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第7話

 伊織とルオンたちがレーベル契約しているオーロラ・ミュージックエンタテインメントは都内に大きなレコーディングスタジオを構えている。  生活が不規則なミュージシャンに合わせて柔軟な運営が行われており、こんな時間でもエントランスホールには煌々と明かりがついているような場所だ。  駐車場に車を停めて、三人は中へ入った。 「何番?」 「確か第二スタジオだ」 「へー、ってことは『せーの』で録ったりすんのかな」 「どうだろうな」  第一、二スタジオは一つの広いメインスタジオと五つの録音ブースを備えており、その規模の大きさが特徴だ。フルバンドでの録音が可能で、『せーの』というのはメンバー全員で演奏する一発録りのことを差す。  二人が話している間、伊織は無言だった。何となくルオンと会うことに躊躇(ためら)いがあるのだ。  三人は廊下から第二スタジオのラウンジに入り、そこからサウンドロックと呼ばれる遮音性を高めるための前室のドア横を見た。  小さなパネルに赤いランプがついている。どうやら今まさに録音中のようだ。  ラウンジのソファに座ってしばらく待ち、ランプが緑になったのを確認して、三人はコントロールルームに入った。 「お疲れ様です」  三人それぞれが挨拶すると、そこにいたスタッフたち、そしてルオンが驚いたように振り返った。  ──ホントにいた⋯!  軽いざわめきが起こったあと、その中から壮年の男性が歩み寄ってくる。 「iOさん、初めまして。映画の音楽ディレクターを務める指方(さしかた)と申します」 「初めまして。突然、押しかけてすみません。今日から楽器のプリプロが始まると聞いたので」 「構いませんよ。是非お会いしたいと思ってましたから」 「ありがとうございます」  伊織が指方と話しながら横目でルオンを窺うと全くこちらを見ていなかった。その横顔はどこか険しい。  ──やっぱ嫌われてんのかな。  予想していたこととはいえ、少しだけ胸が痛む。  すると、そんなルオンの様子にお構いなしで慎也が突進していったのだ。 「ルオンさん、サイン下さい!!」  頭を下げながら、黒い油性のマジックペンを勢いよく両手で差し出す。  突然のことにルオンは驚いていた。 「こら、慎也! いきなり失礼だろ!」 「だってぇ〜」 「だってじゃない! すいません、躾がなってなくて」 「お願い、許して! 今が千載一遇のチャンスなんだよー!」 「かわいこぶってもダメだ!」  覚が慎也のTシャツの首元を後ろから掴んで引っ張っていく。半泣きの顔を作る慎也は、まるで母猫にくわえられて連れていかれる子猫のようだ。  それを見て、何とルオンが吹き出したのだ。 「ははっ、面白いヤツらだな」  ルオンが笑うのを初めて見て、伊織は目を真ん丸にした。  これには覚と慎也もびっくりだ。歌や写真で勝手に怖そうなイメージを持っていたからか、その気取らない笑みにぽかんとしている。 「サインが欲しいならしてやるよ」 「え、ホントに!? じゃあ、ここにお願いします!」  慎也が背中を向けてTシャツの後ろを指差す。  ルオンは油性ペンを受け取り、サラサラとTシャツにサインを書き入れた。 「うおぉー、ルオンのサイン、ゲットだぜー!!」 「声がデカい!!」  覚に怒られても、慎也は悪びれずに笑うだけだ。つられてスタッフたちにも笑いが広がる。 「騒々しくてすいません⋯⋯」 「いえいえ、大丈夫ですよ」  伊織が謝ると指方は鷹揚に微笑んだ。  それから、ごく小さく声を潜める。 「実はルオン君とドラムのリク君の意見が分かれて何度か録り直したんですが、お互い納得できないようで。今から休憩に入るところだったんです」 「そうだったんですか」 「ですから、かえって有り難いくらいです」  なるほど、ルオンの態度は自分がどうこうという訳ではなく、メンバーとの意見の相違のせいだったのかと伊織はほっとした。 「それじゃあ、休憩入りまーす」  スタッフがモニター越しに伝えると、メインスタジオに面した録音ブースから三人のバンドメンバーが出てくる。 