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第1話

 隠し事なしの潔白な関係──それはもちろん、この上なく理想的だと思うし、何より要がそれを望んでいることは知っている。けれど、その人となりも、それから人生においても、清廉潔白の代名詞のような要と俺とでは、何もかもが違いすぎるのだ。  すっかり暗闇に慣れた視界の中心に、心地良さそうに寝息を立てる要がいる。要、とこの世の何より愛しくかけがえのない存在を呼びかけて、すんでのところで俺は口を閉ざした。  例えば、今ここで要を起こし、眠れない、と子どもじみたことを俺が言ったとしても、きっと真夜中にもかかわらず、要はまったく毒気を感じさせない優しい微笑みでもって俺を許し、俺が寝つくまで付き合ってくれるだろう。例え寝不足で明日に支障をきたしてしまうとしても構わないと、そう言うだろう。そればかりでなく、この篭った熱を、どうしても一人では発散できないと言ったなら、それにさえも時間を割いてくれるだろう。わかっている。要は優しい。だからこそ、俺にはどうしても、それができない。  小さく息を吐いて、俺はもう一度、要の隣に疼きを持て余した身体を横たえる。少しでもその甘い誘惑を遠ざけたくて、要に背を向ける体勢を選んだけれど、静まり返ったこの空間では、その息遣いや体温を無視できない。腹の奥底で蟠り続ける熱は少しも鎮まる気配はなく、むしろ増していくばかりだ。どくどくと絶えず脈打つ心臓の音が耳について、やはりとてもじゃないが寝つけそうにない。  ついに、俺は寝間着の下へと自らの手を滑り込ませる。右手はいやらしい仕草で太股を撫で、左手もまた同じように卑しく淫らな手つきで下腹部から胸元へと這い上がる。つんと勃ち上がった乳首と、早くも芯を持ち、頭をもたげ始めている陰茎へと両手がそれぞれたどり着いたのは、ほとんど同時だった。 「っ……ん、っ……」  鼻にかかった甘え声を、下唇を噛むことで抑え込む。けれど手指の悪戯は止められない。乳首を摘まんだ指先の力に緩急を持たせながら、親鳥が持ち帰った餌を待ち侘びるばかりの雛鳥のように開閉を繰り返している性器の先端に親指の先を含ませれば、早くもじわりと淫らな蜜が溢れ出す。  要はいつも、指の腹で優しく乳首を転がし、根元から先端までをゆっくりと、何度も撫で摩り、甘やかしてくれる。あの触れ方が好きだ。あんなふうに優しく、慈しむように自分の身体に触れてくる男はこれまでにいなかった。あれが成せるのは要だけだ。  そうやって、思考が蕩けるほどに焦らされたあとは、熱を帯びた吐息を纏った舌で乳首を舐め、転がされながら、後ろを優しくほぐされる。時々、そこを舌で甘やかされることもあって、俺は密かにそれを期待し、待ち侘びているのだけれど、それを自ら乞うなんてことは、とてもできない。  要のやり方をこんなにも鮮明に思い出せるのは、つい昨日の夜、そうやって、心行くまで要に愛されたからだ。他の誰でもない、要によって奥深い場所まで暴かれ、身も心も満たされるまで愛を注がれた。だというのに、今日もまた欲しいだなんて、とても、そんなことが言えるはずがない。だからこうして、昨夜の甘い記憶に思いを馳せながら、独り耽るしかないのだ。 「……好きだよ、要」  堪えきれず、俺はふたたび起き上がると、相も変わらず安らかな寝息を立て続けている恋人を見下ろす。もっと熱烈な声で名前を呼んで揺さぶり起こしたい気持ちを抑えながら、深い眠りの底にいる要には到底聞こえない程度の小さな声で愛を囁くと、音を立てぬよう細心の注意を払いながらベッドを抜け出した。  たどり着いたリビングのソファーに乗り上げると、俺は早急に、虚しさが込み上げるより先にと、要と揃いの寝間着の下をまさぐり始める。  要は、愛を与える術も、また確認する術も、多くを知っている。それは、愛されて育った証拠なのだろう。そんな要にとって、セックスは愛情表現のひとつに過ぎない。それに代わるものはいくつもあって、もしかするとなくたって構わないのかもしれない、とさえ思うこともある。それに対し、俺にとってのセックスは、唯一無二の愛情を確認する手段だった。  自分に興味も関心もない両親から、愛されていると感じたことは、一度もなかった。認められていると感じられる瞬間さえなかった。それらを初めて満たしてくれたのがセックスだった。他人と肌を合わせている瞬間だけ、唯一その時だけ、俺は誰かに求められているのだと実感できた。例え、それが一時凌ぎのものでしかなかったとしても、疑似的なものでしかなかったとしても、紛い物でしかなかったとしても。そうすることでしか、承認欲求を満たすことができなかった。そして、いまだにその癖が抜けず、毎晩のように、身体がそれを求めてしまう。  生まれも育ちもまったく異なる俺たちの価値観が異なるのは当然だ。だから、俺の悩みは要には理解も共感もできないだろう。それは仕方のないことだ。それでも、要は優しいから、俺が求めれば、きっと応えてくれるだろう。そればかりか、俺を理解するための努力さえ惜しまないだろう。けれど、それは要を俺の我儘に付き合わせてしまうことにしかならない。結局、独り善がりであることに違いない。 「……ふ、ぁ……っか、なめ……っ」  要の手つきをたどる。