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第1話 暗闇は彼らの世界
※差別表現、残酷な表現があります
小さな島の小さな森、今にも壊れそうな急拵えの小屋の中、武装した男たちは焦燥した顔つきでそれぞれ頭を悩ませていた。
いくらかの沈黙の後、1人の精悍な若者が、額を組んだ手に押し付けたまま怒りを堪えた声でぽつりと漏らす。
「じゃあ……どうするんです、兵を全て見殺しにするのですか」
それを口火にもう1人の若い兵が立ち上がった。
「アラタ少尉の言う通りです!こんな話し合いはもう無意味だ!ユリノ中尉、今すぐに撤退を!」
バッ、と見つめられた穏やかそうな男は机の上で組んだ手を見つめながらガクリと肩を落とす。
「……無理だ。できない」
「中尉っ!」
「やめろイクサ」
「ですが!」
「イクサ!!」
「失礼します!」
その時、慌てた様子で1人の兵が飛び込んできた。右腕を地面と平行に指先まで伸ばし、引き寄せて左肩の前でグッと握りしめる。それが彼らの敬礼だった。
「良い、どうした?」
「はっ!化け猫どもが東より伝達を持って来ました」
そのまま兵士はそう報告し、指示を待つ。
「それは本当か!」
安心したような声色でユリノはそう言って深く椅子に座り込んだ。横でアラタは慌てて机に広げられた地図を見下ろす。
「イクサ、そいつらの隊長を連れて来い」
「はい」
草木の生い茂る密林の中、月明かりすら見えない暗闇で小隊は息を潜め朝を待っていた。
「ヨイ、ヨイ」
「イクサか?どうなった、撤退は」
見張りをしていたヨイと呼ばれる大男は期待を隠せない声で尋ねた。
「状況が変わった、第五部隊だ」
だがその言葉にすぐ険しい顔をする。
「化け猫どもが?」
「こら、もう到着してるらしい。大きな声で言うなよ」
「おっと」
イクサはそれを咎めて辺りを見回した。だが小さな灯り一つではろくに何も見えない。
「おーい、この辺りにいるのか?」
この暗闇では足元さえ|覚束《おぼつか》ない。少し歩けばすぐに木の根に躓き転びそうになる。イクサは慎重にゆっくり歩きながら小さく声を掛けた。
「おーい……」
「わざわざ来なくても、呼べば俺たちから行きますよって」
「わっ!」
そんなイクサの真後ろに現れた小柄な少年は、軽い口調で「お呼びですか」と笑った。
「ああ、どうも……君たちの隊長は?」
「いるよ、そこに」
指さされた方向にイクサが灯りを近付けると、白い髪を黒い帽子と、更にフードで隠した男が気配もなく立っていた。
「ど……どうも」
「ども」
男はフードを深く被り、イクサと目を合わせもしない。
「中尉がお呼びです」
「はいよ」
歩き出した2人の後ろから少年がついて来る。
「てつ隊長…」
「お前さんはここで待ってな」
隊長はそう言って口元で笑うと再び歩いて行った。
アラタは第五部隊の隊長を見て驚いたようだった。明かりの元で見ると彼はまだ若く、とても一小隊を率いているようには見えない。
「君が……第五部隊長?」
「ええ、てつって名前です」
笑う口元にもしわ一つない。
「アラタだ。あんた、いくつなんです」
「25さ、これでもね」
年波もいかぬ子供に見える。アラタはそう言いかけたがやめた。だがその意見は言われ慣れたものなのか、てつは苦笑して冗談まじりに敬礼して見せる。
「で、アラタ殿。俺たちは何をすればいい?今着いたばかりなんで本当は休憩が欲しいところですがね」
てつの問いにアラタはすぐ地図を見下ろすと眉を寄せた。
「悪いがすぐ出動してもらう。今晩の内に退路を稼ぎたい」
「撤退かい」
「ああ、このままだと…全滅だ」
すると沈黙していたユリノが異を唱えた。
「だめだ、撤退は許されない」
「中尉!しかし…」
「ここで撤退してどうなる、我が国は……」
ここは、世界の端にある小さな田舎の島国だ。そして敵は突然海の向こうからやってきた。南北に長いこの国の南の端、そこに浮かぶ小さな島へ。
そこに送り込まれた防衛部隊の兵士はおよそ一万と五千ほど。だが奮闘虚しくあっという間に敵勢力に押され、半数は撤退、残された兵士たちの現在の生き残りは400余り。
それも各個小隊バラバラになり、この第三部隊は密林に追い込まれ、どこに敵がいるのかわからない状況で兵士たちは疲弊しきっていた。
アラタはこのまま密林を抜け内陸へ撤退をと言うが、ユリノが聞き入れない。彼が言うには「ここで我々が食い止めるのだ」と。
「中尉、はっきり申しますともう私の部隊に戦えるものはおりません!半数は怪我人、皆々疲弊しきり、士気も落ち……」
「だが撤退してどうなると言うんだ、その先にも敵軍は回り込んでいるかもしれん」
「ですから、この化け猫どもを……っ、失礼」
実は第三部隊は四方とも敵に囲まれ、もはや既に退路すら絶たれたと同然だった。だがそこに現れたのがこの第五部隊。