「おぉー、本物のアウバスだ!!」 「だから、お前は少し落ち着け」  賑やかしのような二人を横目に、ルオンはメンバーが戻って来るのを待つことなくコントロールルームを出ていった。どうやら、あまり良い雰囲気ではなかったらしい。  興奮する慎也が待ち構える中、コントロールルームにメンバーが入ってくる。 「うわー、本物! 皆すげぇデカい!」 「慎也! お前ホントいい加減にしろ!」 「だってオレ、わざわざフェス行ったくらい好きなんだよ!?」 「だからって素人みたいに騒ぐな!」 「いやいや、これが女優の小園ヒナちゃんなら覚だって騒ぐっしょ?」 「そ、それは⋯⋯」  目の前で繰り広げられる光景に三人は呆気に取られている。  仕方なく伊織は自ら前に進み出た。 「よぉ、初めましてだな。オレのことは知ってると思うけど、iOだ。よろしく。コイツらはマネージャーの町田覚とメイク兼スタイリストの中濱慎也。うるさくして悪いな」  伊織が挨拶すると、金髪を長く伸ばした男がにこっと笑みを浮かべた。ルオンとはタイプが違うが、なかなかのイケメンだ。 「初めまして。オレはドラムのリクです。こっちがギターのトモキ、そっちがベースのヤスです」 「初めまして」 「よろしくお願いします」  金髪がリク、銀髪がトモキ、黒髪に赤メッシュがヤス、と伊織が記憶に書き込む。みんな礼儀正しい好青年のようで、丁寧な言葉で気さくに笑いかけてくれる。 「ほら慎也、そこどけろ。休憩なんだから」 「はーい」  伊織に言われて慎也は素直に通路を開けた。それを見て、また覚が「伊織の言うことは聞くくせに!」と文句を言う。  伊織も壁際に体を寄せると、「失礼します」と言って三人が通り過ぎていく。  慎也が驚いていたように三人とも背が高かった。全員が身長一八〇センチ以上あるようだ。ルオンを入れて四人揃ったらかなり迫力があるだろう。  後を追うように伊織たちもラウンジへ出た。用もないのにコントロールルームにいても迷惑なだけだ。  すると、リクが足を止めて振り返った。 「iOさんたちも良かったらアーティストルームにどうぞ」 「いいんスか!?」 「ええ、大丈夫です」  喜び勇んでついていく慎也に伊織と覚も続く。  部屋に入ると、ルオンはそこにいなかった。  だが、他のメンバーは気にする様子もない。 「iOさんは何飲みます?」 「ああ、オレには構わなくていい。それと、さん付けも敬語もいらねぇよ。どうせそんなに歳違わないだろ?」  リクに尋ねられて、伊織はそう答えた。 「いえ、オレたちの方が年下なんで」 「皆いくつなんだ?」 「全員、今年で二十三です。といってもルオンは早生まれなんで来年ですけど」 「ってことは伊織さんより三つ下ッスね」 「思ってたより若い、って言ったら失礼だな」 「いいですよ。慣れてます」  何でもないように言うと、リクは伊織にコーヒーを渡した。受け取って礼を言うと、またにこっと笑みを浮かべる。ルオンと違って愛想がいい。  飲み物が行き渡ったところで全員が椅子やソファに座って一息ついた。  きっと他の仕事を終えたあとでここに来たのだろう。メンバーの顔に疲れが見える。 「大変だな。こんな時間まで仕事で」 「それはiOさんも同じでしょう」 「オレは慣れてるから。でも、お前らは今年デビューしたばっかなのにフェスに出ずっぱりだったし、他にも色んな仕事が入ってるんだろ?」 「まあでも、それはiOさんがルオンとコラボしてくれたお陰なんで」 「あれは曲が良かったから」  そこまで言って、伊織はやはりルオンのことが気になってしまった。 「アイツいないけど大丈夫なのか? いや、オレが口出すことじゃねぇんだけど」  心配しているのが顔に出ていたのか、トモキが少し困ったように笑う。 「大丈夫ですよ、たぶん。頭冷やしに行ってるだけだと思うんで」 「よくあるのか、こういうこと」 「たまにです。ルオンは意地になるとなかなか自分から折れないから。でも、時間が経てば元通りですよ」 「そうか」  それなら必要以上に心配することもないなと思ったが、ヤスが溜息をついた。 