努めて優しく、壊れ物を扱うように、左手で乳首を転がしながら、右手で緩やかに勃ち上がり始めている性器の根元から先端までをゆっくりと撫で上げる。期待に開閉する先端の割れ目に親指の腹を這わせると、全身に甘い痺れが走り、意図せず力の篭ってしまった指先が、きゅっと乳首を摘まんでしまった。 「あっ、んん……っ、……ゃ、かなめ……っ」  不意打ちの刺激を愛しい人からの施しだと思い込もうとするも、要はこんな乱雑な触れ方はしないと、知りすぎてしまった頭がすぐに正気に返ってしまう。改めて先端の割れ目に触れている親指をゆるゆると、何度か往復させると、数秒と経たず漏れ出てきた先走りが、ちゅくちゅくと淫らな水音を立て始める。 「……ぁ、もう、濡れてきちゃ……っあ、ん……っ」  いつも、感じやすく濡れやすい体質を、それが物語る過去と経験を、要に知らしめる形になるのが嫌で、要の手指を押しやろうとする俺の手を、要は必ず握り返して、大丈夫だと言い聞かせてくれる。これまでに何人に股を開いてきたかも思い出せないような、数多の男の手垢にまみれた俺を、綺麗だと形容し、甘やかすようなキスをしてくれる。 「……っは、ぁ……かなめ、」  閉じることを忘れてしまった唇の隙間からだらしなく舌を覗かせ、キスをねだる。  ここまで明け透けな、性に奔放な姿は、とても要には見せられない。けれど、此処に要はいない。  妄想の中で、要はいつもと変わらず慈しみに満ちた声と表情で、淫乱なおまえも可愛いよと俺に笑いかける。そして、甘く蕩けるようなキスをしてくれる。  きっと、俺が願えば、現実でも、要はそれを叶えてくれるだろう。優しい要。こんな俺を愛してくれる、この世の何にも代えがたい存在。だからこそ、要にこんな姿は見せられない。ここまで明け透けに、奔放にはなれない。要に失望されたくない。軽蔑されたくない。 「……っ、かな、め……っ、かなめ……っ」  寝室からリビングまではそれなりに距離があるし、要はきっと朝まで目を覚まさない。そう思えば、図らずも唇はだらしなく緩み、甘えるような、ぐずついた声が溢れて止まらない。  これが要の指だったなら、どんなに気持ちがいいだろうと想像する。  要がいい。要の手で、あの優しい手指で、思考が蕩けて上も下も右も左もわからなくなるまで、甘やかされたい。それから、こうして先端の割れ目に、他の誰でもない、要の指の先を押し込まれて、容赦なく弄くられたい。そうして、執拗に弄くられて恥ずかしく泣き濡らす様を、あの低く艶のある声で詰られたい。興奮すると少し掠れて艶を増すあの声に、名前を呼ばれて、愛を囁かれるだけでなく、卑猥な言葉で責め立てられたい。 「……ぁ、んん……っ、んっあ……」  ついに、要に対する不埒な欲情が、溜まりに溜まったフラストレーションが、溢れて滴り落ちていく。それは文字通り溢れた程度で、絶頂にはほど遠い。完全に吐き出すことは叶わず、吐き出しきれなかったものは逆流し、不完全燃焼がもやもやと胃のあたりで渦を巻く。物足りなさに下唇を噛むと虚しさが込み上げ、鼻の奥がつんと疼いた。  要の手つきをたどっても、己の願望を要に着せて妄想を膨らませてみても、所詮、それは虚像でしかない。 「……ぅ、うう……」  みっともなさに耐えきれず俯いた、その時だった。 「終わったのか?」 「──っ!」  聞こえるはずのない声が聞こえ、慌てて顔を上げる。その視線の先では、しっかりと閉めきったと記憶していたはずのドアが開け放たれ、その脇の壁にもたれかかるようにしている要がこちらを見ていた。 「か、要? いつから、そこに?」  声が上擦ってしまった。すぐに息を吐いて平常心を繕い、問いかける。いつだって、要が寄越す回答は清々しいほどに簡潔だ。 「最初からだ」 「最初から?」 「もっと言うなら、おまえがベッドを抜け出すより前から起きていた」  迷いのない足取りで俺のいるソファーに歩み寄ると、要はフローリングに膝をつく形で腰を下ろした。まるで傅かれているかのような状況にいたたまれなさを覚え、俺は咄嗟に衣服を手繰り寄せると、みっともない場所を要の目に触れさせないよう、隠す。  穴があったら入りたいとは、まさしくこのことだ。今すぐに逃げ出したい。要の視界から消えてしまいたい。けれど、そつのない仕草で伸びてきた指の背に頬を撫でられると、たちまち抑え込んでいた激情が膨れ上がり、羞恥もみっともなさもいたたまれなさも、すべてが脇に追いやられてしまう。  どうしよう、今すぐ、要に触れたい。  不埒な欲求に衝き動かされそうになるのを、なけなしの理性を掻き集め、どうにか堪える。けれど、そうやって葛藤している間に要に抱き寄せられてしまい、鼻腔を清潔かつ芳しい香りに満たされた。それは先までの独り善がりな自慰行為では得られなかった安堵と充足感を俺にもたらし、胸の奥が焦げつきそうなほどの感情の高まりで満ちていく。抗うことをやめ、俺もまた要の首に腕を絡みつかせた。 「覗きなんて、趣味の悪いことをして悪かった。先に白状しておくと、実は、今回が初めてではない」  どうして声をかけてくれなかったのか、趣味が悪すぎる、と要の行動を非難する気持ちがまったく沸いてこないのは、要の声が真剣そのもので、この場を愉しんでいる様子をわずかにも感じさせないからだろう。