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第6話

「演習での活躍は聞いている。一人で十人ぶん動くそうだな。そんなに大きな身体でたくさん動いたら、今までの食事は物足りなかったのではないか」  客人は食べきれないほどの料理でもてなすべきで、満腹にさせなければ宮殿の恥だ。色とりどりの料理を前に、ベルカントがあまりにも感動しているので、今まで足りていなかったのではと不安になった。 「この宮殿はたくさん食べさせてくれるから、足りないと感じたことはまだない」  笑顔で満足していたと言われ、ほっと胸を撫で下ろす。 「それはよかった」  帝国式の食事では、同席する者は必ず大皿から料理を分けあう。一通り皿が並んだので食べるよう促すと、ベルカントは小麦粉を練った生地を窯で焼いたエキメッキを手に取り、大きめに一口分ちぎって頬張った。 「俺の評判を聞いたのか? なんと言われていたんだ」  おいしそうに咀嚼してから飲み込んだかと思えば、前のめりになって訊ねてきた。よほど自信があるらしい。 「借りた馬でも自分の手足のように操ると聞いた。あとはベルカントが使えば弓が紙のように軽いものに見えると」  この三日でベルカントは宮殿内の時の人となった。馬に乗せれば誰よりも見事に操り、矢を射れば鉄砲よりも正確に的に当てる。剣を持たせればその強靭な太刀筋で周囲を驚かせ、取っ組み合いでは瞬きをするあいだに三人を伸してしまうという。誇張されているにしても、聞いたことのない評判で、エフタンにも演習の見学を急かされるほどだ。冬の到来を前に貿易が活発化するこの時期は、商人や役人との謁見の予定が過密気味で見学はまだできていないが、宮殿内を少し歩けばベルカントの話題にぶつかるほど注目の的なのである。 「メサティアの戦士はやはり優秀なのだと評判だ」 「そうか。よかった。俺の評判が良ければ、ハイリの役に立つか?」 「……なぜそんなことを?」 「同盟を提案したのはハイリだろう。戦って山を奪うつもりだった重臣もいたはずだ。俺が強いと評判になれば、同盟を選んだハイリは評価されるのではないか」  誰かに聞いたのか、それとも案外鋭いのか。征服論の存在を知っていたとは。  謁見の印象しかり、実際の演習しかり、ベルカントの評判は、征服論を無策に感じさせる威力がある。同盟を唱えたハイリの評価に繋がるのは確かだが、なぜベルカントがそんなことを気にしているのか。 「そうなるとは思うが、なぜベルカントが私の評価を気にするのだ」 「ハイリの役に立ちたいからだ」  気にしてくれるなら、突然夕食の供を言いださないでほしかった。そんな本音が喉元まで出かかったけれど、役に立ちたいと言われて嫌な気分になるわけもない。むしろ、パシャであるハイリは気を遣われるばかりで、腹を割って話せる者もおらず、もとより愛嬌もなくて遠巻きにされているといっても過言ではないから、強引なくらい積極的に話そうとする者は珍しく、新鮮でもある。  しかしなぜ他人の役に立とうとするのか。まさか市場で手助けしたことへの恩返しだろうか。 「そんなに気を遣わなくていい。せっかく旅までして帝都に来たのだから、自分の時間は有意義に使うべきだ」 「俺は楽しいぞ」  愉快な話なんてしていないのに、ベルカントは笑顔で料理を口に運ぶ。 (不思議な男だ)  ベルカントは本当に、ただおいしそうに食事をして部屋へ帰っていった。ハイリについて訊いたりせず、料理の味を褒めて、知らない具材の名前や産地を訊ねるだけ。それで喜ぶなら気楽なものだが、どこか肩透かしをくらったような、妙に物足りない心地にさせられてしまった。 (本当に不思議な男だ)  アルファ性の強い戦士で、あの大柄に似合わない愛嬌。馴れ馴れしさに垣間見える知性。孤高の人といった印象を与えるも、その実は人間関係を築くのが苦手なだけのハイリにとって、これほど相手にするのが難儀な男もいない。  ともあれ、食事をしたのはただの外交活動だ。あとは形式的な昼食が一回と、エフタンの供をして演習の見学にいくくらいで、ベルカントは国へ帰っていく。そう思っていたのだが。 「ハイリ、今夜は魚が食べられるらしいぞ」  翌日の夕方も声をかけられて驚いた。 「献立は侍従が管理しているから知らせてくれなくていい」  謁見の間を出てすぐの中庭で、一人になったところに話しかけられ、まさか待ち伏せかと勘繰ってしまった。しかし、襟が開いた首元から熱気があふれているのがわかって、どこかから走ってきたのだと見当がついた。 「一緒に食べよう。話したいことも色々ある」  手を伸ばせば当たりそうな距離で言われ、なぜか胸のあたりがむずがゆくなり、視線を逸らすと、部下が数人こちらを見ているのと目が合ってしまった。 「どんな内容だ。話す必要があれば時間を設ける」  馴れ合っているなんて思われては困る。執務の一環としてなら会う時間を作ると言ったのに、ベルカントはどこ吹く風だ。 「訓練を見にきてくれ。みんな褒めてくれるし、ハイリが見たら喜ぶと言っている」  見学に誘うだけなら食事の必要はないではないか。言いたいことが増えていくが、ともかく、見学については解決済みだ。 「皇帝陛下が見学をご所望だから、予定を決めたところだ。私もお供する」 「いつだ。明日か?」 「四日後だ」  やっとのことで時間を工面した。そのとおり告げると、ベルカントは一瞬唇を尖らせた。 「ハイリだけでも明日来てくれないか」 「ベルカント」  引き下がらないベルカントを、ハイリは柱廊の陰へと引っ張っていく。 「メサティアではどうか知らないが、帝国では上位階級から下位の者に話しかけるのが通例だ。私は重臣の中で最も高位の立場にある。王子とはいえ異国の者が気軽に話しかける相手ではないのだよ」  二人だけならまだしも、周囲の目がある場所では誰かを贔屓にしているような誤解を招く行動は避けたい。釘を刺しておかねば今後が思いやられるので言えば、ベルカントは意外なほど素直に頷いた。 「わかった。俺にどんな階級があればハイリと自由に話せるんだ」  同盟を結んだ異国の王族貴族には形式的な階級が与えられる。しかし重臣や、ましてやパシャと並ぶ階級ではない。 「せめて大隊長くらいでないと、引き留められても困ってしまう。角が立つのは私ではなく下位の者のほうだ。遠路はるばる同盟を結びにきて、会話のしかたなんかで後ろ指をさされてはいけない。ベルカントのために言っているのだよ」  いくら帝国側から提案した同盟で、ベルカントたち戦士が鬼神のように強くとも、反感を買って困るのはベルカントとメサティアのほうだ。さすがに自重するといった答えが返ってくると思いきや、一秒ほど目を閉じて思考を巡らせたベルカントは驚くことを言う。 「わかった。大隊長以上の階級がもらえるか訊いてみよう」 「訊くって、誰に訊くつもり――」 「なんとかする」  平気だと笑って、ベルカントは走って中庭に出ていってしまった。 「兵の最高位は私だぞ」  呆気にとられながら、小さくなった後ろ姿に呟くほかなかった。  パシャは全官僚、重臣の上に立つ。大隊長以上の将校職を付与するのはパシャの権限なのに、一体どこへ向かうというのか。  ますます不思議な男だ。

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