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家族編 第1話 呼んでないよ

 ここは某国とある州。そこにある荒廃したスラム街の更に奥地、"ゲートの外"と呼ばれる法外地区。  1年半くらい前に警察隊が大規模取り締まりと称して、ここに積み上げられたガラクタだらけのバラック群を取り壊し、不法移民やストリートキッズ共や逃げ込んでいる犯罪者たちを片っ端から捕まえて"粛清"を行ったんだが、結局どこを見ても以前のままの姿でこの街は存在してる。  ただ、良い意味でも悪い意味でも"顔見知り"が減った事で、争いに巻き込まれる可能性が減ったのはありがたいコトだ。  俺は|茶太郎《ちゃたろう》・L・|Kanoa《カノア》……かつては山代 茶太郎だったんだが、色々あって戸籍を失い、今はこの名前を名乗ってる。そこに至るまでの話は長くなっちまうから、今はいいだろう。まあ長い人生の中で起きた些細な事だ。  この法外地区で暮らし始めてもうすぐ8年。今目の前でテーブルに突っ伏してだらけている金髪の男とボロアパートを占拠してもうすぐ7年。 「なあ、そろそろ昼メシにするか?」 「……」  これは、そんな愛しの同居人に昼メシを作ってやろうとしていた時のコト。 【呼んでないよ】 ◆本編93『あの人、会話できるんだ』後日 「|Oh,Shoot《うわ、しまった》」  卵を割るのに失敗して、ついそんな声が漏れた。どうもまだ慣れねぇんだよな……"粛清"の時に、俺は左の前腕から先を失っちまったんだ。 「なに」 「あ?」  するとひょこっと同居人がキッチンに顔を出したから何のことかと聞き返す。 「ちゃたよんだ、おれのこと」 「は?呼んでねーよ」 「よんだ」  そして自分の発言を思い返して思わず笑った。 「ああ!っはは、お前を呼んだんじゃない、卵割るのミスっちまってさ」  ぶっちゃけ普段の俺ならもっと口汚いんだけど……昨晩、息子と電話してたから。 「|Shit《クソ》って言ったらシドに怒られンだよ」  シド……シドニーは今、都会の高校に通う為に寮生活をしている俺の息子だ。長期休暇で帰って来た時には同居人は行儀の悪さを叱られて、俺は口の悪さを叱られる。まったく、しっかりした人間に育ってくれて嬉しいモンだぜ。誰に似たんだか。 「なあ、手伝ってくれよ。片手じゃあ不便でさ……」 「ん」  どうも俺に頼られるのが好きらしくて、こんな風にしおらしく頼めばコイツは張り切った顔をしてなんだってやってくれる。 「ありがとな」 「……」  あんまり調子乗って頼りグセがついたらウッカリ人前でも甘えた声で「なあ頼むよ」なんて言っちまいそうな事だけは心配だが。 「おい、いちゃついてるところ悪いが」 「ぎゃあ!!」  言ってるそばから突然クソガキがキッチンに現れて俺は思わず手に持ってたタオルを取り落とした。 「だから勝手に入ってくんなっていつも言ってんだろ!!」 「ソイツが開けたから入って来たんだ」 「お友達が遊びに来た時は俺に言え。な」  同居人にそう言い聞かせるとしばらく考えた後に来訪者をチラリと見て「オーサーきた」と言った。 「ありがとう。もうちょっと早めに頼む」  オーサーと呼ばれた栗毛のクソチビは偉そうにふんぞり返って「ああ来てやったぞ」と返す。だからなんなんだよ。  コイツはもう17になるのに身長は出会った時から相変わらず10歳児並みだが、態度だけはこの世の誰よりも尊大だ。そしてその後ろから長い金髪を二つ結びにした女が顔を出す。 「今日のお昼ごはん、なあに?」 「オムレツ。お前らの分も作れるだけの材料あるよ」  そう答えるとその場の空気がホワッと膨らむような気配がした。 「やったあ!私ちゃたろーのオムレツ大好きだよぉ!」 「出来たら呼べ。シドの部屋で仕事を済ませてくる」  デカい声で大喜びしてるツインテールはリディア。オーサーと二人組で"その日稼ぎ"という名の社会勉強をしながら生活をしてる超怪力の運び屋だ。 「おい俺でさえシドの部屋に掃除の時以外は勝手に入らねぇんだぞ」 「俺には正式に許可してくれてる。お前とは信用度が違うんでな」  思春期の息子の部屋に入られるのを阻止しようとすると嫌味ったらしく微笑みながらメッセージアプリのやり取りを見せつけられた。 『お前の部屋、借りていいか』 『オーサーならいいよ』 『ちなみに茶太郎は』 『ダメ!!』  俺がそれを読み終えるのと同時に「そういうことだ。許可の無い人間は入るなよ」と言って扉を開ける。 「なんなんだよ!」 「さっさと作れ。無駄口を叩くな」 「クソガキ!!」 「クソバカ」  ノートパソコンを抱えてシドニーの部屋に入って行ったオーサーに中指を立ててキッチンへ戻ると同居人が大人しく卵をボウルに割り入れて手際よくかき混ぜてくれていた。その姿に癒されて引き寄せられるように背中に抱きつく。 「はあ、愛してる……」 「ん」  作業に夢中であんま聞こえてないらしい。  ***  スパイスがたくさん入った特性オムレツが出来上がるとニオイで気がついたのか呼ぶまでもなくオーサーが部屋から出てきた。 「仕事は済んだのか?」 「ああ、最低限のチェックだけだからな。