だから俺は身を起こすと「悪趣味だなんて思わないよ」とだけ言って、憂いを帯びると溜息が漏れるほどに端正さが際立つ顔を窺い見る。すると要はほっとした様子で表情筋をわずかに緩めたものの、そこに浮かぶ表情は、要自身を責めるようなものだった。 「すまない。俺の経験が足りないばかりに」 「え?」  その表情から予想はついたものの、心当たりがまるでない謝罪に、思わず訊き返す。すると、要は慎重に言葉を選び直す仕草をみせる。 「ずっと、考えていた。おまえがどうして、隣にいる俺を起こさず、いつも一人で解消してしまうのか……自分なりに考えてみたんだが、わからなくて、調べてみたり、友人に相談してみたりもしたよ。そうして、たどり着いたんだ。きっと、俺の経験が足りないばかりに、満足させられていないのだろうと──」 「違うよ、要」  咄嗟に、要の言葉を遮るような形で否定する。反射的に身体が動いていた。そんな俺を、要は目を瞬かせ、少しの間見ていたけれど、ややあって、「違うのか?」と確かめるように訊き返してくる。その声が不安そうに揺れていることに、そして縋るような色を含んでいることに気づいて、俺はようやく己の過ちをはっきりと自覚した。  少し考えればわかることだ。要の立場ならそこに考え至るだろうと、どうして、ここまで気づかなかったのだろう。  要と俺とでは、育ってきた環境や境遇が、あまりにも違いすぎる。だから、要が俺と同じ考えに至ることはないのだ。逆もまた、そうであるように。  だからこそ、言葉にして、伝えなければならない。誤解を解かなければならない。要のせいではないと、要は少しも悪くないのだと、伝えなければならない。 「……昨日もしたのに、また今日もしたいなんて、言えなかった。それだけなんだ」 「つまり、頻度を気にして、俺に声をかけられなかったということか」  なんだ、良かった、と要はあからさまに肩を撫で下ろす。それだけだった。俺を見つめる要の瞳からは、軽蔑も、俺を責めるような感情も感じない。それはまさしく、俺が思い描いた通りだった。  それを認めて、これはもはや悪癖だ、と自嘲する。要の果てない情愛の深さを知っている。最初から、出逢った時から、それは変わらない。それは疑う余地などないほどに淀みないもので、俺はずっと、その純真さに憧れ、惹かれ続けている。そして、それと同時に、俺は懼れてもいる。  だから、こうして不安がってみせ、要にわざわざ口にさせようとしている。まだ、軽蔑されていないだろうか。まだ、俺を好きでいてくれているだろうか。あとどれだけ、一緒にいられるのだろうか。それを、確かめずにはいられない。  そして、そんな俺の弱ささえも、要は許し、受け容れてくれる。  要が好きだ。もう、要がいない人生なんて、考えられない。要と、離れたくない。要と、ずっと、いつまでも、共に生きていきたい。 「頻度なんて、人それぞれだろう。連日ではしたくないと、俺はおまえに言ったことがあったか? それとも、そんなふうに思っていると勘違いさせるような態度をとっていただろうか?」  許された心地で、首を左右に振る。感情が先走って、言葉が出てこない。そんな俺を見て、要がふっと息を零すように笑った。そうして、要はふたたび俺を抱きしめる。鼻腔を擽る安堵ばかりをもたらす匂いに、髪に絡みつく優しい手指の感触に、全身の強張りが解けていく。 「むしろ、おまえに求められることを、俺は嬉しく思うよ」  要の発する言葉は魔法のようだと、いつも思う。要の声は、言葉は、心の奥底に仕舞い込んだ俺の願望に、確かに届く。  要なら、と固く閉ざした心の扉が開く気配がする。ずっと、理解してもらえないと思っていた、誰にも受け容れてもらえず、心の奥底に仕舞っておくしかないと諦めていたものを、またひとつ、要になら見せてみてもいいかもしれないと、心が動き出すのを感じる。 「──俺には、人に認められているとか、必要とされているとか、愛されているとか……そういったことを確認する手段が、人と肌を合わせること以外になかったんだ」  世間体をとにかく気にする両親に育てられたからか、俺は他人に本当の自分を見せることに強い抵抗があった。人肌とその温もりがもたらしてくれる安堵を知り、同性相手に性的興奮を覚えてしまうという、自分の中に在る最も大きなコンプレックスを隠す必要がなくなっても、結局其処でも、俺は誰かの求める誰かを演じていただけだった。  ずっと、窮屈な枠の中にいた。其処から俺を連れ出してくれたのは要だ。要は、ありのままの俺を愛してくれる。要が発する声音も、その声が象るどんな言葉も、俺の身体に触れている手指と同じように優しく、温かく、無償の愛に満ちている。 「……それは、今もまったく変わらないのか?」  肩口に顔を埋めたまま発せられた、鼻風邪をひいた時のような聞き取りづらい声をも、要は確かに聞き取って、優しく受け止める。要の声で促されると、いつも喉奥に痞えて出てこない感情が、嘘みたいにすんなりと出てくるから不思議だ。 「要といると、それだけじゃないと、思えるよ。でも、それでも、まだ、時々……」  大切に、愛されて育った要には、きっと俺の懼れは理解できない。それは仕方のないことだと、諦めるまでもなく願うことさえしなかった。