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第1話

 入社式に集まった同期たちは真新しいスーツに身を包み、期待に目を輝かせていた。  俺、虎ノ瀬拓斗(とらのせたくと)は新入社員代表として挨拶を行った。 「一日も早く仕事を覚えて、会社に貢献できるように励んで参ります」  続いて記念撮影が始まった。  前列の中央にいるのは吉田社長である。吉田社長は業界のトップランナーとして活躍してきた人物だ。ただそこにいるだけで圧倒的なオーラを放っている。   「みんな、表情硬いで。スマイル、スマイル」  俺の隣にいた竜岡光流(たつおかみつる)が言った。  すらりとした長身に、男女を問わず好感を持たれそうな人懐っこい笑顔。竜岡は新入社員なのに緊張している様子がまるでない。  俺はこういうお調子者が苦手である。俺たちは学生ではなく社会人なのだから、くだけた笑顔など必要ない。 「竜岡くんの言うとおりだよ。みなさん、入社して嬉しいという気持ちを全面に出してくれ。それとも、本当は別の会社に入りたかったのかな?」  吉田社長がジョークを飛ばした。同期たちが一斉に笑い出す。  かくしてリラックスした雰囲気のもと、記念撮影が行われた。  続いて、ランチタイムに懇親会が開かれた。俺は竜岡と同じテーブルに案内された。 「横浜本社の営業担当が虎ノ瀬さんで、大阪支社の営業担当が僕、竜岡か。タイガー&ドラゴンやね」    俺はむすっとした表情のまま竜岡の軽口を聞き流した。何がタイガー&ドラゴンだ。お笑いコンビじゃあるまいし。 「なあ、連絡先教えて。そんで仕事の相談に乗ってもらえると嬉しいな。僕、気がちっさいから営業の仕事とか自信ないわ」 「できなきゃ、できるようになるまでやればいいだけの話だ。まだ何も始まっていないのに不安に囚われてどうする」  竜岡がほうっと息を吐いた。 「虎ノ瀬さんって、メンタル強いなぁ……。見習いたいわ」 「俺は負け犬にはなりたくない。だから死ぬ気で努力する。それだけだ」 「僕はラクして成果上げたいとか考えちゃうなー。虎ノ瀬さん、本当に同い年? 肝が据わってるね」  俺は中学から大学に至るまで短距離走をやっていた。厳しい競技生活を通して努力を信奉するようになった。 「学生時代、短距離走で鍛えられたからな。竜岡さんは何かスポーツをやっていたのか?」 「僕はバスケ。いっつも仲間に助けられてた。あとは運かな。僕ね、結構ラッキーボーイなんやで」  運なんてあやふやなもの、俺は興味がない。つくづく考えの合わない男だ。竜岡と連絡先を交換したものの、俺からメッセージを送ることはないだろう。 「これからよろしくね、虎ノ瀬さん!」 「よろしく」  竜岡はすぐに辞めてしまうのではないだろうか。そんな予感がした。   ◆◆◆    入社してから、3年が経った。  営業第一課での仕事にもすっかり慣れて、俺は充実した日々を送っていた。  時は2月上旬。  オフィスは整理整頓が行き届いており、綺麗好きの俺にとっては居心地がいい。  俺は自席でパソコンに向かっていた。画面にはトークスクリプトが映し出されている。アドリブが苦手な俺にとって、営業職を務めるうえで欠かせない資料だ。   「すげーな、大阪支社の竜岡! 入社3年目で社内表彰だとさ」  先輩社員の三沢さんが歓声を上げた。他の社員も話の輪に加わる。 「私も金一封が欲しい!」 「いいなぁ。査定にも影響するんだろうなぁ」  騒がしいオフィスで淡々と仕事をこなしていると、三沢さんに肩を叩かれた。 「××年度入社ってことは、虎ノ瀬は竜岡と同期だよな! 喋ったことある?」 「はい」  竜岡は毎日、料理の写真や他愛のないメッセージを送ってくる。こちらは特に話したいことなどないので、滅多に返事をしない。  俺は社内掲示板にアップされた社内報を見た。竜岡の写真がでかでかと載っている。顔が小さくて足が長い。竜岡のルックスはなかなかのものである。  三沢さんが言った。 