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第5話

 ベルカントは宮殿内でも上位の客室を与えられ、食事も賓客としての待遇だ。その良し悪しは個人の感想だから置いておいても、五つも年上の、しかも最高位の重臣であるハイリを衒いなく誘うのは少々豪胆も過ぎるのではないだろうか。 「確かに個人で食事を済ませるべきと決まっているわけではない。しかし私のように一人を好む者もいる。訓練で打ち解けた者がいるなら誘ってみてはどうかな」  他をあたれと言ってみたが、ベルカントはまっすぐハイリを見たままだ。 「だからハイリを誘いにきたんだ」  打ち解けてなんていないだろう。そう言ってしまいたかったが、大人げない気がして言えなかった。 「……わかった。だが遅くなるぞ。こう見えても私は忙しいんだ」  察するに、メサティアの民は身分や階級にあまり頓着せず、集団行動を好む。食事も大勢で囲むのが慣習に違いない。知らない国に一人で旅をしてきたうえに、顔見知りもいない広大な宮殿の一室で、一人食事をするのは寂しいのだろう。不憫というほどでもないが、心細さは想像できる。  アルスマン帝国は小国がいくつも合わさってできた多民族社会だ。仮にも皇帝に次ぐ地位にいる自分が、同盟国からの客人が習慣の差に戸惑っているというのに、理解を示せないのは問題だ。面倒に感じている己の本心にそう言い聞かせ、了承する。 「準備が整えば侍従に呼びにいかせる。それまでに他の者と食事をすることになれば、遠慮せずにそちらへ行くといい」 「わかった。待っている」  ハイリが首を縦に振って、ベルカントは満足そうに笑った。外見の印象を裏切ってよく笑う男だ。 「それと」  部屋を出ようとしていたベルカントを引き留めると、何を言われるのか、期待したような顔をされた。ハイリは静かな声で告げる。 「矢の雨作戦の話はしない。ガラチ攻略戦のことが知りたいなら、他をあたってくれ」  十年前の作戦が、この男の興味を惹いた原因だ。しかし自分から話すことはない。あれはハイリにとって功績ではないのだ。 「わかった。俺はハイリを待つ」  ハイリの譲らない姿勢を見ても、ベルカントは残念そうな顔をすることはなく、素直に頷いて部屋を出ていった。  静けさが戻りほっとしたのも束の間、ベルカントと夕食を共にする約束をしたことを思い出した。  何を話せばいいのだろう。ハイリは決して多弁ではないし、一人を好むと言ったのも本当だ。誰かと食事をするとしてもパシャとしての食事会くらいだから、個人的な食事に適した話題なんてわからない。  書簡に対し返事を用意して、今日の執務を終えた。すぐさま侍従に二人分の食事の用意と、ベルカントを呼びにいくよう頼む。話題を探すも何も思いつかず、悩んでいる自分に気づいたハイリは、なぜベルカントのために悩まなければならないのだと自問した。  半ば強引に夕食の供を迫ったのだから、気を遣うべきなのはベルカントのほうだ。そう思い直して、執務室の隣にあるパシャ専用の居間に入り、絨毯の上に敷かれた長い座布団の上に座った。胡坐をかいてしばし待つと、ベルカントがやってきた。 「言ったとおり遅くなっただろう」  本当はもう二、三、書簡に目を通したかったが、待たれていると思うとそんな気になれず、早く切り上げた。しかし、待たせたのは事実なので一応断っておいた。 「食事ができるならいつだっていい」  そう微笑んで、ベルカントはハイリの隣に胡坐をかいた。帝国から西に行けば室内でも靴を履いて生活するという。メサティアの生活も西洋式と聞いていたが、歓迎の品として用意されていた屋内履きを迷うことなく脱いで絨毯に座るところを見ると、床の上の生活に抵抗はないようだ。 「メサティアでは机と椅子を使うと聞いていたのだが」  せっかくだからメサティアの文化について話してみよう。ベルカントも、自分の国のことを話すのに悪い気はしないだろう。 「机も椅子も使うし、寝るのは寝台だ」  西洋式の生活が習慣だったのなら、なおさらこの宮殿での寝食は落ち着かなかっただろう。他文化圏からの来客が多いこの宮殿ではそれぞれ客人に合わせたもてなしをするよう配慮されているものの、最優先されるのは宮殿のしきたりであり帝国の文化だ。  先代、先々代皇帝の時代に次々と領土を失い、国力を立て直す一環として西洋化の波が訪れた。机と椅子、寝台なども取り入れる者が増え、ハイリも執務室には事務机と椅子を置き、寝室には寝台がある。しかし寛ぐのは絨毯の上で、食事も団欒もそうだ。 「それなら、絨毯の上での食事は慣れないのではないか」 「狩りに出かけたら地面に座って食べるし、そこで寝ることも多いから、絨毯があるだけで快適だ」  そう言ったベルカントは、楽しげに笑ってハイリの目をじっと見てくる。どうやら自分に興味を持たれたと思って気を良くしたらしい。  外交活動の一部でしかないのに。内心そう呟くも、頑強な体躯からは想像しがたい素直な笑みが、ベルカント自身に興味を示さないのがまるで意地悪のように感じさせる。  厄介な男に懐かれたものだ。先手を打っておいたからか、十年前について訊いてくる様子はないが、しかし興味を持たれるきっかけだったのがわかっているから話題を広げづらい。  どうしたものか。困っていると、夕食が運ばれてきた。 「宮殿の食事は華やかだな。どれを食べてもうまい」  食台に並べられていく一品一品を興味深そうに見つめるベルカントは、食事をよほど楽しみにしていたようだ。 「これは何というんだ? 俺の国ではコトリと呼ぶ料理に似ている」  ベルカントは、小麦を練って発酵させた生地を薄く伸ばし、チーズや腸詰め肉をのせて焼いたピデを指差した。 「ピデだ。西洋ではピザと呼ばれているとか。このように燻製にした肉や野菜がのっていることが多い」  帝国の食文化は世界で最も多彩で美味だと言われる。長きにわたり東洋、西洋、中東を交易で結んできたため、世界の美食も自然と集まり、それが進化して今の食文化が形成された。宮廷料理のみならず、市場での買い食いですら頬が落ちるほどうまいものがたくさんある。メサティアはほとんどを自給自足で暮らしているから、ベルカントにとってはどれも珍しくておいしいのだろう。 「宮殿の厨房には十の部屋があって、八部屋で料理を作り、残りの二部屋は菓子と薬を任されている。それぞれに料理長がいて、調理係は合計で三百人にのぼる。八つの料理部屋は材料によって別れているから、毎日が腕の見せあいのようなもので、それを何百年も続けてきた結果、私たちは毎日美食を味わえるというわけだ」  せっかくなので、宮殿の驚くべき厨房の様子について話してみると、ベルカントは食台に並んだスープや野菜の肉詰めを見比べながら、本当に光り出しそうなくらい目を輝かせる。 「あの、大きな煙突がいくつもあるのが厨房だろう。前の中庭は良い匂いでいっぱいだ。広そうだとは思っていたが、そんなにたくさんの調理人がいたのか」  確かに厨房の近くにいくと一日中おいしそうな良い匂いがする。ベルカントは遠慮して部屋に閉じこもるような性格ではなさそうだが、やはり宮殿内を散策していたようだ。

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