けれど、要は理解しようとしてくれる。だから伝えたい。どうすれば伝わるのだろう。何と、表現すればいいのだろう。堂々巡りを繰り返していると、聞き役に徹していた要が口を開いた。 「寂しい思いを、させていたんだな」 「っそれは、」  違う、要のせいじゃない、と言いかけて、けれど寂しいと思っていたのは事実だと思い、飲み込む。そうだ。俺は寂しかった。だから、何度も要を起こそうとした。そして要にねだろうとした。寂しい、足りない。だからもっと、要に愛されていることを実感させてほしい、と。 「寂し、かった……でも、それは要のせいじゃ──」 「ぜんぶ、俺のせいにしてしまえばいい」  いっそう強く抱きしめられ、強く、優しい声を聞き、心臓がぎゅうっと締めつけられる。胸に満ちたのは確かな幸福だった。俺は、こんなにも、愛されている。それを実感すると、途端に目頭が熱を帯びて、視界が滲んでいく。 「要に、軽蔑されるのが怖くて、言えなかった……っ、要のことを、信じていないわけじゃ、ないんだ……でも、どうしても──」 「焦らなくていい」  優しく背中を撫でられたことで、全身から力が抜けていく。そこで、俺は自分が全身に力を込めていたことを自覚した。要の衣服を掴んでいた手指をほどき、きつく噛みしめていた奥歯を緩め、閉じていた瞼を上げる。顔を上げると、そこには俺の、唯一無二の絶対的な味方がいる。 「本来、信頼というのは積み重ねるもので、一朝一夕で得られるものじゃない。だから、少しずつでいい。俺も、おまえからの信頼を得るに値する人間になれるよう、努力する」  要の態度は、まるで最初から、ひとつも俺に落ち度はなかったとでも言うようなもので、むしろ、信頼を得られていないのは自分のほうだと、そんなことを言う。その、普段と変わらない、どこまでも真摯な眼差しを認めて、俺は自分の懸念は杞憂に過ぎなかったのだと、ようやく確信する。  知っていたはずだ。実直で澄みきった要の言葉がいつだって嘘偽りないように、要が俺に向ける愛と信頼もまた、同じだということを。そんな要に、自らを卑下させるなんて、そんなことはあってはならないことだ。この先、そんなことは二度とさせないために、俺の要への信頼を正しく伝えるために、俺にできることは、何があるだろう?  それは、要がいつも俺にしてくれるように、愛を、言葉にして、行動にして、伝えることだ。そうすることで違わず伝えられるのだと、他の誰でもない、要が、俺に教えてくれたのだから。 「俺に、至らないところがあるなら教えてくれ」  どちらからともなく唇を合わせて、何度か啄んだのち、またどちらからともなく唇を離して見つめ合っていると、要がふいにそんなことを言った。 「ないよ。要に、至らないところなんて」  咄嗟に否定して、要は完璧だよ、と続けると、要が息を零すように、静かに笑う。そして、そうか、とこの上なく甘く優しい声で言いながら、早くも要の手指に懐くような反応を見せ始めている俺の興奮の象徴の、根元から先端までを緩やかに撫で上げ、また根元まで緩やかに戻す動作を繰り返しながら、唇を重ねてくる。けれど、触れ合ったその心地に酔う暇もなく、要の温度と匂いは離れていってしまった。かと思えば、耳元に寄ってきた声に鼓膜を擽られる。 「そう言ってくれるのは嬉しいが……何かあるだろう、ひとつぐらい」 「……要が、いいんだ」  内緒話のように潜められた声に促されるまま口を衝いたのは、ずっと胸に秘めていた願望だった。 「どんなやり方で誤魔化しても、要じゃないと意味がないんだ。要に触れてほしいと思いながら、要のやり方を真似して、自分で、慰めていただけなんだ……」  だから要の思うままに触ってほしい。そう言うと、要はわかった、と簡潔に、けれど確かに頷いた。しかしその直後、根元から先端をするりと撫でたしなやかな指の先が、いつもとは違う動きを見せる。 「んあっ、や……そ、こ……っ」  恥ずかしいほどにわかりやすく、歓喜に染まった声が漏れた。咄嗟に唇を噛んで抑え込む。ぱくぱくと卑しく開閉を繰り返していた先端の割れ目に、要の指が触れている。思わず口を衝いて出たのは拒絶の意味を持つ言葉だったけれど、上擦った声も少し力を込められれば簡単に咥え込んでしまえるほどに綻んだそこも、何もかもが歓びを露わにしていた。けれど、要は何かを探るように、熱心に俺の瞳を見つめてくる。 「いや、なのか?」  いいのか、だめなのか、俺の本心を違えず汲み取ろうとしてくれるその姿勢に、感銘を受けずにいられない。冬夜、と重ねて名前を呼ばれ、無垢な眼差しに瞳の奥まで覗き込まれると、嘘は吐けない。わずかな躊躇いのあと、俺は緩慢な仕草で首を左右に振った。すると要は口元を綻ばせて、触れるか触れないかの力加減で表面を撫でていたばかりの指の先を、ほんのわずかに隙間へと沈ませる。 「──ひ、ぁ、あっ……」  いやだ、とまた思ってもいない言葉が転がり落ちる。けれどもう、要は動きを止めなかった。ぐり、ぐり、と決して力任せではないけれど、いつもより力の篭った愛撫に、戸惑いと、確かな快感が同時に押し寄せる。どうして、かなめ、いやだ、だめだよそんな、きもちいい。綯い交ぜになった感情を言葉にできないまま、縋るように要を見つめると、要は的確に俺の疑問に答えてくれる。 