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第14話 何のための戦いだと言うのか
「駄目だ!」
朝日が差し始めた隊のテントの中、アラタが大声を上げた。いちが遮光マントを羽織って戦場に立つことを断固拒否しているのだ。
「少尉さんが何と言おうと関係ないね」
「関係ある!隊長命令だぞ!」
それに少佐だ。と付け足す。いちは深くフードを被りテントから飛び出した。
「こら、待ちなさい!」
すかさずアラタが確保するが、なお暴れて行こうとする。兵士たちはどっちの味方もできずにただただ見守っているだけだ。
「わかった、わかった、じゃあとりあえず敵の情報が入るまでは日陰で大人しくしてろ」
不貞腐れるいちをテントに押し込めてマントを奪い、アラタは指揮を取りにテントから出た。
「ハルドめ、余計なもん持たせやがって…」
「隊長!南南東より敵軍が近づいています、中隊規模です」
「距離は」
「あと3刻ほどかと」
アラタはテントを見やり、静かに離れると兵士たちに指示を出し、縦列にて進撃した。接近とともに横へ広がり、防衛戦を張るつもりだった。
敵との接触まであと半刻と少しになったころ、こちらの応戦準備が整った。
「いちは置いてきてよかったのですか?」
「寝てるから大丈夫だろ。昨日一日走ってきたんだからな」
一応護衛に数人の兵も置いてきた。護衛というよりは、無理をしてテントから出て行くのを阻止する役目のために。
「敵の様子はわかるか?」
「今だ縦列のまま接近してきます」
「……おかしいな」
まさか一点突破するつもりか。アラタは慌てて兵士を呼び戻した。だがすっかり広がっていた兵士たちに命令が行き届き、陣を組み直すにはもう時間がない。
見えてきた敵軍は情報とは違い師団規模で、軽くこちらの10倍はいた。兵士たちは思わず戦意を失い、完全に絶望する。
「なんだ、あれは」
「少佐!これは……」
「大した大群だな」
少し考えた後、アラタは穏やかに言った。
「大尉、白旗は持っているか?」
「はっ」
ここにきてあの大群を見せつけられ、無謀にも戦おうなどとはアラタは思わなかった。兵士達を無駄死にさせて何になる。
「全軍、武器を置け、降伏だ」
白旗を掲げて兵たちに向かいアラタは言った。兵士たちも微妙な顔つきでそれに従う。正直、ほっとした者が大半だろう。
……しかし敵軍は止まらなかった。
第三中隊の兵達を捕縛し、何事か相談した後にまた武器を構えて進み出したのだ。アラタはギクリとした。この先にはいちがいる。
『少し変わったケモノのような人間がいるはずだ。捕まえてこい』
自軍の兵達は聞き取れなかったようだが、アラタにははっきりと聞こえた。そしてすぐに小隊規模の騎兵が北に向かい走り出す。
「……っ!」
アラタが思わず縄を振りほどいて走り出すと敵軍の兵士がその背に向かって何か叫んだ。だが止まる気など無い。
「隊長!」
それどころか何人か他の兵士もついて来た。アラタの剣幕に状況を察したのだろうか。
「お前たち……馬を奪え!奴らの後を追う!!」
アラタは銃を向けられているにも関わらずそう叫び、腰に差していた短剣で近くにいた騎兵から馬を奪った。それはあまりに一瞬の出来事で、周りが事実を理解するのに数秒かかったほどだ。
パンッと銃声がしてアラタの頬を銃弾が霞めた。それに驚いた馬が勢いよく走り出す。いくつか銃声が響いたが、どれもアラタを捉えることは出来なかった。
後を追おうとした者が何人か撃たれて捕まったが、20人ほどの兵がアラタに従いついて来た。残された兵はそのまま連れて行かれ、更に小隊ほどの騎兵がアラタたちを追う。
それらは歩いて二刻ほどの距離を半刻足らずで駆け戻っていった。
「隊長!見えてきました!十一時の方向です!」
前の方に敵の騎兵が見える。キョロキョロといちのことを探しているようだった。
「先に行ってください!」
1人の兵がそっちに道を外れて走り出すと、更に5人が後に続いた。
「待っ……!」
「大丈夫ですから!」
アラタはその行動に言いようの無い感情でいっぱいになり、何も言えないまま先を目指した。後ろからも追っ手が迫っている。あの兵士達は全てわかった上で囮になることを選んだのだ。
いちのいるテントまでもうすぐだった。
「追っ手は!」
「……っ近いです!」
アラタは馬をきちんと止めもせずに飛び降りるとそのままの勢いでテントに飛び込んだ。いちは物音で気付いていたらしく、落ち着かない様子で待っていた。
飛び込んで来たアラタに駆け寄って何事かと捲し立てる。
「少尉さん!どういうこと……」
「うるさい!」
バッと乱暴に遮光マントを羽織らせてアラタはいちを担ぎ上げると馬に乗せた。
「口は閉じてろ、舌を噛むぞ」
「なに……うわっ!!」
勢い良く走り出した馬に驚いていちは手綱にしがみついた。兵達も後についてくる。
