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第2話 袋のネズミ

 悪い予感がしていた。だが進むしかない。アラタは26人の兵を従えながら東へ向かった。  どこへ向かうのが正解か、誰にもわからなかった。連絡手段はとうに絶たれて久しい。 「……やはり、一度撤退しませんか、中尉」 「撤退は不可能だ、少尉」  ユリノは前を見たまま答える。その言葉にアラタはギクリとした。 「な……」 「第七部隊と合流だ」  それ以上2人に会話はなく、ザクザクと木の葉を踏みしめる音だけが辺りに響いた。 「いち、寝てるか?」 「起きてる」  てつといちは息を潜めて起き上がり、静かな洞窟の入り口を見つめた。 「敵だ」 「捜索部隊だ、60人もいないよ」  すると他の隊員たちが一斉に跳ね起き、武器を手に取った。 「しっ」  てつが|宥《なだ》めて座らせると隊員たちは大人しくその場に座り、しかし落ち着かない様子でそわそわする。 「ここまで来ると思うか」 「僕らのこと探してるの?」 「いや、それならもっと大勢で来るさ」  てつは急いで全員を洞窟の一番奥まで連れて行った。 「隠れる場所が無いな」 「戦っちゃダメなの?」 「いいか、たく。あれは捜索部隊だ、交戦すれば情報を伝えに引き返して行く。俺たちは追えない。そして俺たちがここにいるとバレたら……袋の鼠ってわけさ」  たくと呼ばれた少年は理解したのかしていないのか、ふぅーん、と生返事をしてまた入り口の方を見た。 「何人か入ってきたね」 「ここまで来なきゃいいけど」 「来たらどうするの?」  隠れて、見つかったら音を立てずに殺す。てつはそう言って笑った。 「いち、ついて来い」 「うん」  いちはまだ16歳の少年兵だった。青く輝く瞳に、日に焼けていない真っ黒の髪、真っ白の肌、その色の対比は美しく、日の下で見ると誰もが見惚れることだろう。  だがそれは叶わない。  それに今はボロボロの布を纏い、血や泥であちこち汚れ、その美しさは見る影も無い。ヤモク部隊は基本的に若い兵が多いが、特にこのいちとたく、それからもう1人ことという少年が16歳で、後は22.3ばかりだ。  そんないちは隊の中で一番足が速く、てつも一目置いている。ヤモクは基本的に夜間、伝達として走らされることが多かった。  だからいちはよく命令を受け、夜の戦場を駆け回ってきた。その中でひしひしと感じたのは"全く人間扱いされていない"ということだった。  てつと共に歩いて行くと敵の掲げる灯りが見えた。 「まだまだ日は落ちない、いま見つかると厄介だな」  じりじりと下がりながら2人は打つ手を考えた。兵は引き返しそうにない。 「てつ、やるしかない」 「だが待て。なるべく奥まで引き寄せろ」 「夜まで籠城戦になる」 「ああ、わかってる」  猫どもはどうしてるかな。イクサが呟いた。 「なんだって?」  振り返ったヨイは疲れた顔をしている。ヨイだけではない、全員がそうだ。 「いや、どうしてるかなぁって」 「どっかの洞窟ででも寝てるんだろ。なんだ、気掛かりか?」  別に。そう返しつつイクサは背後を気に掛ける。あの若い部隊が心配だった。 「第七部隊だ!交戦中だぞ!」  前からワァッとそんな声が聞こえて、続けて遠くから爆発音が鳴り響いた。 「アラタ隊長!」 「……っ!!」  アラタは何も言えなくなった。戦力の差は歴然としている。相手は大隊で騎馬隊さえ率いているのに対し、こちらは歩兵が数十人。  ――援護に向かう、全員抜刀……。いや、降伏だ、白旗を…ちがう、身を隠せ…。  ……ちがうだろ。 「……っ仲間を見殺しにするつもりか!!全員戦闘態勢!!」  腹の底からアラタは叫んだ。ユリノと並んで戦火の中へ飛び込んで行く。混乱と、恐怖と、絶望と、興奮。アラタの視界はグラグラと揺れていた。  そして続けてヨイが雄叫びを上げて駆け出した。隊員たちはそれにつられてわあわあと走り出す。  だがイクサだけは動けなかった。 「あ……ひっ、い、いやだ、いやだ行きたくない!死にたくない!!」  腰が抜けてその場にへたり込み、地を這うようにして逃げ出す。情けなくて泣きじゃくっていた。 「ユ……、ユリノ、中尉……」  大量の人間の死体の中、アラタは生きていた。ズルズルと這ってユリノの隣にやってくる。 「まだ、ご存命にありますか」 「ああ……」  足を失くしたユリノは何もかも諦めたような顔で空を見上げたまま、小さく返事をした。 「この島に残っているのは、我らだけなのですか」  アラタもバタリと仰向けに倒れて空を見上げる。嫌に晴れていた。 「本隊は、とっくに俺たちを見捨てて、本土へ引き返していたのですね……」 「……そう、だ」 「何故、トオノ中尉は降伏しなかったのですか」  アラタは視線だけを動かして第七部隊を率いていたトオノの死体を見つめる。彼は胸を貫かれて絶命していた。なんて無意味な死なのだろうか。 「何故……」  ユリノの返事はない。やがてこの場で息をしているのはアラタだけになった。  捜索部隊はいちたちのいる場所まで入ってこなかった。何やら表が騒がしくなり、慌てて引き返して行ったのだ。  結局そのまま日は沈み、彼らが自由に動けるようになる。 「何があったのかな」 「別の場所で戦闘にでもなったんだろう」 「第三部隊か、第七か、両方か……」  ヤモクたちは木々の間を駆け抜けて行く。昼間はよく晴れていたのか、太陽の香りがした。ことが嬉しそうに呟く。 「僕らのクニは、綺麗だね」 「こんな時に馬鹿かこと。いいから走れよ」  たくに怒られながらも、ことはキョロキョロと忙しなかった。そして何かを見つけ出し、立ち止まる。 「あれっ、ねえ」  視線の先にいたのはイクサだった。 「ねえ、君、昨日第三部隊にいたよね!」  それに反応して全員立ち止まる。 「どうした、他の隊員は」  てつがイクサを起こして尋ねると、イクサはガタガタと震えながら泣き出した。 「見捨てて……逃げてきました」  その言葉にいちが毛を逆立てる。 「いち」  てつが視線で窘めてまたイクサに尋ねた。 「交戦したのか、どっちだ」 「すぐそこ、もう少し先……」  てつはイクサを他の隊員に支えさせ、再び進み出す。鼻や耳に集中して歩いた。 「こっちだ」  戦場はひどい有り様だった。敵も味方も無く、ただ沢山のニンゲンが死んでいる。 「生きているのがいる」  咽せ返る血の匂いの中、いちは耳に神経を集中させながら死体の海を見渡した。 「捜索しつつ使える武器やら物資やら頂いていこう」  てつの合図で隊員は散らばった。皆は刃こぼれしていない剣を探して回る。  いちは目を閉じて更に耳を澄ませた。どこかから僅かな呼吸が聞こえてくる。 「……あんた、生きてる」 「もう、放っておいてくれ」  目を閉じたままアラタはため息交じりにそう漏らした。 「辛いの」 「ああ」  いちはアラタの隣に立って、その涙が止まるのを待った。
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