「いつも、一人でしている時、ここを重点的に触っているだろう?」 「あ、っん……ぁ、かなめ、……んあ、あ……っ」  答えたいのに、口を開くとあられもない声ばかりが溢れて言葉に成らない。かろうじてできることといえば、かなめ、かなめ、と壊れた玩具のように、愛しい人の名前を呼ぶことだけだ。 「教えてくれ、冬夜。どんなふうに触ると気持ちいい?」  要の声は、どこまでも深く、愛に満ちている。  その包容力でもって包まれたい。受け容れられたい。深く、愛されたい。欲求ばかりが先走って、俺はそれを叶えたい一心で、ついに根負けしてしまう。 「……そ、こ……そうやって、ぐりぐりされるの……っ、すき……っ」  ずっと要にされたいと思っていた、と添えると、要は新しい玩具を買い与えられた子どものような無邪気な笑顔を浮かべる。その直後、悪戯を思いついたように煌めく瞳を認めた俺が、その感情の構造を分析し終えるよりも、要が次の行動を起こすほうが早かった。 「それなら、こういうのはどうだ?」 「──ひ、」  ふやけ始めた視界の中で、要が頭の位置を下げ始めたのを認めて、まさか、さすがにそれは、と咄嗟に手を伸ばしたけれど、その艶やかな黒髪を鷲掴みにする仕草は、縋るようにしかならなかった。期待してぱくぱくと開閉する先端に、あっさりと要の舌が触れる。生温かく濡れた舌が入りそうで入ってこないもどかしさに、すっかり欲に濡れきった声を我慢できない。 「……ぁ、っは、あ……んぁ、あ、や、だめ、それ、だめぇ……っ」  抵抗はあっさりと消え失せた。諦めに似た、すべてを明け渡すような心地で、要の前髪を握りしめた手指の力を徐々に抜いていく。けれど、何度か舌先で先端を撫でただけで要はあっさりと顔を上げ、ふたたび俺の顔を覗き込んできた。どうして、と思わず涙ぐんだ声が唇の端から漏れる。よほど名残惜しそうな顔をしていたのか、要は笑みを浮かべると、ちゅ、と軽い音を立ててキスをしてきた。 「本当に、好きなんだな」  囁く声は決して詰るようなものではなく、表情には慈しみばかりが宿る。まるで、親が子を褒めるような穏やかなものだ。けれど、そんな表情で見つめられると、かえって羞恥が増してしまうのだと気づく。思わず感嘆が漏れた。  他の誰でもない、要に触れられているのだと、見られているのだと思うとそれだけで、これまでにないほど興奮してしまう。 「こっちまで垂れてるな」 「……ぁ、」  俺が卑しく垂れ流し続けている蜜液で濡れそぼってしまった要の指の先が、ずっしりと重く育ったふたつの膨らみの中心、そしてその下の薄い皮膚を通り過ぎ、最奥へとたどり着く。くぱ、と期待で綻んだ窄まりが自ら誘い込んだのか、要が指の先を挿し込んだのか、もはや判別がつかない。 「……あ、ぁ……っ」  そこはもう、すでにほぐれている。要と共にベッドに入る前に、もしかしたらの期待を込めて、洗浄と合わせてほぐしておいたからだ。そうでなくとも、最近は要にしか開かなくなったとはいえ、使い慣れたその場所は侵入してきたものを拒む素振りもみせず、なんだって迎え入れてしまう。それが要の一部なら尚更だ。もう離したくない、としがみつくように締めつける。  要の指は、いつだって優しい。優しく、的確に、俺の好きなところばかりに触れてくる。 「あ、んあっ、ァ……」  もう抗えない、と諦めて、俺は言葉に成らない声を上げながら、震える指先で要の寝間着の裾を掴んだ。すると要は満足を得たように微笑んで、俺の唇に触れるだけのキスをすると、ふたたび俺の下半身へと顔を埋めてしまう。  ぱかりと、いつもは上品に佇んでいる唇が開いて、すっぽりと咥え込まれてしまった。元より血色の良い唇がよりいっそう色づいて、俺の淫らな体液で濡れて光っている。そのあまりにも凄艶な光景を目の当たりにしたことで、感情が振りきり、恐怖さえ覚え、全身が戦慄いた。 「や、ぁ、かなめ……っ、そん、なぁ……っいっしょに、しちゃ」  口先ばかりの抵抗は、抵抗に成らない。手を伸ばし掴んだはずの要の前髪が、さらさらと指の隙間から零れ落ちていく。力が入らない。いやだいやだと頭を振ってみせながら、意思に反して徐々に脚が開いてしまい、品のない格好を曝しているのだから、まるで説得力がなかった。  要はもう、そんな俺が何を喚こうと気にしないことに決めたのか、縋りつく俺の両手さえも無視して、俺が好きだと白状した先端の窪みに舌の先を含ませてくる。それだけに留まらず、唾液を纏った舌で敏感な内側の粘膜を掻き混ぜられると、もはや声さえも出せないほどの快感に腰が跳ねる。さらには要の指をしっかりと咥え込んだ場所までをきゅう、と窄めてしまい、嬉しい、気持ちいい、離したくない、と言外に伝えてしまう。ついに、焦らすことも強制することもしない優しい指が、やや深く挿し込まれ、最も感じやすいしこりに触れた。 「ふあっ、ぁ……かなめ、そこ……っ」  要の指を咥え込んだ卑しい尻穴が、きゅううっといっそう収縮するのがわかる。もう、何を言ったところで誤魔化せない。愚直で駆け引きや変化球を好まない要の指は、的確に俺の反応が最も良かった場所を狙って、出たり入ったりを繰り返し始める。 