「竜岡はSEと協力して、営業のナレッジ共有システムを構築したんだって。営業職なのにITに強いとか、羨ましいよな」 「そうですね」 「……もしかして虎ノ瀬怒ってる? そんなに眉間に皺を寄せてると、イケメンが台無しだぞ」 「生まれつき、こういう顔ですよ」  くそっ、竜岡め。  俺よりも評価されているなんて許せない。  竜岡を打ち負かしたい。俺の方が能力が上だと、みんなに認めてもらいたい。  俺は資料をビジネスバッグに入れると、訪問先へと向かった。 ◆◆◆  社屋を出た俺は、まぶしさに目を細めた。  日差しはもう春と言って差し支えがない。冷たい風が今はまだ2月なのだと主張している。  横浜駅から電車に乗る。  車内では乗客の足元に注目した。  サイドにVのロゴが入っているハイカットのスニーカー。あれは外資系メーカー、Vバードの1985シリーズだな。  あちらの彼は、国内メーカーのトライヴァースのニューモデルをジーンズに合わせている。  俺が勤めているスポーツ用品メーカー、ミヨシギアの製品を履いている人を見つけた。40代前半ぐらいの男性だった。駆け寄って、製品の履き心地を訊ねたくなるが自重する。  ミヨシギアは滋賀県発祥の企業で、近江商人の経営理念である「三方よし」を大切にしている。  ただモノを売って終わりではなく、社会をよくしたいというビジョンを持っているところに惹かれて入社した。  ミヨシギアの強みは商品のクオリティの高さだ。  アスリート用のモデルはもちろん、一般向けのシューズも世に送り出している。ミヨシギアの国内シェアは業界トップだ。近年はグローバル化を推進しており、世界を見据えた経営を行っている。  やがて目的地に着いた。  俺は駅を出て、訪問先のショッピングモールに足を踏み入れた。平日なので家族連れよりも年配のお客様の姿が目立っている。  1階にあるインフォメーション・コーナーには、「4月1日から4月30日まで、春の旅行用品フェア開催」というポスターが貼ってあった。2階の特設会場で大々的に行われるらしい。  トイレに入って身だしなみを確認したあと、俺は靴専門店ユア・シューズを訪れた。 「ミヨシギアの虎ノ瀬と申します。本日はヒアリングのため訪問させていただきました。柏原店長はいらっしゃいますでしょうか」  女性スタッフが柏原店長を呼んでくれた。  やがて柏原店長が颯爽と現れて、白い歯を覗かせた。 「お疲れ様。まずは売り場を見ていってよ」 「はい!」  俺は店内をぐるりと周り、自社商品のディスプレイを確認した。いいぞ。ウォーキングシューズコーナーでは『悠歩(ゆうほ)』シリーズが目立っているし、スニーカーコーナーでは『Mスタイル』が存在感を放っている。   「大体いいかな? それじゃ、こちらにどうぞ」 「失礼致します」  バックヤードに入る。靴箱が積み込まれた棚の他に、小さなテーブルとパイプ椅子が置かれている。 「さあ、座って」  勧められたので、俺はパイプ椅子に腰かけた。そして、ビジネスバッグからメモ帳を取り出して、ヒアリングに備えた。 「何か困りごとはありませんか?」 「そうだねぇ、おたくの『Mスタイル』なんだけどさ。しばらく追加発注は控えさせてもらうわ」 「売上レポートを拝見した限り、動きはあるようですが?」 「まあな。でも、買いに来るのはリピーターばかりなんだ」  俺は柏原店長の言葉をメモした。 「おたくの製品はハイクオリティだからさ。自信を持って勧めることができるよ。だがな、このご時世、靴にポンとカネを出せる人はそうそういない。若い世代なら尚更だ」 「『悠歩』シリーズは好調ですよね?」 「そうだな。限定モデルは派手なバイカラーだったけど、三日で売り切れた。今のシニアはアグレッシブだな」 「若者に訴求する商品が必要ということですね」  バックヤードにはVバードの靴箱が山積みになっていた。Vバードの商品はアスリートだけでなく、ストリート系のファッションを好む層にもリーチしている。 「どうよ。