っぽだった。ま、ショットが消えるのはよくあることだ。早けりゃ数時間、遅くても3日後には腹が減ったと帰って来る。
俺はいつだってそれを待ってんだよなぁ。あいつも、帰ったら俺がいるのが当たり前だと思ってんじゃねえのか?ずっとそうだ。なんでそんな事気付かずにいたのか。
――よし、たまには俺だって家出してみよう。
それであのバカが少しでも取り乱すといい。俺はそんな思いつきでナイフと財布だけを持ってアパートを出た。
店主がいなくなってすっかり寂れちまったコインランドリーを横目にゴミ山みたいなバラック群を抜け、比較的開けた道へ出る。長らくきちんと舗装されてない道路には所々亀裂が走り、足元を掬われないように気をつけながら歩かなきゃならねえ。
今じゃすっかり慣れた強面のハグレ者と軽くやり取りしながら、とあるバーの上でそこのマスターが経営している貸しアパートの一室に辿りついた。
「おーい」
「なんだよ、家賃は先週払ったろ」
「俺だよ、茶太郎」
名乗ると中からガシャガシャ音がして、すごい顔のリドルが現れた。
「ちゃ、茶太郎!?いきなりなんで?」
「いいから泊めろよ」
ズカズカと部屋に押し入るとリドルは慌てて後ろをついてきた。
「と、泊めろって……ブラッドレイは?」
「知らね。俺がいつでも大人しく家で帰りを待ってるだなんて勘違いさせねーように出てきたんだよ」
あいつが俺のありがたみに気付きやがるまで、世話だってしない。
「なんだそりゃ。てかお前つい今朝……」
「いいんだバカバカしい。やっぱこんなのはやめやめ」
カビ臭いベッドに断りもなく横になるとどっと眠気が襲ってきた。朝早くから働いてっから……。
「なあ茶太郎、何があったんだ?」
「何がもなにも、なんもねえよ、なんもねえから嫌なんだ」
目を閉じてうとうとしながら俺はだんだん愚痴っぽくなってきた。
「俺ばっか求めてるみたいで悔しい……てか、恥ずかしいんだ……。あいつの"好き"は幼稚園児並みだ。今時ガキのオーサーだってセックスくらい知ってる。下手すりゃしてるのかも。……いや、きっとショットだって知ってるけど俺には欲情しねえんだ。そういうことだ」
何を言ってんだ俺は、酒にでも酔ってんのか。そう自分でも思ったけど、口からポロポロそんな言葉がこぼれ落ちて止まらない。
「俺って欲求不満なのかなあ」
「……なあ茶太郎」
リドルの低い声に驚いて目を開けると、思いの|外《ほか》その顔が近くにあって、何か言うより先に頬に触れられた。
「っな……、おま、なに……っ!」
驚いて押し返そうにも、のし掛かられて逃げられない。更に顔を近づけられて慌てて顔を背けた。
「放せ!何するつもりだ、やめろ!!」
「いや……試してみようかなって」
咄嗟に殴ろうと振り上げた腕も簡単に捕まえられちまった。おい、まじで何やってんだよ。悪ふざけにも程がある。遠慮無く全力で腹を蹴り上げるとさすがにリドルは顔を離したけど、拘束する手の力は緩めてくれない。
「そんなイヤがんなよ」
「っは……、はぁっ……!イヤがるに決まってんだろ、何考えてンだよ!もーいいから、離せ……」
動揺したせいで情けなく声が震えてた。触れられてる部分が気持ち悪い。突然すぎてまじで意味わかんねえ。
「俺だったら、そんな思いさせないのにって……急に思ったんだよ」
「はああ!?」
「俺はアイツと違って茶太郎をちゃんと見てる。なあ、欲求不満だって言うなら……」
全身に鳥肌が立った。何言ってんだコイツ。
「そういうコトを言ってんじゃねえよ!お前こそ欲求不満なんだろ、こんな女っ気のないスラムなんかに出入りしてばっかで……っ!!」
俺を女の代わりにすんじゃねえと怒鳴れば「お前が女に見えるか、バカ」と睨まれた。
「じゃあテメェは元からゲイなのかよ……|最初《ハナ》からそういうつもりで俺にまとわりついてたのか!?」
「いや、そういうワケじゃ……」
「だったら単なる対抗意識だ、俺が|お前の獲物《シュート》のトクベツだからそう勘違いしてるだけだろ!お前はただ俺をアイツから奪い取ってやりたいだけだ!!」
「違う!……と思う。多分、無自覚だったけど、俺はお前を……」
落ち着けって怒鳴ってもしつこく迫ってくる。
「やめろ、リドル!これ以上は冗談じゃ済まねえぞ!!」
「冗談じゃない、ずっと思ってた。仏頂面に見せかけて本当は面倒見よくて、めちゃくちゃ優しくて……あんな野郎と一緒にいちゃいけねえ、良いヤツだって」
「まじでやめろ……てめぇ、いい加減に離せ!!」
俺だって男なのに、抵抗すればするほど現役警察官との腕力の差を見せつけられて、リドルがいつも以上にデカく見えた。
「は、離してくれ……っ」
怒りのせいか、怖がってんのか、気付いたら半分泣きそうになってた。クソ、情けねえ。それでもリドルは止まらなくて、俺の両腕を纏めて片手で押さえつけ、もう片方の手で体を触ってくる。
「俺だって分かんねえけど、試してみる価値ぐらい」
「っやめろ、離せ!まじでイヤだって!!」
リドルの腹を蹴ってなんとか抵抗していると、突然ドアの方から派手な破壊音がした。リドルは俺を押さえつけたまま、空いてる手で咄嗟に腰から銃を抜いて構える。
「……ショット」
俺はベッドの上で放心したまま来訪者の名を呟いた。帰ったら俺がいない事なんてなかったから、探しに来たのか?