「だ、め……っんあ、あ……っ、っひ、う……こえ、がまん、できな……っ、んあ、もっ……っ、いっちゃ……っ」  指よりも柔らかく、温かく湿った舌で性器の先端の窪みをこそがれながら、前立腺を優しく、けれど容赦なく撫で摩られ、腰が浮き上がってしまうのをどうにもできない。 「……ふぁ、あ、は……っ」  上り詰めたという感覚はないけれど、確かな高揚感で視界が回っている。その浮遊感に酔いしれていると、次いで倦怠感が訪れ、達してしまったのだとようやく確信した。  改めて焦点を合わせると、いまだ俺の性器を口に含んだままの要と目が合う。俺の表情から射精を伴わず極めたことを察したのか、ずっぽりと雁首あたりまでを含んでいた唇を離そうとした要が、その存在ごと遠ざかっていくような気がした。それを察知するなり、あっという間に胸に満ちるのは、言い様のない寂しさだった。 「……かなめ……、かな、め……っ」  それしか言葉を知らないみたいに、ひたすらに名前を呼び続けていると、ふいに視界に影が差す。要だ、と認識するのと同時に伸ばした腕をその首に絡みつかせて拘束した。これじゃあキスができないだろう、と優しく窘められ、わずかに力を抜くと、俺の視界を独占した要が、すぐさまキスをくれる。 「かなめ、かな……ん、う」 「……そんなに必死に呼ばなくても、俺はずっと此処にいる」  唇同士が触れ合ったまま、要はそう言うと、ふたたび俺の唇を塞いでしまう。俺がそれに夢中になっているうちに、絶頂の余韻で弛緩した肉筒からいつの間にか抜けていってしまっていた要の指が、いまだ上向いたまま、少しも萎える気配のない肉茎をとろとろと伝い落ちる淫らな蜜を掬い取り、ふたたび先端の割れ目へと触れた。 「──ぁ、あ、ん、っあ……」  ふたたび迫り来る強烈な快感の予感に、だめ、と頭を振るも、要の指が赤く色づいた先端から離れる気配はない。まだ何かを欲するように開閉を繰り返す、柔らかく色づいた最も感じやすい場所を、触れるか触れないかの力加減で摩られると、無意識に腰が揺れ、またもや簡単に、脚を開いてしまう。はしたなく開け広げた、本来ならば奥まった場所で慎ましく萎んでいなければならないその場所に要が唇を寄せるのを、俺はもう期待に声を上擦らせ、ただ見ていることしかできない。かまととぶってみせながら、俺は確かに、卑しく期待している。  馬鹿になってしまった先端が垂れ流し続ける淫らな蜜が作った筋をたどるようにして、反り返ったままの竿を舐められ、たどり着いたふたつの膨らみの、片方にキスをされる。さらにはその下の敏感な薄い皮膚までを舌の先でなぞられると、ひと際大きく、その先にある窄まりが収縮したのがわかった。無論、それははっきりと、要にも見られてしまっている。恥ずかしい、いたたまれない。そう思うのに、自ら恥ずかしい場所を見せつけるように、両脚がさらに開いて、腰を浮かせてしまう。 「──ひ、ん……ァ、」  とろりと温かい蜜を垂らされたような感覚が尻の狭間を這い、ついに要の舌が這わされたのだとはっきりと自覚する。きっともう、すでに熟れきった果実のように充血した縁がひくついて、食虫植物のように大口を開けて中の粘膜を曝してしまっているだろう。 「ぁ、ん……っだ、め……や、んん……っ、は、かなめ、だ、め……っ」  制止しようと力を入れたはずの手指には力が篭らず、だめ、と咄嗟に出した声は甘えるような色を帯びている。まるで拒絶していない、形ばかりの抵抗だ。まったくもってだめじゃない。何より、濡れきった声がそれを証明してしまっている。だから、いつだって俺の意思を尊重してくれる優しい要が、一切の容赦をしない。じゅるじゅると、あの品行方正の代名詞のような要が立てているとは思えない、品のない液体を啜る音に、たまらない興奮が全身を駆ける。 「や、そん、な……っあ、う、んンっ……やぁ、かなめ、ぁ、っん……」  要の舌が、きっとみっともなく口を開いて自ら要の舌を捉えようとしている、その表面を舐めている。期待に膨らんだ縁に舌が引っかかるのが気持ち良くて、淫らに腰を突き出してしまう。どんどん腰が浮いて、挙げ句の果てにはソファーの縁についていた踵まで浮き上がってしまうと、まるでもっとしてとねだるような、言い訳できないほどに卑しく淫らな格好を要に認められてしまう。それでも羞恥心を捨てきれず、いやだ、だめ、とどれだけ頭を振って訴えかけても、要は相変わらずそれを無視して、ついには舌の先をずぷりと埋めてしまった。 「ひんんぅ……ぁ、や、だめ……っ」  ずるりと、熱く滑りを帯びたものが肉筒を抉じ開け、体内へ入ってくる。ざらついたそれに肉の襞をこそぐようにされると、品のない喘ぎが止まらない。要が、俺の最も卑しくはしたない場所を舐めている。そう思えばまた興奮が増して、きゅうっと要の舌を締めつけてしまう。 「……は、ぁ……あ、ん……」  要と行為に及ぶ前には、必ず全身を、内側まで隈なく清めることを徹底している。けれど、要が今、舌で触れている場所も、それからつい今しがたまで口に含んでいた場所も、本来は排泄を行う器官だ。人間の、最も汚い場所だ。  再度、拒まなければと手を伸ばす。けれど、やはりうまく力が入らず、縋るようにしかならない。それは、何より自分の願望の表れでしかなかった。要にそんなことはさせられない、などと思いつつ、要にそんなところまで愛される悦びに、身体は打ち震えている。 