トライヴァースみたいにインフルエンサーとコラボして、新しいデザインの商品を出すのは」 「弊社のイメージキャラクターはアスリートの方と決まっておりますので」 「ミヨシギアさん、実績があるのは分かるけどさ。過去の栄光に縛られて、冒険できなくなってるんじゃないの?」    鋭いコメントだった。  俺は「貴重なご意見ありがとうございます」と言うことしかできなかった。 「いろいろと注文が多くてごめんな。気を悪くしないでくれよ」 「いえ、勉強になります。いただいたご意見をもとに、よりよい商品をお届けできればと思います」 「期待してるよ、虎ノ瀬さん」 「ありがとうございます。ご相談なのですが、春の旅行用品フェアに、弊社の『悠歩』シリーズを出品させていただけないでしょうか」  柏原店長が「うーん」と腕組みをした。 「催事担当者に掛け合ってみないと分からないなぁ」 「恐れ入りますが、本日ご挨拶に伺わせていただいてもよろしいでしょうか?」 「一応、内線にかけてみるね」 「助かります」  俺は祈りを込めて、電話をかける柏原店長を見守った。  やがて通話が終わった。 「虎ノ瀬さん。催事担当の後藤は今、2階のバレンタインデー特設売り場にいるみたい。少しなら話せるってさ」 「取り次いでいただいて、ありがとうございます! 早速、ご挨拶に行って参ります」 「虎ノ瀬さんって見た目はクールな印象なのに、現場で汗かくのが嫌いじゃないタイプなんだね」 「私はミヨシギアの製品を愛していますので。多くの方にお届けしたいんです」 「オッケー。これからもよろしくね」 「はい! ありがとうございます」  一礼すると、俺はユア・シューズをあとにした。 ◆◆◆  ショッピングモールの催事を担当している後藤さんは、『悠歩』シリーズに興味を持ってくれた。 「カラーバリエーションが五種類もあるの? 全部置くのは難しいわね」 「黒と茶の二種類だけならいかがでしょうか?」 「それなら大丈夫よ」  俺は出品申し込みに関する書類を、メールで送ってもらうようお願いした。 「急な申し出にも関わらず、快諾していただきありがとうございます」 「うちとしても、商品の品揃えが豊富な方がいいから」 「そう言っていただけると嬉しいです。これからもミヨシギアをよろしくお願い致します!」  帰社した俺は、売上予測レポートを更新した。ユア・シューズ以外の店舗でも『Mスタイル』の販売数が伸び悩んでいる。ミヨシギアの代名詞とも言える商品に元気がないのはまずい状況である。  ユーザーの高齢化。ミヨシギアが直面している大きな問題だ。  定時になった。  周りの社員は次々と退勤していったが、俺は自席から動かなかった。  新たな販売計画を立てていると、倉橋営業課長に呼ばれた。 「虎ノ瀬くん。残業は程々にね。もう上がってくれ」 「承知しました」 「そんなにガツガツしなくても大丈夫だよ。ちょっとやそっとのことでは、ミヨシギアのブランドは揺らいだりはしない」  倉橋営業課長が見ているものと、俺が現場で感じたことは乖離している。  でも、ここで持論を披露したとしても、うるさがられて終わりだろう。沈黙は金。俺は口をつぐむことにした。 「お先に失礼致します」 「うん。気をつけて」  俺は社屋を出た。  横浜駅に向かうあいだ、たくさんの人々とすれ違った。  やりたいようにやっている勤め人など、そうそういない。みんな、自分の気持ちと会社の意向に折り合いをつけて働いている。  地下鉄に乗った俺は文庫本を広げた。  俺の趣味はミステリー小説を読むことだ。自分が探偵になったつもりで仮説を立てて、あれこれ推理するのが楽しくてたまらない。  目的地である、あざみ野駅に着く頃には、俺は文庫本を読み終えていた。  作者にまんまと騙された。  俺が怪しいと思ったキャラはシロだった。予想外の人物が連続殺人の実行犯だった。  あざみ野駅のホームに降りた俺は、スマホを眺めた。  ミステリー小説の愛好家が集うレビューサイトをチェックする。俺がたった今、読了した作品にはハンドルネーム・サラサラ脳髄によるレビューが寄せられていた。  まただ。  