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第5話

 立っているだけで汗が流れるような酷暑が続く八月。  〈解放〉が爆発的なヒットを記録する中、伊織は目の回るような忙しさに悲鳴を上げつつも九月に発売する新曲のレコーディングなどを終え、十二月発売予定のアルバム制作に取り組んでいた。  ずっと〈解放〉のことにかかりきりで、自身の音楽プロデューサーから随分と心配されていたのだが、ようやく新しいアルバムのテーマが決まった。  それが『多様性』だ。  〈解放〉を発表して伊織に対するイメージが変わったため、その流れで今までにない曲を歌おうということになったのだ。ロックは勿論、ジャズ、R&B、ファンクなどを基にした様々な曲が候補に上がった。  八月上旬には曲の選定を終え、既にレコーディングの準備が始まっている。  そんな最中の八月中旬、何と伊織の元に再びルオンとの楽曲コラボの話が舞い込んできたのだ。  ただし、依頼主は矢神ではない。とある大手の映画制作会社からだ。これから制作される映画の主題歌を二人のコラボで作ってほしいということだった。 「恋愛映画?」 「ああ、何でもあの超人気若手俳優の白鳥諒が主演するらしい」 「ってことはラブソングか?」 「そういうことになるな」 「いや、アイツらパンクバンドだぞ。そもそもラブソングなんか作れんのか?」 「矢神さんは問題ないって言ってるって」 「ホントかよ⋯⋯」  伊織は覚からもたらされた情報に疑わしげな顔をした。  あのルオンがラブソング?  ──全く想像できねぇな。  アウトバーストはデビューアルバムにも、慎也がどこからか手に入れてきたインディーズのCDにも明確なラブソングはなかった。『これは恋愛ついて歌っているのか?』と思うような曲もあるにはあるが、ごく少数だ。 「乗り気じゃないか?」 「そういう訳じゃねぇけど⋯⋯」 「オレはルオンがどんな曲作るのか興味あるッスね」  慎也が弾んだ声で言った。  すっかりとアウトバーストのファンになった慎也は彼らが出演する野外フェスのチケットを複数買っていて、既にその一つに参加していた。曰く、性別など関係なく観客全員が盛り上がれるライブだったそうだ。  伊織も勿論、同じように興味はある。  ただ、レコーディングで会った時のルオンの事務的な態度が伊織を後ろ向きにさせるのだ。  自分はルオンから良く思われていない。  今まで誰にどう思われても気にしたことなどなかったのに、ルオンが相手となると違う。  その才能に惚れ込んでいるからこそ、冷たくされるのは悲しいものがあった。 「貴弘は何て言ってる?」 「好きにしていいって」 「マジか。信じられねぇ」 「〈解放〉が大ヒットして、過去のアルバムとかライブDVDが売れてきてるんだよ。伊織の言った通り、新しいファンがついたんだ。だから、そのご褒美なんじゃないか?」 「ご褒美、ね」  (にわか)には信じられない話だが、利益が出そうだから良しとしたのだろう。  ガチガチのロックを作ったあと、明るいのか切ないのかまだわからないがラブソングを作る──確かに世間の注目は集まりそうだ。 「⋯⋯ルオンはどうなんだろうな」  伊織はぽつりと呟いた。  ルオンは矢神から作れと言われれば曲を作るのだろう。  だが、そこに気持ちがこもっていなければ虚しいだけだ。  それに、あんな風に冷淡にされたら、ラブソングだからこそ歌う方も気持ちを込めるのは難しいと伊織は思った。 「気になるなら、まずはルオンが依頼を受ける気があるか確かめてみるか?」  躊躇う伊織の様子を見て、覚はそう提案した。 「矢神さんじゃなくてルオン本人が受けたいと思ってるなら、伊織もやる気が出るってことだろ?」 「まあ、そうだな」 「よし、じゃあオレがちゃんと確認取るから、結論はそれからってことで」  そう決めた翌日、覚は早速、矢神に電話をしてみた。  なるべく理由を曖昧にぼかし、ルオンがラブソングのコラボをどう思っているか、軽く探りを入れようと試みる。 「実はルオンがラブソングを作れるのか、伊織としては心配みたいなんです」 『そうか。確かにアルバムは全部ロックだし、不安に思うのも無理ないな。でも、ルオンはラブソングが書けない訳じゃないんだ。大学の時に一曲だけだが作ってたから』 「そうなんですか?」 『ああ。CDには収録してないから、コアなファンには幻の名曲って言われてる』 「それって矢神さんは聴いたことあるんですか?」 『ああ、運良くな。アイツらの噂を聞いて初めて行ったライブで、本当に偶然だ。