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言い訳

 日付が変わろうとする暮夜に、二人分の靴音だけが響いている。  なぜ苦労して避けてきた相手と、こうして今、二人っきりで歩いてるのか。  積もる話などない。それに話なら晃平の店で済ませればよかったんだ。  那生は肩を並べて歩く横顔を一瞥した後、足元に視線を落とした。  闇間でも自分の靴が二重に見えてしまうから、やっぱり多少は酔っているんだろう。 「那生、お前ずっと俺を避けてただろ。電話かけても出ねーし」  幹線道路沿いでも深夜に車の行き来は少なく、神宮の声がピンっと張り詰めて聞こえてきた。 「さ、避けてなんか……」  半月のささやかな光りを背に神宮が歩みを止めると、那生も反射的に止まってしまった。濁った返事をしてしまったのは、後ろめたさからだ。  同窓会に参加しても、神宮と二人っきりになることは考えてもなかったけれど、万が一スマホの話題になったときに伝える言い訳を頭に浮かべた。   「何で電話出なかった」  再び問われた声は、深海の底を想像させる静かな声だった。 「……スマホ水没して……データ全部とんだんだ。だから分からない番号には出なかった……。悪かったよ、電話してくれてたなんて思わなかったからさ……」  この話は一応真実だった。途中までは。  ズボンのポケットに入れたまま洗濯してしまったのも事実だし、データが全部消えたのも嘘ではない。でも、晃平や友弥、大学の友人や知り合いなどの連絡先はバックアップを取ってあった。もちろん、神宮のも。だから一件のデータ以外をスマホに移した。  何度も神宮の連絡先を消そうかと考えた。  番号が手元にあれば、電話をしてしまうかもしれない。メールを送ってしまうかもしれない。だから水没はいい機会だと思った。  なのに……自分で言ってても、どこか言い訳がましく聞こえる。なぜこんなに、追い込まれた犯人のような心境になっているんだろう。 「ふーん。俺の番号覚えてないんだ」  風の中で自由に舞っている髪を、来たときのようにゴムで束ねながら神宮が言う。その声に明るさはなくて、ちょっと怖い。 「そ、そんなの覚えてないよ。他の人のも」 「俺は覚えてるけどな、お前の番号」  淡い月明かりが神宮の輪郭を彩り、那生の位置からでは暗くて表情が見えない。でもどこか憂いているように見え、那生は「ごめん……」と謝った。 「まあ、いいけど。今日会えたしな。……なあ、今からお前の家に行っていいか」  唐突に言われ、「な、何でっ」と叫んでしまった。 「ちょっと話あるから」  淡々と話す神宮にカチンときた那生は、 「お、俺は話すことなんていっ! それに明日もお互い仕事ある──って、ちょ、ちょっと、たま──神宮、あ、あの車、様子がおかしくないか?」  勢い込んで文句を言いかけた那生の目に、黒塗りの車が二車線の道路を跨ぐようにして止まっている。路駐するなら、もっと路肩に寄せるだろう。 「……確かに。いくら夜中でも道路のど真ん中に停めるのは変だな」  那生の言葉で反対車線を見やった神宮も、車の異変に首を傾げている。すると助手席のドアが開き、スーツ姿の男が出てきた。  男は後部座席のドアを開けると、中から一人の人間を引っ張り出し、投げつけるように道路へ放置した。  暗闇で顔は見えないが、スーツの男が地面に転がる人間に向かって何か叫んでいる。 『待ってください! 話を聞いてください!』  転がされた人物がスーツの男を引き止めるような声が聞こえ、地面に跪いている人間が男なんだと言うことがわかった。 「喧嘩? まさか事件……」  遠巻きに見ていた二人から、アスファルトに座り込む男が嘆願している様子が伺えた。だが、スーツの男は縋る男を無碍にし、素早く車に乗り込むとアクセル音と共に視界から消えてしまった。  車が見えなくなると、取り残された男が気になった那生は、「ちょっと見てくる」と言い、男の方へ近付こうとした。 「待て。お前もしあいつがヤバイ奴だったらどうすんだ」  すかさず神宮に手首を掴まれたが、那生はその手を強く振り払った。 「だって怪我でもしてたらどうするんだよ」  そう言い残すと、タイミングよく青に変わった信号を渡り、那生は地面に突っ伏している男の方へと走って行った。 「やめとけ、那生! 関わんなっ」  無鉄砲な体を引き止めようとする神宮をよそに、「ほっとけないっ」と、言い残して信号を渡り切ってしまった。 「……ったく、相変わらずのお人好しめ」  追いかけてくる神宮のボヤキを聞こえないフリし、俊足を生かして男に辿り着くと、「大丈夫ですかっ」と声をかけた。  立ち上がる気力すら無さげな男に目線を合わせ、確かめるよう顔を覗き込んだ。だが、男は那生の顔を見ようともせず俯いたままだった。 「どっか怪我とかしてないですか?」  心配してもう一度声をかけると、彼の耳に届いたのか唇が僅かに動いた。 「だ……いじょうぶ……です」  弱々しく返事をした男がよろめきながら立ち上がると、地面に放置されたリュックを掴んで歩き始めようとする。 「那生、もういいだろ。放っとけよ」  呆れ声で神宮に言われても、男が泣きそうな顔をしていたことが気になり、「あの、送りますよ。家どこですか」と手を差し伸べようとした瞬間、男の体が膝から崩れそうになる。 「あぶなっ!」  間一髪で神宮がその体を受け止めると、男が「す、すいません……」と、覇気のない声で顔を上げた。 「あれ。お前、見たことあるな。うちの学生じゃないか?」 「えっ! 宝生大(ほうしょうだい)のか」  那生が一驚した声を出したと同時に、男の体がぐらりと揺れ、全体重が重力のまま神宮の上にのしかかって二人の体は道路に昏倒してしまった。 「こ……いつ、くそ重い……」

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