警察に追われる側の人間のクセにタイミングだけは完全に正義のヒーロー。いや、この野郎まさか見計らってやがったんじゃねえのか?でなきゃなんの思し召し。ああ、神様。
「ちゃたをはなせ」
「嫌だ」
リドルが返事と共に引き金を引き、数発の発砲音の後、静まり帰った部屋に火薬の匂いが漂う。その間も痛いくらいの力で俺の手は押さえつけられたまま。
ショットの頬からうっすら血が流れ出した。その後ろの壁には新しい穴が空いてる。
「まじで今すぐこの手で殺したいくらい気に食わねえ……セオドール・A・ブラッドレイ……」
「……」
リドルはショットを殺さない。それが警官としてのプライドだって前に言ってた。ショットも殺意が無い事がわかってるからか構えないし、銃口から逃げない。でも今回ばっかりはまじで殺すんじゃないかと少し思った。だからショットがそこに立ち続けてるのを見て、正直……ホッとしちまった。
「……ショット」
身じろぐとリドルはようやく腕を離してくれた。肩が外れそうになって痛かったけど、ゆっくり起き上がって近寄ってきたショットの首に抱きつく。
「俺、お前なんか嫌いになろうと思ってたのに。やっぱダメだ。お前が死んだら俺はダメだ」
「よくわかんない」
「もういいよ、お前バカなんだもん」
最悪だ……って不貞腐れてるリドルに詫びを入れて俺は住み慣れた廃アパートに帰ることにした。なんとも短い家出だったな。
***
「……」
なんかもう、うまくいかねえなあ……。あれからもショットとは相変わらずガキの付き合いだし、シドニーはコンビニに顔を出さなくなった。
「茶太郎!」
「なんだよ、暇人。税金泥棒」
「制服は着てるけどもう辞職したっつーの!」
「は?それ制服着てたら怒られるタイプなんじゃねえの」
「うるせえ一般人」
「ああ俺もいよいよ一人くらい殺すか。お前とか」
「その非力さで?」
「うっぜ……」
そんな会話に今日何回目かのため息を付くとリドルがカウンターに凭れて顔を覗き込んできた。
「仕事の邪魔すんな。買うもん買ったら帰れ」
「他に客なんていないだろ」
元気がないなとどさくさに紛れて頭を撫でられそうになったけど、容赦なくその手をはたき落とす。
「あ、客っつったら……客じゃねえけど、いつものガキが来なくなったんだ」
こいつに言ったってどうにもならないけど。そう思いつつ漏らしてみると意外にもリドルは知ったような顔をした。
「ああ」
「……。おい、なんだよ」
「いや、知ってるぜ。シドニーだろ?」
「なんで知ってんだよ」
「ここらで子供なんか珍しいからな。なんかあいつの母親……ジェニーって売春婦。偽名かもだけどさ。ま、それはどうでもいいけど。うまく金持ち捕まえて都会に消えたって」
「シドニーは?」
「さあ」
「おっまえ……それでも元お巡りさんかよ!警察官のプライドとやらはどうした!!」
「うっせーうっせー!こんな街で哀れなガキの一人や二人助けてもキリがねーんだよ!まじで!!」
「シドニー!!」
勢いで店を飛び出そうとしたら腕を掴まれた。
「お前わかってんのか?」
「うるせえ、悟ってアガったご隠居警官の忠告なんざ、ありがた過ぎて鼻血が出る!」
「警察はアガったが俺はアガってねえ!!思い知らせてやろうかコラ!」
「ばーかばーか!不能になっちまえ!!」
日頃の恨みとリドルの腹を思い切り蹴飛ばして俺はシドニーを探しに歓楽街へ駆け出した。もう俺は俺のやりたいようにやってやる。
***
昼間でも閑散として人の少ない大通りや寝静まっている歓楽街……名前を呼びながらスラム中を探し回ると"ゲート"の前でシドニーを見つけた。『拾ってください』って書いたプレートを冗談みたいに背中に背負って、ガレキの欠片を積んで遊んでた。
「はぁ……こんにちは、子犬くん」
「わんわん」
「温かいミルクと柔らかい毛布が欲しいかい」
「そんなのいらないよ、育ててくれる手さえあれば」
俺はシドニーの手を引いてアパートに帰った。よし、つまんねえクソバイトは今日限りでやめることにする。
これから俺は"お父さん"になるんだ。
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