「でも、このままだといつまで経っても終わらないな。まだピアノの録音があるのに」 「そうだな。ルオンだけ残して帰るのは薄情だし」  トモキが返した言葉に伊織は『ん?』と思った。それは慎也と覚も同じだったらしく、素直な疑問を口にする。 「それってどういう意味?」 「ピアノの録音があって⋯⋯ルオンだけ残る?」  訝しげな顔をする伊織たちにヤスが『しまった』という表情をする。  それを受けてリクは驚愕の事実を明かした。 「ピアノはルオンの演奏なんですよ。アイツ、子供の頃からずっとピアノを習ってたから」 「えーっ、そうだったの!?」 「全然、知らなかった!」 「ルオンがイメージに合わないって言って嫌がって、公にはしてないんで」 「何か納得⋯⋯」  唖然とする覚と慎也以上に伊織は大きな衝撃を受けていた。  ということは、あのデモもルオン自らが演奏していたということだ。デジタルらしくない音だとは感じていたから誰かに演奏を頼んだのかと思っていたが、まさかルオン本人が弾いていたとは。  小御門家にはいつも色々な音楽が流れていたが、その中には夫妻が好きなクラシックもあった。子供の頃を懐かしんでか、彰弘が選ぶ時はよくクラシックのレコードをかけていて、伊織も一緒に聴いたものだ。  そうやって親しんできたからこそ、わかるのだ。ルオンの演奏はただピアノを習ってきたからといって出せる音色ではないことを。  ──ああ、やっぱりアイツは違うんだ。  持っているものが最初から違う。才能なんて一言で片づけてはいけないくらい、ルオンは音楽の女神に愛されている。 「じゃあ、ルオンが編曲できるのもピアノを習ってたからなのか」  慎也がそう言うと、更に驚きの事実が語られた。 「いえ、あれはルオンが大学で作曲を勉強してたから」  ──大学で作曲? まさか。 「ルオンは音大卒なんですよ」 「「ええぇっーー!!」」  目を見開いた覚と慎也が大きな声を上げた。  音楽大学といえば良家のお嬢様が優雅にピアノを弾いているイメージしかない二人だ。それがルオンと結びつかないのだ。  だが、伊織は納得だった。ただのギタリストがストリングスを入れた編曲ができるのは何故だろうと疑問に思っていたからだ。 「ってことは、今年卒業したばっかってことだよな?」  伊織が尋ねるとリクは頷いた。 「はい。ルオンの家は音楽一家で、両親も祖父母もみんなプロの音楽家なんです。それで、バンドを続ける条件として音大に行かざるを得なくて」 「そうだったんだー」 「何か色々、大変だったんだな」 「ええ、まあ」  リクはどこか懐かしむように小さく首肯した。まだ若い彼らにも、ここに来るまでには様々な苦労があったのだろうと察せられた。  そして、ここで伊織はやっと理解できた。  最初にアルバムを聴いた時に感じたルオンの音楽の普遍性はクラシックを学んで培われたものだったのだ。  その後、伊織たちはバンド結成の経緯を聞くことができた。  高校で出会い、それぞれ楽器をやっていることがわかって意気投合したこと。好きなロックバンドが似通っていたので、最初はコピーバンドとしてスタートしたこと。ルオンがオリジナル曲を作り始めたのをきっかけにメジャーデビューを目指すようになったこと。  伊織は自分の知らないルオンの話を聞くのが楽しくて、あっという間に時間が過ぎたように感じた。  すると、休憩に入ってそろそろ三十分が経つというところで、開いたドアの向こうにルオンがラウンジに入ってきたのが見えたのだ。  アーティストルームに足を向けたルオンと伊織の目が合う。  ルオンは気まずそうな顔をしたあと、すっと視線をそらした。  ──そんなあからさまに避けなくてもいいだろ。  ちくん、とまた胸が痛む。  ルオンは真っ直ぐにリクの前へ来ると、「悪かった」と謝った。 「やっぱり、あそこはお前の言う通りでいい」 「わかった。なら、さっきのテイクで問題ないな」 「ああ」  短いやり取りだったが、その率直さに伊織は二人の強い信頼関係を感じた。素直に謝罪したルオンとそれをすんなりと受け入れたリク。時間をかけて築き上げてきた絆を見せつけられたような気分だ。 