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第4話
立ち止まったベルカントはエフタンをまっすぐ見てから重臣に視線を移した。並んだ顔をざっと確認していたベルカントは、ハイリに気づくなり、とても良いものを見つけたように笑う。
エフタンに挨拶するよりも先に笑いかけられてしまい、思わず眉を顰めそうになった。ほんの少し手助けをしたくらいで懐いたような笑顔を向けられては居心地が悪い。
同盟を結ぶという重大な目的があるのだから、他の誰でもない、皇帝エフタンに挨拶をすべきだ。向けられた笑顔をわざと無視すると、ベルカントは一瞬つまらなそうな顔をするもエフタンに照準を合わせた。
「なるほど。メサティア一の戦士はやはり、格が違うようだな」
真っ先にハイリに気を取られていたベルカントを、エフタンは面白いものを見たといった表情で迎えた。
「よくぞ参った。メサティアの誇る最強の戦士ベルカント・サリとはそなたのことだな」
「いかにも」
足を肩幅ほどに開き、腰帯に片手を添えたベルカントは、とても自然に胸を張って立っている。国力に歴然とした差があるにもかかわらず、一切の媚を見せない姿勢に、エフタンはますます面白そうな顔をした。
「しばし滞在する予定だろう。皇帝として歓迎する」
皇帝として歓迎するとはすなわち、エフタンが認める賓客ということだ。エフタンはよほどの実績がなければ、どんな客人も特別扱いをしない。ベルカントの物怖じしない態度が随分気に入ったようだ。
「ハイリ、顔見知りだったのか」
エフタンの問いを否定しようとしたとき、ベルカントがはっとしてこちらを見た。
「ハイリ……。ハイリ・カディルか」
ハイリの名に反応したベルカントは、なぜか目を輝かせている。思い当たるとすれば十年前の功績くらいだが、まさか指揮を執ったのが誰かを知っていたとは。
「ハイリを知っているのか」
エフタンの問いに、ベルカントは口角を上げたまま答える。
「俺は強さに自信がある。だが戦略は別だ。矢の雨の軍師には絶対に会いたいと思っていた」
十年前、矢の雨作戦を含むガラチ攻略作戦を立案したことで、二十歳でハイリはパシャの称号を得た。帝国史に残る名案だったことは間違いなく、それゆえエフタンの信頼も厚い。しかしハイリ自身は十年前の功績を誇りに思えないでいる。称賛されるたびに苦い実を噛んだように心地が悪くなり、胸に澱がたまっていく。ベルカントの屈託ない表情は、その明るさに反して膿んだ傷をひっかくようだった。
無表情を貫くハイリとは違った理由で、他の重臣たちも眉を顰めるのを我慢していた。世界最大の帝国の皇帝に対し、ベルカントが遜る様子が微塵もないからだ。しかしエフタンが気にした様子はない。強大な権力を持っても振りかざす人間ではないからだ。むしろ新鮮な空気を吸ったかのようにすっきりした顔をしてハイリに笑んでみせる。
「熱心に好かれたものだな、ハイリ」
「陛下……」
エフタンがいつになく楽しそうなのは構わないが、揶揄われても気の利いた反応はできない。眉間に皺が寄らないよう耐えるハイリに、エフタンはついにははっと声を上げて笑った。
「此度の同盟を嬉しく思うぞ」
エフタンの一言で謁見は終わった。ベルカントが去り際にもう一度ハイリに笑いかけたものだから、ベルカントが去ったあともエフタンはご機嫌だった。
「面白い奴だ。同盟は名案だったぞハイリ」
「おそれいります」
ベルカントのせいで揶揄われるのは癪だが、エフタンが同盟の意義と手ごたえを感じているなら僥倖だ。
「メサティアの戦士は、調印が済めば訓練に参加するのだろう。見にいこうではないか」
今回の滞在で、ベルカントは北方と対峙する場合に備え、帝国軍の訓練に参加することになっている。最強の戦士の腕前がどんなものか、兵士のあいだでは期待のこもった噂が行き交っているという。見学に誘われ、溜め息まじりに頷けば、エフタンに「そんなに嫌ってやるな」と言われてしまった。
「嫌ってなどいません」
ただ苦手なだけだ。アルファ性は本人の意思にかかわらず周囲を巻き込んでしまうから。
その日のうちに調印がなされた。式はなく、最年長の重臣が皇帝の代理人として調印するにとどまった。食糧の輸送予定や、定期的な連絡などの説明は部下が行うことになっている。いくらエフタンがベルカントを気に入ったとはいえ、広大な帝国を統べる者には一人だけを構う時間がない。ハイリも、そんなエフタンを支えるパシャとして、毎日忙しく働いている。その合間を縫っての、訓練の見学の予定を立てているころだった。
「ハイリ。今夜の食事は一緒に食べよう」
調印から三日後、夕方に執務室に来たと思えば、ベルカントはまるで近所の馴染みの者を誘うように夕食の供を求めてきた。
「一人分の食事を部屋に持ってこられるから、この宮殿では一人で食べるのが決まりだと思っていたが、訊けば誰と一緒でもよくて食堂もあるというではないか。一人で食べるなんて息が詰まる。ハイリ、一緒に食べよう」
あまりにも親しげなせいで、呆然と瞬きをするしかなかった。読んでいた書簡を手に静止したハイリに、ベルカントはにこにこと笑いかける。
大柄で猛々しい容姿に見合わない明るい笑顔は、子供のころにエフタンが軽食に誘ってくれたのを思い出させる。だが懐かしい気持ちにはなれなくて、驚きと呆れが混じった溜め息が漏れた。
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