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葦津周(よしづあまね)

 目覚めると見慣れない天井が視界に入り、葦津周(よしづあまね)は朦朧とした頭で部屋の中を見渡した。 「あ、起きた。た──神宮、彼が起きたよ」  同窓会で飲み足りなかったのか、神宮が二本目のビールの缶を開ける手を止め、ソファに横たわる周の方に目を向けた。 「生きてたな、葦津周」 「あの俺……ここは……」  ソファから体を起こすと、周は目の前の男達の顔をぼんやり見つめ、けれどすぐ訝しそうに眉根を寄せた。 「ここは俺ん家だよ。君がそこの通りで気を失ったから連れてきたんだ。体は大丈夫か?」  優しげな微笑みを向けられ、不安だった鼓動が落ち着き出すと、周は改めて自分の立場を理解した。 「す、すいませ……ん。俺、帰ります……」  申し訳ない気持ちで頭を下げ、ソファから立ち上がった途端、再び目眩に襲われると、床に尻餅を付いてしまった。 「まだ休んどけ。顔色も悪いぞ」 「いえ! そんな……見ず知らずの人にご迷惑ですか──えっ! あれ、せ、先生! どうしてここに」  強引にソファへ引き戻す手の主を見上げると、周はようやく大学講師である神宮を認識し、益々状況を把握できずにいた。 「悪いけど、お前のリュックの中身見せてもらったぞ」  神宮に言われてテーブルに目を向けると、見覚えのある学生証や財布、スマホが並べられていた。 「……はい、それは構わないです。それよりも俺──」 「道で気を失ったんだよ。それでたまたま通りかかった俺達がここに運んだんだ」  差し出された水を受け取ると、「すいま……せん」と深々と頭を下げ、周はコップを握りしめたままゆっくりと唇を動かした。 「ご迷惑をかけました。俺、宝生大学二年の葦津周と言います。神宮先生の講義も取ってます」  ソファに座ったまま、周は再び頭を下げた。 「知ってるよ、見た事ある顔だし。名前は今知ったけどな」 「ところで……周君。そのさっき──」 「お前、何があった? あのスーツの男達は誰だ」  聞き辛そうにする声に被せるよう、神宮に質問をぶつけられた。 「あ、あれは、別に……何でもないんです」 「何でもない奴が、お前のことあんな風に扱うのか?」  乱暴な口調で踏み込んでくる神宮に瞠目した周は、思わず口を噤んで俯いてしまった。 「神宮の言い方が荒っぽいんだよ。もっと優しく言えよ」 「す、すいません。あの、えっと──」 「あ、ごめん、ごめん。俺、才原那生。神宮先生の友人だよ」 「先生の……。あの俺の方こそごめんなさい。迷惑をかけてしまって、もう帰りますので」  再び立ち上がろうとしたと同時に、効果音のような豪快な音が腹から聞こえ、周の顔が真っ赤になった。 「何だ、お前腹減ってたのか」  周の顔を覗き込見ながら、神宮がほくそ笑んだ。 「いや、そんな事は! だ、大丈夫です」  百八十を超える身長を縮こませ、周が恥ずかしそうに視線を逸らすと、那生が徐に立ち上がって台所へと向かって行った。 「焼きそばくらいなら直ぐできるから。食べてってよ」  冷蔵庫の中をチェックした那生が材料を取り出すと、手際よく調理を始めた。 「いえ! そんな悪いです。俺、平気ですから」 「俺も食う。那生、二人分作って」 「さっき晃平の店で食ってたじゃないか。まだ食べんの?」 「俺、途中参加だったからあんま食ってない」 「あ、それもそうか。それに……ふふ」  キャベツをきざみながら笑っている那生を、周は不思議そうに眺めた。だが、二人の交わす視線でその理由がわかった気がした。  周が遠慮しないで食事できるよう、神宮が気遣ったのだ。そしてそれが那生にもわかり、微笑んでいたのだ。 「俺、大盛りなー」 「いいけど、知らないぞ。こんな時間に食って太っても」 「平気、平気。俺太らない体質だからさ。周、那生の焼きそば美味いぞ。高校の学祭で行列を作った伝説の焼きそばだからな。お前もちゃんと食えよな。腹減ってぶっ倒れるくらいなんだ」 「えっと、はい……なんかすいません」  神宮の言葉に従うよう頷く周は、テーブルの側に改まって座り直した。  食欲をそそる音と匂いが充満する部屋で、数時間前に起きた出来事をどう説明すればいいか、周はリュックを見つめながら考えあぐねいていた。

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