「あとはお前のピアノだけだな」 「おい、それは言うなって⋯!」 「すまん。もう話した」 「お前⋯!」 「どうせ知られるんだ。今、言ったって同じだろう」 「同じじゃねーよ!!」  目を吊り上げて怒りのオーラを放つルオンにも、リクはどこ吹く風だ。 「クソッたれが!」 「行儀が悪いぞ、ルオン」 「誰のせいだ!?」  面白がっているようなリクに、ルオンは噛みつかんばかりの勢いだ。 「まあまあルオン、そんなに怒るな」 「お前らも共犯だぞ!!」 「仕方ないだろ。リクの言う通り、隠し切れるもんじゃないって」  トモキとヤスが間に入ってルオンを宥める。  そんなに知られたくないことだったのかと伊織は不思議に思った。あれだけの演奏ができるのなら隠す必要なんてないだろうに。  イメージに合わないと言っていたが、そのギャップに惹かれる人間も多いはずだ。現に自分は前よりもっとルオンのことを知りたくなっているのだ。  そんなことを考えていると、ルオンは「もういい!」と言ってアーティストルームを出ていってしまった。  そのまま肩をいからせて、ずかずかとコントロールルームへと入っていく。 「さあ、休憩も終わりだな」  リクがソファから立ち上がる。 「ホントにこれからピアノの録音するのか? あんなに怒ってたのに」  伊織が問うと、リクは薄く微笑んだ。 「アイツはあれでプロ意識がすごく高いんですよ。ピアノの前に座れば切り替えられます」  リクに促されて伊織たちもコントロールルームへ行くと、ルオンは既に第四ブースに入っていた。メインスタジオの向こう側、右端にあるグランドピアノが置いてあるブースだ。  リクがちょいちょいと伊織を手招きする。 「何だ?」 「ルオンが弾いてるとこ、見たくないですか?」 「いや、そりゃあ見たいけど、さすがにマズイだろ」  ルオンのあの様子だと、見られることも嫌だろうというのは考えなくてもわかる。 「端からちょっと顔を出すだけならバレませんよ」 「⋯⋯そうか?」  伊織はその甘い言葉に負けてしまった。  ルオンは嫌がるだろうが、〈深海魚〉のあの音色が奏でられているところを見たい。その欲望にも似た好奇心に勝てなかった。  指方の指示で準備が進む中、こっそりとメインスタジオの左端を横切り、第四ブースに近づいていく。  ブースはそれぞれ入口が全面ガラス張りなので、リクに言われた通り、端からほんの少しだけ顔を出して覗き込んだ。  メインスタジオが真正面に見えるように置かれたグランドピアノの奥に、鍵盤を前にして座るルオンがいる。  伊織からはその斜め横顔が見えるのだが、今は音の確認をしているようで、モニター越しにやり取りしているのが口の動きでわかった。  手の動きがほとんど見えないのが残念だが、そこまで望んでは罰当たりだろう。  やがて、そっとリクがその場を離れていく。  ルオンはぱらぱらと楽譜をめくったあと、目を閉じて深呼吸した。  いよいよ始まる──。  何故かドキドキと胸が高鳴る伊織の前でルオンが鍵盤に手をかざした。  そして、その手が動き出した。  ルオンはゆったりとピアノを弾き始めた。  防音ガラスに遮られて音は聴こえないが、数え切れないほど何度も聴いた曲だ。今どの辺を弾いているかは想像がつく。  優しく温かく、それでいて切なく儚いメロディーがルオンの武骨な手から生み出されていく。  伊織は何かの奇跡を目の当たりにしているような気分だった。  ルオンは目を瞑ったまま鍵盤も楽譜も見ることはない。眉間にわずかに皺を寄せ、曲を奏でることに集中しているようだ。  伊織は脳内で曲を再生しながら、更に自分が歌うイメージを思い浮かべていた。  Aメロ、Bメロ、サビが終わり、間奏を挟んでまたAメロが始まる。  それから少し経った時だ。  ルオンが口元に微かな笑みを浮かべたのだ。  ──えっ⋯!?  伊織は驚きで目を瞠った。  どくん、と心臓が大きな音を立てる。  伊織の中で再生されていた曲が止まり、そこだけが何度もリフレインされ始めた。 【今も想うよ  君の輝く蒼色の羽根を】  歌詞は確かにこの部分だった。 