新刊を発売日に買って読むのに、いつもサラサラ脳髄に先を越されてしまう。  しかも、サラサラ脳髄のレビューは分析力が優れている。作品のいいところだけでなく、気になる点にも触れており、ミステリーを能動的に読んでいることが伺える。  俺も折原紺(おりはらこん)というハンドルネームでレビューを投稿しているが、フォロワー数はサラサラ脳髄の方が上である。  仕事でも趣味でも一番になれないだなんて。  アパートへ帰るあいだ、俺の頭の中は竜岡とサラサラ脳髄に負けた悔しさでいっぱいだった。 ◆◆◆  休日になった。  俺は神保町に来ていた。  新刊のレビューを書くスピードでサラサラ脳髄に負けているのならば、昔のミステリーを読んでレビューを投稿してやればいい。俺の方がディープなミステリーマニアだということをサラサラ脳髄に知らしめてやる。  たくさんの古書店が連なる通りをゆっくりと歩く。  店頭に置かれたワゴンに掘り出し物があるかもしれない。立ち寄ろうかと考えていると、前方に子どもを連れた若い男性の姿が見えた。 「パパー! どこー!?」  四、五歳ぐらいの女の子が癇癪を起こしていた。隣に立っているスタイルのいいイケメンはオロオロしている。男女を問わず好感を持たれそうな顔立ち。こいつ、まさか竜岡か? 「もしかして大阪支社の竜岡さん?」 「はい! 虎ノ瀬さん、会うのは久しぶりやね」 「東京には仕事で来たのか?」 「ううん、私用。たまにこうやって上京して、古本を漁るんよ」  竜岡の足元で、女の子が地団駄を踏んだ。 「ねー! パパ、帰ってきてー!」  女の子が大粒の涙をこぼす。  俺はその場に屈んで、ティッシュで顔を拭いてあげた。 「ここにはパパと一緒に来たの?」 「うん。パパはね、すぐ戻るって言って、本を買いに行ったの」 「どうしよう、虎ノ瀬さん。警察に連れて行った方がいいかな?」 「ケーサツ? やだ、やだぁー!!」  女の子の泣き声が耳をつんざいた。  俺はその場に立ち尽くした。下手に抱っこでもしようものなら、ロリコンの疑いをかけられる恐れがある。  どうやってお姫様のご機嫌を取ればいい? あいにく、おもちゃやキャンディといった子どもが喜びそうなものを持ち合わせてはいない。  竜岡が「見てみてー」と言って、変顔を披露した。顔のパーツが中心に寄っている。渾身の一発芸だ。俺は思わず吹き出してしまった。  しかし、女の子はニコリともしなかった。 「パパー! パパ、どこー?」  俺は女の子に語りかけた。 「パパは今、怪人500面相と戦っているんだよ」 「ごひゃくめんそう?」 「いろいろな姿に変身する悪い奴だ」  女の子の瞳が輝き出した。 「悪い奴は、ダイナレンジャーがやっつけるの!」 「ダイナレンジャー、好きなの?」 「うん!」  ようやく女の子が笑顔になった。女の子はジャジャジャーンというイントロを歌い始めた。 「戦え、ダイナレンジャー!」  サビに差しかかったところで、両手に紙袋をぶら下げた男性が現れた。女の子が喜びを爆発させる。 「パパー!」 「すみません。もしかして、この子のお()りをしていてくれたんですか?」  男性が持っている紙袋から、洋モノのグラビア雑誌がのぞいている。セクシーな雑誌を取り扱っている店に子どもを連れて行くわけにはいかないと思って、ここで待機させたのだろう。 「本当に申し訳ない」 「今後は、お子さんが不安になるようなことはしないでくださいね」 「はい、そうします!」  俺の小言など聞きたくないのだろう。男性は女の子を連れて、その場からそそくさと立ち去った。 「虎ノ瀬さん、すごい! 子どもの相手、得意なんや!」 「まあ、嫌いじゃない。それにしても、ひどい親だ」 「せやなぁ。僕らが善良な市民だったからよかったけど」 「俺はあの父親を許せない」  竜岡が微笑んだ。砂場で宝石を見つけた子どものように嬉しそうな表情である。 「虎ノ瀬さんって優しいんだね」 「どこが」 「人のために怒れるのは、情が深い証拠や」 「あまりそんな風に言われたことはないが……」  照れ隠しに、俺は店頭に置かれた300円均一のワゴンを眺めた。  