「……指よりも、舌でするほうが感じているように見えるのは、俺の気のせいか?」  相反する感情の狭間で行ったり来たりを繰り返していると、ふいに、この世で唯一、俺に安心をもたらすことができる声が問いかけてきた。 「指と、舌と……どっちが気持ちいい?」  顔を覗き込み、慎重に、確かめるように訊いてきながら、要は唾液で濡れそぼったそこに指を侵入させてくる。少しずつ、中の様子を窺いながら入ってくる、その手つきは、いつもと変わらず優しい。 「言葉にして、俺に教えてくれ、冬夜」  大好きな声に名前を呼ばれ、意識を戻す。要の表情は真剣そのものだ。真剣に、俺を知ろうとしてくれている。理解しようとしてくれている。要なら、俺のすべてを受け容れてくれる。そんな確信が、俺をひどく饒舌にさせる。 「要の指も、舌も……どっちも、好きだ……でも、舌でされるほうが……恥ずかしい、から……」 「恥ずかしいから、もっと好き?」  言葉を詰まらせると、優しく手を差し伸べてくれる。それに甘んじて、俺は首を一度だけ縦に振ってから「すき」とだけ言った。それが限界だった。それを正しく見極めて、要は俺の頭を優しく撫でると、「ありがとう」と言って微笑う。  その瞬間、ひと際大きな快感が背中を撫でた。言葉にして、それをこうして受け止めてもらえることが、どうしようもなく、嬉しくて、気持ちいい。 「じゃあ、これからは、今日みたいに、おまえが嫌だ嫌だと泣き喚いても、やめなくていいんだな?」 「……うん」  素直に首を縦に振ると、要は心なしか嬉しそうに口元を綻ばせる。その仕草に、俺はそうか、と胸が温かく満ちていくのを感じながら、この世の何より愛おしい存在を見つめた。  ずっと、口にするのを躊躇っていた。けれど、要がこんな顔をするなら、もっと早く口にすれば良かった。もっと早く、勇気を出して、一歩を踏み出してみれば良かった。  知っていた。このおおらかな腕は、俺のすべてを受け止めて、包み込んでくれると、知っていたはずなのに、どうしてあんなにも、怯えていたのだろう。 「他にも、あるんだろう? 俺にしてほしいことが」  張りつめていた緊張の糸がわずかに撓んだことを、要は見逃さない。「素直に言えば、なんだってしてやる」などと促されては、もう抗えない。ずっとひた隠しにしてきた欲望を、ついに口に登らせてしまう。 「……要に、恥ずかしいことを、言われたり……言わされたり……させられたり……して、みたい……っ」  どうしても尻窄みになってしまいながら、どうにかそう言うと、俺が言い終えるか終えないかのところで、要はまた俺の頭をまるで幼子をあやすような仕草で撫でた。そして、見る者の警戒心をいとも簡単に取り払ってしまう笑みを湛える。 「それなら、すぐに実践できそうだ」 「え? っあ、ひぁ、や……っ」  少しやってみるか、となんでもないことのように言った要の表情を認めることさえも叶わない。要の指が、的確に、俺の性感帯を撫でたからだ。途端に腰から下の骨を抜かれてしまったかのように力が抜け、口からは鼻にかかった甘え声ばかりが、快楽によって押し出されるようにして溢れ出る。 「……いやらしいな。俺の指をずっぽりと咥え込んで、ぎゅうぎゅう締めつけて……まるで、離したくないと言っているみたいだ」 「ひ、ぅ、あ……っ」  突如、耳のそばで聞かされた、要が口にしたとはにわかに信じがたい物言いに戦慄する。けれど、この人は本当にあの清廉潔白を絵に描いたような男だろうかと俺が惑わされたのは、ほんの一瞬のことだった。その瞳に宿る深い愛情を見ればわかる。この人は、俺の最初で最後の極上の恋人に違いない。 「ほら、聞こえるだろう? ぬぽ、ぬぽって、俺の指が出たり入ったりする、いやらしい音が」 「……ぁ、や、ぁだ……っ、かなめ……っ」 「なにが、いやなんだ?」 「そんな、ふうに……言われる、と……っ、恥ずかしい、よ……っ」  かまととぶって恥じらってみせながら、言葉にされた通り、俺のそこは要の指をこれでもかと締めつけている。 「……ああ、恥ずかしくて、気持ちいいんだろう?」  これまでのような確かめるものではなく、確信を持った問いかけに、驚いて要の顔を見る。すると、要は微かに口元を綻ばせ、肩を竦めてみせた。要がよく見せるその仕草はいつも通りでいて、けれど仄かに意地悪さと妖艶さと、それから愉悦さえも湛えている。それを認めた瞬間、ずくりと腹の奥が疼いた。 「……また、中が反応したな?」 「……ぁ、ん、ンぁ……っ」 「なあ、俺には、とても嫌そうには見えないんだが?」  わずかに口角が上がった意地悪な表情と、ふわりと花びらを散らすような柔らかな雰囲気とのちぐはぐさに、困惑が極まる。普段よりやや低められた声は艶っぽく濡れ、けれど俺の体内をくじる指先はどこまでも優しい。 「……ふ、ぁ……っ」  甘い羞恥に苛まれ、答えようと開いた口を意味もなく開閉しながら身を捩ると、要は優しく、けれど有無を言わせぬ瞳で教えてくれ、と念押しする。 「……っきも、ち、ぃ……」  駄目押しのような催促に、ようやくそれだけを白状すると、要は柔らかく微笑んで、あっけなく引き抜いてしまった意地悪を纏う指の先を、俺の興奮の証へと伸ばす。そして、その大きな手のひらで包み込まれ、数回上下に擦られただけで涎を垂らしてしまう、素直すぎる俺の肉芯を甘やかしながら、「うまくやれているか」と肩を竦めた。 