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第3話
アルファ性はしばしば精鋭の性としてもてはやされる。支配階級に属し、歴史に名を残すのはアルファが多いとされているからだ。国や地域によってはアルファ性でないと王や族長になれない場合もあるという。ハイリにとって一番身近なアルファは皇帝エフタンだが、その血筋や権力にかかわらず、人を惹きつける魅力がエフタンにはある。その否応なく人の関心をひく性質が、臣下としては厄介だったりもする。
目の前でエフタンに謁見している大商人がまさにそうだ。皇帝の権力のみならず、その存在感に魅了され、不必要なまでにエフタンに取り入ろうとしている。
あり余る権力を差し引いてもエフタンは魅力的な男だ。容姿も整っていて頭もきれる。本人曰く、何世代にもわたってハレム一の美女が皇帝の世継ぎを産んできたのだから、見目が良くなるのは当然の結果なのだそうだ。ハレムとは皇帝の世継ぎをもうけるにふさわしい女性が集められ、高度な教育が与えられ、皇帝の子息が育つ場所である。洗練された女性が代々の皇帝の目にとまってきたのは確かにそうなのだろうが、エフタンは多妻が認められるなか一人と婚姻を結び、子供も伴侶とのあいだにだけもうけている。
そんな信条を知ってか知らずか、大商人は娘をエフタンのハレムに献上したいと言いだした。
「我の番は一人だけだ」
一蹴されて、大商人は慌てていた。しかしエフタンは同じような申し出に慣れているので、約束の献上品だけ置いて帰るよう促し、謁見は終わった。
「ジュラと番になってもう十年も経つのに、いまだにハレムで妾を囲う話をされるとは。そろそろ心外だぞ」
大人が四、五人並んで座れる幅の玉座についているエフタンは、兄弟同然に育ったハイリを見て拗ねたような顔をする。
「東の国々では後宮があって当然、西へ行けば信じがたい制度だそうですから。どちらにしてもハレムの印象が強く残るのでしょう」
番のジュラを皇后に迎えたのに、エフタンがハレムを解体しないのは、教育機関としての役割と、子育ての環境を維持するためだ。しかしハレムが存在する以上、妾候補にと女性を勧められてしまうのはやむを得ないのかもしれない。
「次の謁見はメサティアの王子です。ハレムの話はしないでしょう」
機嫌を直せと言外に添えれば、エフタンは首を左右に倒してから姿勢を正し、扉のほうへと視線を向けた。ハイリの隣に並んでいる他の重臣たちも同じ方向を見るが、皆一様に興味と警戒心の混ざった表情を浮かべている。アルファ性の最強の戦士は一体どんな男なのか。メサティアはあまり外交活動をしないため、たまたま市場で見かけたハイリ以外は誰もベルカントを見たことがないのだ。
昨日の印象は正直、あまり良くなかった。身だしなみに派手さは求めていないが、せめて手入れをして謁見に来てほしい。市場でのベルカントを思い出すと内心祈らずにはいられなくなった。
(あまり良い予感がしないな)
外見も印象作りには重要だが、もっと大事なのは態度だ。あの、何事にも動じないといった態度が吉と出るか凶と出るか。ハイリにも予測がつかない。
対メサティアの方策としては、実は征服論のほうが優勢だった。即位から間もなく領土を広げたエフタンには、さらに領土を広げ以前の帝国の威光を取り戻すという期待を抱いている者が多い。食糧難によってメサティアが弱体化している今こそ、絶好の機会だと息巻く重臣が幾人もいた。
しかしハイリは同盟論を貫いた。最も若い重臣で、最高位のパシャの称号を持つ自分を鬱陶しく感じている者も少なくないなかで、消極的ともとれる方策を提案したのはハイリなりの理由がある。最終的な決断はエフタンが下したが、ベルカントが与える印象によっては、同盟はやはり弱腰すぎたと批判の的になるだろう。
扉が開くと、重臣たちはたちまち品定めをするように目元を細めた。しかし、入ってきたベルカントの姿を確かめた途端、静かに息を呑んだ。
切りっぱなしの髪を束ね、きれいに顔を剃ったベルカントは、メサティアの正装を纏って堂々とした足取りで謁見の間の中央へと歩いてくる。昨日の小汚い印象が嘘だったかのような変身ぶりだ。二十五歳になったばかりの、若くて艶のある肌と血色の良さが精悍な顔立ちを際立てていて、中着の立て襟に覆われた首元は隠れているのが勿体ないほど逞しい。体型に沿ったベルベット地の上着は腰の部分が細まっていて、胸の厚さと引き締まった腰を強調するかのようだ。膝丈の裾の下は革の長靴がほどよい光沢を放っている。長い手足は質量を感じさせるのに、身のこなしが機敏なベルカントは、不敗の王国メサティアの難攻不落の歴史を物語っていた。
ベルカントの圧倒的な存在感は、同盟を提案したハイリの慎重さと、それを採用したエフタンの先見の明を証明するかのようだ。現に、征服論を唱えていた者たちが一様に口元を力ませている。語られずともアルファ性とわかる迫力にすっかり気圧されているのだ。
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