背表紙に『さかさまの霧』というタイトルが記された本が目に飛び込んでくる。作者は影山悠一。ひと時代を築いた覆面作家だ。  日に焼けている本を引き抜く。  竜岡が「おぉっ!」と言って、羨ましそうな表情になった。 「『さかさまの霧』やんか。僕、未読なんだよね」 「俺もだ」 「もう一冊ないかな……」  しかし残念ながら、ワゴンに並んでいるのは別のタイトルばかりで、竜岡の願いは叶わなかった。  俺はレジに進み、会計を済ませた。 「なあ、虎ノ瀬さん。お腹空いてない? 一緒にごはんでもどう?」 「……別に構わないが」  竜岡と仕事の情報交換をするのも悪くない。 「それじゃ、行こうか」  俺は竜岡と並んで、古書店街を歩いた。 ◆◆◆  竜岡のお気に入りだというカフェに入った。  店内は間接照明の柔らかな光に満ちていた。軽快なジャズが程よいボリュームで流れている。  俺と竜岡はカウンター席に案内された。ふたり並んで、スツールに腰を下ろす。 「ここのカレー、絶品なんよ」 「それは楽しみだな」  注文を済ませたあと、俺は言った。 「社内表彰おめでとう。営業のナレッジ共有システム、すごくいいアイディアだな。どうやって思いついたんだ?」 「僕ね、定時に帰りたいの。ラクして稼ぎたいの。だから機械に頑張ってもらう仕組みを考えたんよ」 「プログラミング、得意なんだな」 「いやいや、嗜む程度だよ。本職のSEには遠く及ばない」  思ったよりも謙虚なんだな。竜岡に対する印象が変わる。 「あのさ、虎ノ瀬さん。図々しいお願いなんやけど、『さかさまの霧』、読み終わったら僕のアパートに送ってくれない? もちろん着払いで」 「別に元払いでいいよ。さっきはたまたま俺の方が先に見つけただけだから」 「ほんま? いい人やなぁ」  俺たちは住所を教え合った。竜岡はご機嫌である。 「虎ノ瀬さんってミステリー小説が好きなんやね。僕もかなりのマニアやで。ネットにレビューを投稿しとる」 「そうなのか」 「ハンドルネームは、サラサラ脳髄や」 「えっ」  驚きのあまり、思わず声が出た。  俺は竜岡の人懐っこい笑顔をガン見した。こいつが俺よりもフォロワー数の多いレビュアー、サラサラ脳髄なのか? 「その反応、もしかして虎ノ瀬さんもレビューサイト見とる?」 「まあな」 「そうなんや! レビューの投稿は?」 「……一応、してる」 「ハンドルネーム教えて! どんな作品が好きなのか知りたい」  竜岡の瞳がキラキラと輝く。期待を募らせた視線を向けられたのに、冷たく断ることはできなかった。 「折原紺だ」 「おーっ。本格ミステリー警察の折原さんか」 「なんだよ、その呼び名は」 「だって、折原さんのレビュー、特殊設定ありの作品に厳しいから」 「俺は魅力的な謎と、探偵による論理的な解決を兼ね備えた作品が好きなんだよ」 「じゃあ、理想はやっぱりエラリー・クイーン?」 「そうだな」  カレーが運ばれてきた。  俺たちはしばし、会話を中断した。ここのカレー、深みがあるのにクドくなくて最高だな。夢中になって食べていると、竜岡と目が合った。竜岡は柔和な微笑みを浮かべている。 「美味しそうに食べるね」  ライバル視していた男に温かなまなざしを向けられている。俺はこの状況をどう受け止めていいか分からなくなった。  営業成績を競い合っているからといって、あからさまにツンツンした態度を取るのは大人げない。だからといって、友人のように親しくするのはいかがなものか。 「デザートは頼まなくて大丈夫?」 「ああ。竜岡さん、俺はそろそろ失礼する」 「残念やな。僕はもうちょっとお話したかったけど……」 「俺はひとりで古書店街を散策したい。それじゃあな」 「分かった。またどこかで会えたらいいね」  会計を済ませた俺は、カフェの外に出た。  再び、本の街を歩く。  せめて趣味では竜岡に勝てるように、俺は古いミステリー小説を買い漁った。

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