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第2話
旅人は黙っているが、どこか面白そうにしているのが深い目元からわかる。灰色がかった薄茶色の印象的な瞳がじっと見つめてくるのを感じながらも、ハイリは旅人が犯人ではないであろう理由を説明する。
「彼はナツメヤシの実の価値がどれほどなのかも知らないはずだ。それが食べ物か薬かも」
旅人が着崩している衣服は、標高の高い山脈地域のものだ。現に男は、冬支度を急ぎたい気温なのに毛皮の上着を脱いで肩にかけている。ナツメヤシは絶対に育たない、寒い高山地域で育ったから、ハイリや部下が毛皮のついた帽子を被っている低い気温においても、寒さを感じていないのだ。
「……すまなかった」
店番は旅人に詫びたけれど、不服そうだ。どうやら商品が盗まれたのは本当らしい。
「盗人のことは保安兵に伝えておく」
部下が言うと、店番は屋台の裏に下がった。
「俺が盗人でないとどうしてわかったんだ」
旅人の男は、顎先の無精髭を撫でながら訊ねてきた。物怖じするとはどんな感覚かも知らないといった男の態度が少々鼻につくも、ハイリは答える。
「背負っているその弓矢は、精巧なものだが使い込まれていて眺めるための美術品には見えない。盗人が狙うとも思えないし、盗品だったとしても背負って歩く前に売り物にしていただろう。それにその衣服、コフカス山脈の国のもののはずだ。首元に入った赤い線は、優秀な戦士の証しだろう」
戦いや狩りに使われる武器のほとんどが銃であるこの時代に、自前の弓矢を担いで放浪する盗人なんているはずがない。なにより、特徴的な立て襟の中着に、腰から下が広がった膝丈の上着と革の長靴、そして毛皮の上着を肩にかけた男の素性に、ハイリは察しがついている。
「盗む必要などないようにしか見えなかった」
多彩な市場においても珍しい衣服を言い当てられ、男は宝でも見つけたように破顔した。
「さすがは帝都。頭のきれる美丈夫がいるものだ」
素直な賛辞であるのは、男の屈託ない笑みからわかった。頑強な見目からは想像しがたい、明るい笑顔は、愛嬌すら感じさせる。しかし雄々しさに欠ける己の容姿を気にしているハイリは、その無邪気さに苛立ちを禁じ得なかった。
「半端な身なりはあらぬ疑いを招く。今後は盗人に間違われないように気をつけるといい」
まだ話したそうな男を遮るように、ハイリはそれだけ言って踵を返した。
「パシャ、あの者は……」
慌てて追いかけてきた部下が、ちらりと男を振り返る。
「ああ。メサティアの王子だろう」
コフカス山脈の高山域に多数の集落を抱えるメサティアは、複数の大国に囲まれながらもどの国にも下らず、一度たりとも侵略を許さなかった屈強な小国だ。厳しい環境を生き抜くために男子は皆戦士として育ち、最も尊敬を集める者が王となる。さっきの旅人は、三代連続で王を輩出した一家の長子で、メサティアが誇る最高の戦士、ベルカント・サリに違いない。
「案内しなくてもよいのですか」
「宮殿は見えているのだから迷うわけもあるまい」
孤高の小国メサティアは長きにわたり中立を保ってきたが、アルスマン帝国と同盟を結ぶことになった。ベルカントはその調印のため、国を代表して帝都エスタンベルまでやってきたのだ。
「従者も連れずにやってきたのでしょうか」
「王子とはいえ、旅の世話に割く人員がいないのかもしれない。それに、最強の戦士に帯同する自信のある護衛もそういないのではないか」
メサティアのある山脈地域は、ここ数年、連続して豪雪に見舞われ、食糧難に陥った。人が食べる農作物はおろか、家畜に与える飼料も足りなくなり、狩れる獲物も深すぎる雪によって激減してしまったのである。どれほど誇り高く強靭な戦士でも、食わねば生きていけない。不敗の王国も食糧難には打ち勝てず、食糧支援を条件に、アルスマン帝国と同盟を結ぶことになった。山脈の北側には凍土が多く占める大国があり、必要に迫られればメサティアが帝国の盾になって戦う。約束をすることで、メサティアに食糧が届き、民は飢えから解放される。要は食糧で傭兵を雇うということだ。実際には、今は北からの圧力は特に感じておらず、メサティアの協力は当面必要ない。しかし、難攻不落のメサティアが帝国についたとなれば、それだけで牽制の効果が期待できるので、食糧支援は妥当な出資ということだ。
「あの体格なら、揉め事には関わらずに済むでしょうか」
盗人扱いをされていたのが意外なくらいだ。部下が言うのに、ハイリは活気に満ちた市場を見渡しながら答える。
「メサティアの王子も随分肝が据わった様子だったが、あの店番もなかなか勇敢だったな」
「私が店番だったら、盗まれてもあの大柄に詰め寄る勇気はありません」
部下が冗談口調で言ったのに笑って返したけれど、頭の隅に小さなひっかかりを感じている。
「どうかなさいましたか」
「いや、予想以上に温かい日だと思っただけだ」
他愛ないことで誤魔化せば、部下は「視察日和でしたね」とにこやかに答える。気の利く部下に微笑んでみせたものの、どうしてもあのメサティアの王子のことがちらつく。
(だからアルファ性は苦手なのだ)
屈強な戦士の国メサティアの誇る、一番の戦士ベルカント。帝国まで噂が届くほどの戦士としての才と、それを裏づけるような恵まれた体躯、そしてゆるぎない自信と誇りを抱いた気宇はまさに、稀少な精鋭の性、アルファの男だった。
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