「追いつかれます。武装の軽い敵軍の方が速い」
1人の兵がそう言い、事実小隊はあっという間に囲まれてしまった。
「少尉さん、俺……俺、行くよ!!」
状況を把握したいちがそう言った瞬間、アラタは大声で叫んだ。
「いちを守れ!!」
「なにっ、やめ」
オーッと雄叫びを上げて兵達が相手の騎兵に突撃していった。丸腰の彼らには体当たりくらいしかできることがない。だが対する相手は全員銃を持っている。
「だめだ!降伏してくれ、俺っ、俺行くから!逃げて!!」
「いち!」
アラタは暴れるいちを押さえつけ、兵達が開けてくれた敵の隙間から飛び出し、一度も振り返らずに馬を走らせた。そして、いちはアラタの腕の間から殺されていく仲間を見ていた。
馬から落とされて血を流しながらも、いちを追おうとする騎兵の足にしがみつく。
「やめろ!!逃げて!!いやだあぁぁっ!!」
無情に頭を打ち抜かれて地面に落とされる兵士たち。伸ばした腕がマントから出て、皮膚が焼かれるように痛んだ。
『追え!!』
敵の騎兵を従えている者がいちを槍で示して叫ぶ。その馬の足下にはいちを守ろうとした兵の死体が転がっていた。
「いち、暴れるな!!」
「こんなの嫌だ、戻って、俺逃げたくない!」
錯乱したいちが手綱を乱暴に引き寄せて、馬が一瞬バランスを崩したその瞬間、アラタの脇腹に銃弾が当たった。
「う、ぐっ……!」
いちの目が驚愕に見開かれて、アラタを映す。
一瞬時が止まったようだった。
「あ、ら……た」
――ああ、1番傷つけたくなかった人の足を引っ張ってしまった。
――俺を守ろうとしてくれた人たちの気持ちを無視した挙句……。
――どうしよう、アラタが。俺のせいで。
「……っ、大丈夫だから、じっとしてろ」
硬直したいちを支え直して、アラタはそのまま馬を走らせた。
元々鎧を纏わず、武装の軽かったアラタ一人なら、騎兵を撒くことは存外に容易であった。日が落ちて辺りがすっかり暗くなる頃には追っ手もいなくなり、海岸にある本隊まであと少しになった。
「……ふ、う……」
「アラタッ」
だがアラタの体力はもう限界で、受け身も取れないまま、とうとう馬から落ちてしまった。いちも慌てて馬から飛び降りアラタの様子を伺う。
ぐったりしているその顔には血の気が無く、いちは泣きそうな気持ちで声をかけた。
「ごめん、ごめん、なさい……」
「まだ……生きてるって……」
ほとんど吐息のような声で答えてアラタは場違いに笑った。
「痛い?」
「すげぇ痛い」
抑えている右手から溢れるように、じわじわと血が流れ出てくる。打ち込まれた銃弾は体内に残っているようだった。
うつ伏せで地面に倒れていたアラタを転がして仰向けにさせる。「いてて」と笑ってから、アラタはゆっくりと瞬きをして呟いた。
「俺は……ジオル島で、死に損なったんだ。ようやくその時が、来ただけだ」
穏やかにそう言って疲れたように目を閉じる。いちはその顔を覗き込んで聞いた。
「眠るの」
「ああ、少し……休ませてくれ」
それを聞いていちは立ち上がり、馬の手綱を外すと背を軽く叩いて走らせた。自由にすればいいと思った。どこへでも行けばいい。
そうしてアラタの横に座り込む。
「……俺、ここにいる」
「夜が明けるまでには、本隊に帰れ」
アラタはもうほとんど目も見えず、掠れ掠れにそう言う。いちは瞼を乱暴に擦って吐き捨てるように返した。
「嫌だ」
「おい、最後の命令くらい聞いてくれよ」
おかしそうに笑ってアラタはふらふらと左手を伸ばす。いちは思わずその手を取って自分の頬に当てた。
指先が冷たい。氷のような冷たさだった。
「ジオル島で死に損なったのは俺の方だ。俺だけが生き残った。みんな殺されたのに、俺だけが……」
「いち」
アラタは血の付いた右手を上げていちの腕を掴んだ。ぬるっとした嫌な感触が肌につく。
「あと半刻だけ、ここにいていい」
その後は本隊に戻って、あとは好きにしろ。そうしていちの手を握ったまま降ろし、左手で頬を撫でる。
「……ばか、こんなことで泣くな」
「怒ってるんだ。身勝手、馬鹿はあんただ。隊長失格だ」
「そうだな」
アラタがまた笑い、一瞬沈黙が降りて、妙な音が聞こえ出した。
「ん……なんだ、お前か?」
「そう」
アラタはもう閉じかけていた重い瞼をなんとか持ち上げる。寄り添ういちが猫のように喉を鳴らしていた。
「こうすると怪我が早く治るんだ、きっとすぐに良くなる」
すごいな、と笑って今度こそアラタは黙り込んだ。もう息をするのも辛かった。
いちもそれ以上話しはせず、ただ黙ってアラタの胸に耳を当てていた。鼓動と、呼吸の音を聞いていた。
「いち……俺、いま……幸せだ」
「ばか」
辺りにはいちが喉を鳴らす音だけが静かに響いていた。
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