あれ以来、ライブでもやってないんだが、とにかく良い曲だったんだよ。あれを聴いてオレはアイツらをスカウトしようって決めたくらいだから』 「へえ、そうだったんですか」  そんな経緯があったとは驚きだ。スカウトのきっかけがラブソングとはパンクバンドらしくない。だから、その曲を隠しているのだろうかと覚は思った。 『iOが不安なのはそれだけか?』 「え」 『本当はルオンが乗り気かどうか知りたいんじゃないのか?』 「いや、えっと、その⋯⋯」  まさかそんなにずばりと核心を突かれるとは思わず、覚は狼狽(うろた)えてしまった。  それを肯定と受け取った矢神はくすりと笑った。どこか意味ありげだ。 『ルオンはiOがやると言えば受けるだろう。逆にiOにその気がなければ断ると思う』 「それって、どういう⋯⋯」 『iO次第ってことだ。そう伝えてくれ』 「えっ、矢神さん!?」  そこで電話が切られてしまい、覚は困ってしまった。あの感じではもう一度、電話したところでまともに取り合ってはくれないだろう。 「伊織次第って、どういうことだ?」  首を捻りながら考えるものの、その答えが覚にわかるはずもない。  その後、覚は伊織を迎えにマンションへと車で向かった。  今日は男性向けファッション誌の撮影が入っている。夏真っ只中の暑い日だが、スタジオでクーラーをガンガンに効かせて秋冬物のコーディネートを着る予定だ。  その撮影スタジオに向かう途中で、覚は矢神との会話を伊織に教えた。 「オレ次第?」 「そう言ってたんだよ」 「どういう意味だ?」 「お前にわかんないことがオレにわかると思うか?」 「そうだけど⋯⋯」  伊織も覚同様に首を捻った。  ──オレがやるって言ったら引き受ける?  本当に意味がわからない。 「なあ、レコーディングで会った時のルオンの印象ってどうだったんだ?」 「それ、いま聞くか?」 「だって聞き忘れてたから。耳に痛いこと言われたって言ってたよな」 「⋯⋯」  伊織は自分が『アイドルっぽい』と評されてショックを受けたことを打ち明けるかどうか迷った。  正直、あの一連の出来事はあまり人には言いたくない。特に覚と慎也は聞いたらきっと怒るだろう。  けれど、ルオンの言ったことは間違っていないし、お陰で自分は歌手として一つ成長できたのだ。ルオンを悪者にはしたくなかった。  ただ、あの時、ルオンは自分に全く興味がないように見えた。だから引き受けるかどうか悩んでいるのだ。 「特に印象はねぇよ。時間なくて、ほとんど話もしなかったしな」 「耳に痛いことってのは?」 「⋯⋯そんなこと言ったっけ」 「言ったよ」 「覚えてねぇや」  覚はそれが誤魔化しだと気づいたが追及はしなかった。伊織が言いたくないと思っているなら、そこにはきっと理由がある。それを根掘り葉掘り聞く気はなかった。覚のこういうところが伊織に信頼されている所以(ゆえん)だ。  伊織は車窓の景色を眺めながら頭の中であれこれ考えて、やっと答えらしいことに見当をつけた。  すなわち〈解放〉を聴いたルオンが伊織のことを見直し、またコラボしてもいいと思っているということだ。  そう考えれば一応は納得できる。  そうなると伊織の気持ちは自ずとコラボする方向へと傾いていった。  ルオンの作る曲のことは最早、熱狂的ファンと言っても過言ではないほど好きなのだ。その新曲を誰よりも早く聴けるというのは大きい。  しかも、その曲を自分が歌えるなら最高だ。ラブソングは得意だから、〈解放〉の時のように苦しむこともないだろう。  矢神が聴いたラブソングは、それがきっかけでスカウトするほどの名曲だったというから、新しい曲に対する期待も否が応にも高まってしまう。  そこで伊織はふと思った。  ルオンが一曲だけ作ったそのラブソングとはどんな曲だったのだろう。もしかして誰かに恋した時に作ったものだったのだろうか。  つきん、と胸に痛みが走った。  ──何だ、今の。  自分の中に過ぎった感情を理解できなかった伊織は、すぐにそれを忘れてしまった。  撮影スタジオに到着したところで心を決める。 「覚、コラボの話、受けてくれ」 「いいのか?」 「ああ」  覚は迷いのある風だった伊織を心配したが、伊織の表情はすっきりとしていた。  あれこれ考えても仕方ない。自分次第というのならやらずに後悔するよりも、やって後悔した方がマシなはずだ。  伊織の気持ちは既に『早くルオンの作ったラブソングが聴きたい』ということで一杯になっていた。
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