「で、俺たちはどうしたらいいんですかい?早くしてくれねえと動けなくなりますぜ」
彼らは「化け猫」と呼ばれる特殊部隊だった。
「東に向かおう。第七部隊と合流するんだ」
「ですが中尉、西を破ればすぐ密林を抜け本隊と合流……」
「森からは出ない方がいいと思うな」
アラタの言葉にてつは軽い口調でそう呟いた。
「まあ、ただの勘だけど」
「くそっ……ケモノめ」
東へと走り去った第五部隊の足音がすっかり聞こえなくなってからアラタは悪態をついた。
「隊長、指示を」
兵士の言葉に頷き、振り返るとアラタは灯りを頭上に掲げる。
「第三部隊!変わらず朝まで交代で休憩だ、化け猫どもが道を開く。明日の朝東へ向かい第七部隊と合流する」
兵士たちは敬礼して再び持ち場へ戻った。
第五部隊が「化け猫ども」と侮蔑の視線を向けられるのは、彼らの特殊性ゆえであった。この島で時折生まれる"ヤモク"と呼ばれる亜人で編成されている彼らは、まるで猫のように夜目が利き、鼻が利き、耳が利く。
耳は進化していて大きく、その目は闇の中でわずかな光を反射させギラギラと不気味に輝くのだ。
そして彼らは日に極端に弱く、日光に触れているとたちまち衰弱死してしまう。それでなくとも寿命が短く、30まで生きられるものはいなかった。
人々はこの長い歴史の上で彼らを忌み嫌い、差別して生きてきた。その意識は戦争で同じ味方として戦っていても失われず、結果彼らは都合の良い時だけ夜襲に利用される存在となっていた。
足音も少なく駆け抜ける第五部隊の兵たち。手に銃火器はなく、隊長であるてつは大振りのナイフを腰に潜ませ、あるものは斧を、あるものは短剣を。そのどれもがボロボロで、相当古い。
彼らは新しい武具など与えられず、布を纏い、敵から奪った刃物を手に戦わされているのだ。東に向かうには敵軍と衝突する。伝達を持ちここに向かう途中にキャンプを見た。
そう言ったてつに下された命令は百人余りいるその小隊の殲滅。
「危ない時に現れたからって途端に手のひらを返してさ、しかも結局こういう役目。やな奴ら」
「作戦が成功したら厄介払いさ」
「こら、にゃーにゃー無駄口叩いてると舌噛むぞー」
「はーい」
ヤモクの部隊は敵にとって脅威だった。昼間の捜索や戦闘では全く姿を見ず、夜になるとどこからか現れて夜襲をかけてくる。
明かりの一つさえ持っていない彼らの動きは全く掴めず、暗闇に慌てる兵士たちはさぞ殺しやすいだろう。
「やっぱり火を起こしてる」
「もうバレてんだよ、俺らのこと」
「でも火さえ消したら簡単に勝てるね、奴らの目が暗闇に慣れるまでにカタがつくよ」
木の影に隠れてヤモクたちは話し合っていた。その様子をてつはぼんやりと眺める。結局どうしたって夜は彼らの世界だった。あの程度の灯りなど関係ない。
「とりあえず突っ込もうぜ、まあ勝てるって」
「はーい隊長」
ゆるい指揮で隊員たちは動き出す。敵のキャンプの間近まで迫り、まるで本当のネコ科の猛獣のように草に身を伏せ目を光らせた。
「合図したら一気に飛びかかれ。いち、お前はあの火を消すんだ」
いち、と呼ばれた青年が耳をヒクつかせる。特攻から外される事に対して文句あり気に鼻を鳴らしたが、反論はしなかった。
「行くぜ、せー……のっ!!」
気の抜ける合図で飛び出した隊員たちは奇襲に慌てる敵の兵士を次々と切り倒して行く。こちらが少数だと知り、ようやく体制を整えた敵が攻撃に転じようとした瞬間、いちが火を消した。
辺りは暗闇に包まれ、敵は味方へ当てることを恐れて攻撃できなくなる。
「タイミングいいぜ、いち!」
「ふん」
恥ずかしそうにしながらいちはナイフを逆手に構えて駆け出した。後は暗闇で動けない敵をただ殲滅するだけだ。
日が昇るまでに彼らはどこかへ身を隠さなければならない。それがもしも平原なら遮光テントを張るか穴を掘るしかないのだが、密林には天然の洞窟がいくつもある。
「よーし、ここらに身を隠そう。全員いるな?」
「番号ー!いーちっ」
「にーっ」
「さーんっ」
「しーっ」
くだらない事を言いながら子供の遠足のように列になって歩く隊員たち。てつも笑いながら参加していた。
彼らはたった15人の隊だ。この戦争で第五部隊からは3人の死者が出た。だが"それだけ"だ。彼らは強かった。
他の隊のものは彼らを蔑み、同時に恐れた。その少人数の通った跡には、夜の闇が晴れると同時に百数の死体が朝日に晒されるからだ。
「戻ったか、てつ」
「任務は完了したぜ、丁度いい洞窟があったからそこで皆を休ませてくれ」
「わかった。我々の部隊は明日の朝出発し東へ向かう。君たちも夜になると追いついてくるといい」
「ついでに追手の片付けもしてやるよ、じゃあおやすみ」
てつはそれだけ言うとボロボロの司令室を出た。
もうすぐ日が昇り始める。
ロード中
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