『あれ、伊織さんのことでしょ』  そんな慎也の言葉が蘇る。  心臓がこれでもかというほど早鐘を打ち、自分でもよくわからないうちに顔がどんどん熱くなってくる。  ──え、え、どういうことだ⋯!?  どうしてルオンはそこで微笑んだのか。  伊織は理由もわからないのに恥ずかしくなって、慌てて顔を両手で押さえた。  ──何だコレ、何だコレ!?  やがて顔だけでなく体中が熱くなって、伊織は誰に何か言われた訳でもないのに、その場にしゃがみ込んだ。  だが、そこでハッと気がついた。  今の自分はコントロールルームから見えているということを。  自分の行動を見られたことに焦った伊織は急いで立ち上がった。  何事もなかったかのようにブースを覗き込むと、ルオンはまだ演奏を続けている。  心臓がバクバクして顔の火照りも取れていないが、とにかくまずはピアノを弾くルオンの姿を目に焼きつけようと思った。こんなチャンスはもう二度とないかもしれないからだ。  やがて、ルオンの動きが止まる。  伊織は素早く、かつ静かにその場を離れてコントロールルームに戻ると、そこを素通りしてラウンジへ出た。  だが、心を落ち着けようとソファに座ると、慎也と覚が追いかけてきた。 「伊織さん、どうしたんスか?」 「どっか具合いでも悪いのか?」 「あ、ああ」  伊織はそう誤魔化すと顔を伏せた。  顔に集まった熱がまだ消えない。心臓は相変わらずうるさいし、自分でもよくわからない感情が頭の中をびゅんびゅんと飛び回っている。 「ちょっと立ちくらみ⋯かな。お前らはあっちで見てていいぞ」 「でも」 「休んでれば治ると思うから」  言葉を被せるように少し強めに言うと、何かを察してくれたらしい覚は「無理はするなよ」と言って、慎也を連れていった。  はあぁ、と大きな溜息が出る。  自分は一体どうしてしまったのだろう。  だが、もっとわからないのはルオンだ。  何故、あの歌詞の部分で微笑んだのか。  ──あれじゃあ、まるで⋯⋯。  そこまで思って、伊織はぶんぶんと首を横に振った。まさか、あり得ない。ルオンは自分をたぶん嫌っている。そんなことがあるはずない。  でも、だったらどうして。  伊織の中で思考が堂々巡りする。  そうするうちに時間が経って、何と仮録音が終わってしまったのだ。  ルオンやリクたちがコントロールルームから出てきて、伊織は強い後悔の念に襲われた。  せっかくのルオンの生演奏を聴き逃してしまった。もう聴けない可能性の方が高いというのに。  ショックを受ける伊織の前をルオンは無言で通り過ぎると、そのままアーティストルームへと入っていった。まるで伊織のことなど見えていないかのようで、そのことにまたショックを受ける。  だが、他のメンバーと覚、慎也はすっかりと打ち解けたようだ。わいわいと気安い会話が交わされていて、伊織は自分だけが取り残されたような気持ちになった。  そんな伊織の表情に気づいたリクが意味ありげな笑みを浮かべて近づいていく。 「そういえばiOさん、〈解放〉のレコーディングの時、ルオンとは何か話しました?」 「え、いや、話らしい話は何も⋯⋯」 「なるほど」  そのリクの様子に他の二人が何かに気づいたように慌て出した。 「リク、よせ。余計なこと言ったら、ルオンが怒って手ぇつけられなくなるぞ」 「そうだぞ。被害を受けるのはオレらだぞ」 「だが、放っておいてもいつかはバレるだろう。これからずっと同じ業界で活動するんだ」 「そうだけど、今じゃなくてもいいだろ?」 「ルオンがいないところで言えばいい」  二人が何やらリクを説得しようとしていると、ルオンがペットボトルの水を飲みながらアーティストルームを出てくる。 「iOさん、いいこと教えましょうか」 「いいこと?」 「わー、やめろ、リク!」  トモキの悲痛な叫びがルオンの耳にも届く。  伊織と話すリクを見て、ルオンは血相を変えた。 「リク、お前!!」  そんなルオンを無視して、リクは言葉を続けた。  それは伊織にとって衝撃的な事実だった。
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