「例え、おまえが望んでいたとしても、体や心を痛めつけるようなことはできないが……こうして、恥ずかしがらせて、それを言葉にするだけでいいなら──それなりに、やれそうだ」  どうだろう、少しは素質があるだろうか、と訊いてくる仕草はどこまでも謙虚で、真摯で、それでいてこんなにも熱の篭った眼差しでこんなことを言える人間が、要のほかに、いったい何処にいるというのだろう。  こんなにも、幸福なことがあっていいのだろうか? 「……ぁ、だめ、だ……かなめ……っ」 「冬夜?」  俺の声が怯えを含んでいることに気づいたのだろう。要が即座に身を起こし、覗き込みながら頬に優しく触れてくる。俺は縋る思いでその手を掴んだ。 「これ以上は、だめだ……おかしく、なる……」  しあわせすぎておかしくなる、と拙く訴える。ちぐはぐな自分の心と体に、ますます逃げたい気持ちが強くなる。だめだ。いやだ。要に、軽蔑されたくない。嫌われたくない。 「こんなの、はじめて、なんだ……っ」  要と出逢う前──男に春をひさぐことで生計を立てていた頃──に、経験だけなら人並み以上に積んでいる。けれど、こんなにも、感情まで乱され、揺さぶられるセックスは、経験したことがなかった。  尿道については客の要求に応じるうちに開発されてしまったことは否めないけれど、元来、羞恥を煽られることで快感を得るような癖は持ち合わせていなかった。そういったプレイを求める客は五万といたけれど、それに付き合い、感じているふりはしてみせても、それによって、自分の中で興奮が沸き起こることはなかった。  どんなプレイに興じても、俺の役割はいつも変わらなかった。俺は、いつだって、誰かの求める誰かを演じているに過ぎなかった。 「誰でも、いいわけじゃ、ない……っ、恥ずかしいのが、気持ちいいのは、要、だからで……っ、もともと、こんな趣味は、なかったんだ……っ」  要のことを考えながら自慰行為に耽る中で、ふと、要にそれをされたらと思い描いてしまったのが、ことの発端だった。うっかり想像してしまっただけでも恐ろしいほどに興奮してしまったというのに、それが現実になるともう、たまらなかった。  他の誰かでは何も感じなかったことでも、要が相手になると、それは瞬く間に特別なこととなる。俺はもう、要でないと駄目なのだ。  要は、自分に経験が足りないばかりに、俺を満足させられていないのだと言った。けれど、それは違う。むしろその逆で、俺の身体はもう、要以外では満たされない身体に作り変わってしまった。要を失ったら、もう、生きてさえもいけないと思うほどに。そして、それは、とても恐ろしいことだったはずだった。  人の心は移り行くものだ。どんなに深い傷だって時が経てば自然と癒えていくように、今のこの瞬間は、永遠には続かない。今と同じ状態で、幸福なまま、ずっといられる保証はない。だから、俺は誰のものにもならないと決めていた。誰にも依存せず、独りで生きていくと、そう決めていた。  けれど、要と出逢い、そして、知ってしまった。人を信じる歓びを、許される歓びを、愛し、愛される歓びを。こんなにも温かく、愛に満ちたこの手を自ら手放すなんて、もう、俺にはできない。不安や恐怖さえも受け容れて、この幸福に縋りついていたいとさえ思う。 「軽蔑、しないで……っ、嫌いに、ならないで……っ、要がいい……っ、要が、いいんだ……っ、要じゃないと、だめなんだ……っ、おれは、もう……っ、要がいないと、生きていけない……っ」  要の懐の広さも、慈悲の深さも知っている。けれど、そうだとしても、いったいどこまで許容してもらえるのだろう?  箍が外れて、我を忘れてしまったら、自分がどうなってしまうのか、自分でも想像がつかない。際限なく乱れ狂う俺を見て、ついに要が俺を軽蔑してしまったら? 失望してしまったら?  愛想を尽かされてしまったら? 要のそばにいられなくなったら?  そんなの、耐えられない。何故なら、俺はもう、要なしでは、生きてさえいけないのだから。 「冬夜、俺は今、すごく嬉しいよ」  穏やかで優しい声をよりいっそう和らげて、要がそう言ったのは、俺が一頻りを出しきるまでを辛抱強く見届けたあとだった。 「俺だけ、なんて言われて、悦ばない男はいないだろう。だから、それが、おまえが俺にしか見せない姿だと言うなら、存分に、すべてを、俺に見せてくれ。何を見たって、俺の、おまえへの愛は、揺らいだりしないから」  そう、あまりにもきっぱりと言いきられると、胸を満たしていた不安も迷いも、氷が水に溶けるように、跡形もなく消えていく。まるで最初からそこには何もなかったみたいに胸の痞えがなくなると、次はむず痒さに全身を包まれる。  歯の浮くような、ともすれば軽薄にさえ聞こえてしまうような台詞だ。けれど、要が言うなら、それは嘘ではないと信じられる。 「かなめ」  確かめるように呼びかけると、要は微笑みかけてくれながら、「なんだ」と甘く潜めた声で先を促す。 「もっと、恥ずかしくて、気持ちいいこと……たくさん、要と、したい」 「ああ。それじゃあ、寝室に戻ろうか」

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