俺がいようがいまいが問題なく回るようにしてある」  オーサーは好き好んでこの法外地区で暮らす変人だが、実家が世界規模のそれはそれは大企業で、コイツ自身もゼロから自分の事業を立ち上げて経営しているんだとか。  親の七光りにはなりたくないのと、育ててくれた恩を自らの力で返したいから、らしい。コイツの座右の銘は"借りは返す"なんだが、どう考えても貸した以上に返される。もはや貸してなくても貸したことにして返される。 「リディア、そろそろ食べられるぞ」 「はあい」  俺の寝室でゴロゴロしているリディアを呼びつけると元気よく扉を開けたからバンと派手な音が鳴って|蝶番《ちょうつがい》がブチ壊れちまった。 「大丈夫か」 「んん」  音に敏感な同居人は家の中では常に耳栓をしてるんだが、俺でさえ耳に響くと感じるような爆音だったので慌ててその耳に手を当てる。 「耳痛くないか?」 「へいき」 「そうか」  むずがるように首を振って逃げられたのでパッと離してやった。 「こわしちゃった」 「いいよ、お前もケガしてないか?」 「だいじょーぶ!おなかすいた!」  机に四人分のオムレツを運ぶとリディアもオーサーも大人しく席につく。 「水でいいか?」 「ああ」 「私ジュース!」 「いいよ」  冷蔵庫を開けるとオレンジジュースがあったので、同居人にグラスと一緒に持って行かせた。 「お前もジュースにするか?」 「……」  どうも違うらしい。 「俺と一緒のがいいのな」 「ん」  可愛いやつ。リディアの分のオレンジジュースと、残り三人分の水を机に置いてようやく落ち着いた。 「んじゃ食うか」  食べ始める前にオーサーが何か封筒を取り出して渡してきたので反射的にスプーンを置いて受け取る。 「なんだ?」 「このオムレツの礼と、その扉の修理代だ」 「だからンな事を"借り"にカウントすんなって」  てか、何かしらの親切を施す為に俺にメシを作らせてる気がする。素直じゃねーやつ。ドアが壊れたのは予想外だろうけど。 「なんだこれ……切符?」 「一等級の寝台車のチケットだ。シドは夏休みにまたこっちへ戻ってくるんだろう」 「なんで寝台車?トータル6時間くらいで帰って来れんのに」 「学期ラストの授業を終えたらそのまま帰って来るように言っておけ」 「はは、一刻も早く会いたがりすぎだろ!」 「時は金なり、だ」  そうは言ったモノの、俺だって自慢の息子に一日でも早く会いたいのは事実だ。まだ春だってのに、気の早い贈り物に感謝して素直に受け取った。  ***  リディアとオーサーが帰った後、途端に家が静かになったように感じる。いや、実際に静かになった。 「いてっ」  皿を洗おうと机の上のモンを集めて振り返ると柱で足をぶつけちまった。小さく声を漏らしたつもりだったが、腹が膨れて昼寝しに行ってた同居人が寝室から寝ぼけつつのそのそ出てくる。 「んん……ちゃた……?」 「悪い、大丈夫だよ。ちょっと足ぶつけただけだ」  コイツは心配症だから、俺のため息や「いて」に過剰に反応する。まあ今までにいっぱい心配かけちまったからなんだが……それはお互い様なんだよな、|こんな街《ゲートの外》に暮らしてんだから。 「おれする」 「いいよ、眠いんだろ?」 「する」  問答無用で俺の手から皿を奪ってキッチンへ歩いていく背中を追いかける。 「今日はしてもらってばっかだな」 「……」 「シュート」  そう口にすると同居人はチラリとこっちを見てズブ濡れのままの手を伸ばしてきた。 「おいおい、拭いてからにしろ!こら!」  びちゃびちゃの手で頬を掴まれて、カプッと噛みつかれるようにキスされる。薄く開いたままの右目はただでさえ珍しいグリーンベースにブルーの|異色部《ユニークカラー》が混じった|孔雀眼《ピーコックアイ》で、左目はよく出来ている義眼だ。その瞼の上と頬にはうっすらとケロイド状の傷痕もある。 「ん……、ぅ」  ポタポタと水滴が足元に落ちる。 「シュート、待て」  先に全部片付けてから……と言うものの、先に邪魔したのは俺だしな。 「おい」 「ぎゃああ!!」  背後から話しかけられてまた大声を出しちまった。またオーサーだ。 「ちゃたうるさい」 「勝手に入ってくんな!帰ったんじゃねーのかよ!」 「忘れ物だ。入られたくなければ鍵は閉めておけといつも言っているだろう」 「たとえ鍵が開いてても人の家に勝手に入っちゃいけねーんだぞ?クソガキ」 「ここは|法外地区《ゲートの外》だぞ。俺が強盗じゃなくて良かったな。むしろ感謝しろクソバカ」 「するか!」  ピッと目の前にまた何かの封筒を差し出されて反射的に受け取る。 「今度はなんだよ」 「シドから手紙だ」 「えっ!」  このアパートにはポストが無いし、|法外地区《ゲートの外》には郵便配達なんてサービスもあるわけねーから、スラムに住所を持ってるオーサーがシドニーや高校関係の郵便物を受け取ってくれている。 「ありがとう」 「鍵は閉めておけよ。俺だってお前たちのちちくり合う姿なんぞ好んで見たくは無いんだ」 「どうもすみませんでしたね!」  腹の立つガキが窓から飛び降りたのを見送ってから即刻その窓の鍵と寝室の窓の鍵と玄関扉の鍵を閉めた。窓の下にリディアがいてキャッチさせてるんだろう。  振り返ると同居人……シュートはまた大人しく皿を洗ってくれてた。

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