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第7話

「このバカッ! どうしてあんなタイミングで声をかけたりしたんだ。ボードは気を抜けば死につながることだってある。いいか、何度も言うようだがな、メットをつけていたって首の骨を折るときは折るんだよ」 「………だから、まさか聞こえるなんて思ってもいなくて……」 「はっ、蓮見にとってお前がどれだけの存在なのかをわかってねぇってか。いい気なもんだな、お坊ちゃんは。これでこいつが死んだりしたら、どう責任とるつもりだったんだ。俺はな、そんなつもりでお前に大会のことを知らせたわけじゃねーぞ」 「そんなこと、分かってます! だいたい、何なんですかあなたは。何の権利があって蓮見さんのこと呼び捨てにしてるんだ」 「ははーん、羨ましいか。蓮見はなー、お前のより俺のほうがデカイって喜んでたぜ。冷たい彼氏にほっとかれて、欲求不満っぽかったからなー」 「な………ッッッ!! 貴様、この人になにをした!!」 「いい加減になさい!! ここは病院ですよ。そしてここに寝ているのも手術が終わったばかりの怪我人です。騒ぐなら出て行きなさいッッッ!!!!」 「………………………………」 「………………………………」 「…………………はい、すみません……」 「………………こえー看護師……」  んー、うるさい夢だなぁ………。天国ってこんなに賑やかなのか……?  ぼんやり目を開けると、最初に飛び込んできたのは白衣に包まれた知らない女性だった。 「あら、気がつかれましたか、蓮見さん」 「………あれ……………? こ、こ………」  どうやらベッドに寝かされているようだか、彼女の服だけじゃなくて、シーツも壁もみんな白い。雪みたいに真っ白……… 「ここは救急病院です。……なにがあったか、覚えてますか? ………って、キャッ!!」  笑顔の彼女を押しのけて俺の上にガバッと身を乗り出してきたのは、栗色の髪を真ん中わけにした、きれいなツラの男だった。 「蓮見先輩、蓮見先輩……ッッ!!」 「日野……?」  じゃあ、やっぱりギャラリーのなかに見た笑顔は幻じゃなかったのか。涙で顔をぐしゃぐしゃにして、情けねーったらまぁ………。 「よかった………。意識が戻らなかったらどうしようかと………」  なんで、こいつがここにいるんだろう。  ええと、俺は確か大会で ――― 「そうだ、大会ッッ!!」  ガバッと起き上がったとたん、左腕にものすごい激痛が走った。 「無茶すんな。複雑骨折だとよ。その他は、まぁ打ち身や打撲程度で済んでいる。頭を打っていたから一応検査したが、今のところは何の異常もなしだ。……まったく、信じらんねーくらい運のいい奴だよ、お前は」 「向井」 「蓮見。こんなに中途半端な終わり方で、全部あきらめるつもりか?」 「え………」  すぐに、ボードのことだけじゃなくて日野のことも言っているのだとわかった。 「まぁ、俺たちは席を外すからごゆっくりどうぞ。ほれ、行くぞねーちゃん」 「キャア、何するのよ、放しなさいッッ。いやぁ、どこ触ってるのよ、痴漢ーッッ!!」 「痴漢ってあんたなぁ………。俺は女には興味ねぇって」  バタン。  個室に日野と二人っきりになると、なんだか気まずい沈黙が流れた。 「あの……すみませんでした、先輩。僕のせいで、こんな怪我までさせてしまって」 「んー? うん……いや、気にすんなよ。これは自己責任だ。……はは、ざまぁねーな。最後の大会にこんな失敗するなんて」  でも、本当にざまーねーのは、日野がまた俺と喋ってくれていることに、心配してくれていることに、こんなにも胸が締め付けられるってことだ。  なんだ、俺……こんなに女々しい男だったか? 「最後の大会って、先輩、ボードやめちゃうんですか!?」  だって、お前がいなきゃ意味がない。 「うん。俺さー、インストラクターもやめて、田舎に帰ろうかと思ってんだ」 「そんな、どうして! じゃあ、僕たちの結婚式にも来てくれないってことですか」 「………………ッ」  お前、残酷だよ、日野。