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1章 【22:57】

午後の執務も終わり、諸々の実務も片付けてようやく自由な時間を手に入れることが出来た。俺の一日は全てルーカスを中心に回っている。朝起きてから夜眠るまで。ルーカスが眠っている間だけ俺は自由に過ごすことが出来る。 とはいえ、他の親衛隊たちがそうであるように、俺は夜の時間を使って外に出ようとは思わない。飲み屋に行ったところでベータである俺は声をかけられることもない。客の中には有能で地位のある、そして優れた存在であるアルファと関係を作りたいやつもいる。 例えオメガのように番になれなくとも、ベータにとってアルファというのは憧れの存在ということは変わらない。あわよくば、という女性(稀に男性も)いる。 それに、このご時世ワクチンを打っていないオメガはいない。昔のように「間違い」が起きないよう、オメガが自衛出来るようになったのだ。 「それなのにまだ運命の番を信じるなんて……馬鹿げている」 小さなランタンの下で小さな日記帳を開く。実家の書庫にひっそりと置かれていたこの日記帳は、随分と昔に書かれたようだ。ここから少し離れたところにある港町に住んでいたアルファによって書かれている。 随分と分厚いものだから全て読むには時間がかかるだろう。 「地主だったアルファがいきなり花屋だなんて、そりゃ何も分からないだろうな」 「花屋? ザック、花屋でも開くのか」 「うわあっ!?」 背後からいきなり声をかけられて、素っ頓狂な声を出してしまった。なんてこった、親衛隊である俺がこんなにも簡単に背後を取られてしまうなんて! まだ心臓がバクバク鳴っている。 「る、ルーカス、なんでここに……!」 「んー、暇だったから。それより! 何読んでんだよ」 さっき俺が着せた部屋着が視界の端で揺れていた。たっぷりの香油で体を解してやり、柔らかくて着心地のいい寝間着を着せてやったはずなのに。 どうしてこいつはさっさと寝てくれないんだ。 * 「手帳だ。誰のかは知らないが、俺の実家にあったものと聞いている」 「ふぅん」 「かなりの量があるからまだ全然読めていないが……って、あっ……!」 「あ?」 しまった。いきなりのことに驚いて、つい昔のように話してしまっていた。しかも眼鏡も外したままだし。 くそっ、それもこれも、ルーカスが好き勝手するからだ。 「も、申し訳ありません、殿下……」 「ちっ、気づいたか。もう少しいけると思ったのに」 どうせこれが魂胆だったのだろう。昔からこうだ。特にルーカスが正式に王位を継承した直後くらい。俺が現実を突きつけられ、様々なことに見切りをつけ、そして割り切ろうとした時。 最初に決めたのが、ルーカスと「適切な」距離を置くことだった。その度にルーカスは俺の隙をついて名前を呼ばせようとした。あれからもう十二年も経っているのに、まだ諦めていないのか。 「今更取り繕っても遅いぜ! ばっちり聞いたからな!」 「はぁ……何がしたいんだ、お前は」 「ふふん。まあ、暇だったからさ。散歩だよ散歩」 そうやって一人でフラフラ歩かれるとこっちが大変だから、わざわざ毎晩俺が寝かしつけていることを分かっているのか? 分かったうえでやってるのか? 「それにしても、手帳ねぇ……どんな内容なんだ?」 「取り留めもないことだよ。貧しいオメガと結婚した金持ちのアルファの話だ」 「……政略結婚か」 「おそらくな」 今でこそ法律で政略結婚は禁止されている。しかし昔は暗黙の了解として平然と行われていた。自分の家が繁栄するため、もしくはアルファと番になるために。 好きでもない相手と結婚することはよくある話だった。仮に自分の子供がオメガだった場合、運命の番であるアルファと結婚することになる。そこに愛情がなくても、そうすることが定められていた。 「とはいっても、オメガは相対的に人口が少ない。アルファと番にならなければ自身の身を危険に晒すことにもなる。生き延びるための術だったんだろう」 「運命の番……か。オレもアルファだけど、本当にあるのかな」 「さあな。俺は運命を信じない。そう言ったはずだ」 これ以上ルーカスと話していると、部屋を抜け出していることがバレてしまう。ここらが限界か。そろそろ部屋に返そう。 それに、運命の話はしたくない。考えたくもない。そんなものがあるから俺は希望を鎖されたのだから。 「もう帰って寝ろ。俺も寝るから」 「うん。おやすみ、ザック」 「おやすみ、ルーカス」 俺の部屋から、ルーカスの寝室へと繋がる秘密の通路が閉じられる。いつ作られたものかは知らないが、こんなものがあるからルーカスが好き勝手俺の部屋に入ってくるんだ。 分かっているのに封鎖しない俺も、大概どうかしている。 「……寝るか」 ぱたんと手帳を閉じる。眼鏡の隣に並べて置いて、ランタンを消そうと手を伸ばす。 薄い硝子に映るルビー色の眼が、眠たそうに瞬いた。
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