こんな時にまで、あの女の話かよ。  俺は涙がにじむのを見られたくなくて、右手で顔を覆った。 声が、震えないよう。暗くならないように。 「ああ、三月だっけ? わりーな、まぁ祝電くらいは打ってやるからさ。しっかし、どこでひっかけたんだー?あの子。顔はなかなか可愛い……」  精一杯、努力したつもりだったのに。  日野の白くて綺麗な手が、俺の手をひっぺがし、強引に唇を重ねてくるもんだから、ゆるゆるになっていた涙腺は崩壊した。 「……ひ、……の……?…」 「あなたは、嘘つきだ」  ビクリ、と体が震えた。 「どうして、あなたは……そう………」 「日野、離せ」  でないと、きっと俺は理性まで崩れ落てしまう。 嫌だ、そんなに抱きしめるな。 「僕は、あなたが好きです」 「………な……、うそ、つくんじゃねーよっ」 「嘘じゃない。言ったはずです、僕はあなたを手放すつもりはないと。だから、あなたが『結婚』にこだわっているのなら、結婚しようかと思いました。どっちにしろすぐ離婚するつもりでしたが。結婚式くらいには出てやるって、そう言うから盛大に式だってあげることにした。なのに、現実はどうだ?いつの間にかあなたはあんな野蛮男と一緒になってるし、ボードもやめるし、挙句の果てには田舎へ帰ると言う」 「だって、お前あれから一度も会いに……」 「そんなの、あなたの顔を見たら自制がきかなくなるからに決まってるでしょう。どうしてこう鈍いんでしょうね、この人は」 「……………………」  なんでこう、こいつは意地悪なんだろう。  両目の端からボロボロと流れ落ちる涙を、優しい唇がすくい取ってくれる。日野が触れていく場所が、全部熱くて ―――――― 「こんな可愛いひねくれ者を、誰が手放したりしますか」 「………日野」 「寂しかった?」  うんうん、と俺は馬鹿みたいに何度も頷いた。 「言っときますけどね、僕は大いに傷ついたんですよ。最愛のあなたに、あんな冷たい言葉を投げかけられて」 「ごめん、日野……ッ。結婚、しないで」  まぁ、こんなに可愛いあなたを見られたんだから良しとしますか、と微笑んで、日野は何度もついばむようなキスを繰り返した。 「僕のことが、好き?」 「うん」 「ずっと一緒にいてくれますか?」 「…お前が離さなきゃな」 「じゃあ、一つだけ条件があります」  え!?  ふわふわな幸せを満喫していた俺は、思わず固まって日野の顔を見上げた。 「僕は、あなたが楽しそうに滑る姿が好きです。だからボードをやめないで下さい」 「日野………」 「あなたは自分で思っている以上に、ボードが好きなはずだ」 「その通りだ、蓮見ィィーッ!!」  俺が口を開こうとした瞬間、病室の扉が勢いよく開かれ、ぜいぜいと鬼のような表情をした向井が現れた。 「おーし、ヨリが戻ったみてーだな。ということは、蓮見がボードをやめる理由なんてないはずだ。まだ二十六だろ?お前はその気にさえなれば、まだまだ伸びる」  …………おい向井、その言い方は年上に向かってどうなんだ。  自然に、くすくす笑いが漏れてしまう。  ――― うん。 「うん………やめないよ、俺は」  日野が笑ってくれる限り。 「こらーッ、いい加減にしなさい、このクマ男!病院の中を走るなって、何度言ったらわかるんですかッッ!!」 「うわっ、あの鬼看護師、まだ追いかけてきやがる!俺様を匿え、蓮見」 「ちょっと! あんた、俺の蓮見先輩になんて口きくんだ。……って、先輩の胸を触るんじゃない!ああああー、頬にキスなんかしてんじゃないーっ! 殺されたいのかっっっ」  向井はめげずに俺の頬に唇を落としながら、俺にしか聞こえない小声で囁いた。 「良かったじゃん。愛されてんなー?」  ………うん。  うん。  まだ涙が止まらない。  ねぇ、兄貴。  あんたもこんな気持ちだったのか?  だったら悪くないかもな ――― こんなのも。    生まれて二十六年、初めてそんなことを思った。  <end>
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