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第1話 東京
一 東京
東京——。
宮人良二(ミヤジンリョウジ)はその時、仕事を終えて帰り道だった。
スポーツ選手のように逞しい長身に白いTシャツとジーンズ。大学生のように見えるがれっきとした警察官。
短髪に鋭い目をしている。だけど視線は柔らかい。
8月のど真ん中、日はとっくに暮れているがまだかなり暑い。都心からそう遠くない下町で、飼い猫も野良猫も多い。自宅まで数メートルのところで、良二は馴染みの茶猫が毛を逆立てて唸っているのを見つけた。
「どうした?」
優しく声をかけて撫でようとしたとき、ギョッとした。誰かが道の隅のゴミ出し場所に倒れている。猫はこの男に怒っていた。そこが茶猫の寝場所だからだ。
警察官という職業柄、良二は冷静に「大丈夫ですか?」と声をかけ反応をみた。黒いスーツを着た若い男だ。意識が朦朧としているようだった。白い手が僅かに動くが目を閉じている。「すぐに救急車を呼びますから、安心してください」と良二がスマホを取り出すと、
「ノー、ポリス⋯⋯」
としゃがれた声で言った。
⋯⋯ノーポリス? 警察を呼ぶなと言うことか? 外国人? 犯罪者?
この辺りは治安が良く、こういうことは滅多にない。良二は形のいい濃い眉をしかめながら、「名前は?」と聞いた。
「⋯⋯レイ、リ」と呟いて、男は完全に意識を失った。
良二はスマホの119を押しかける。
「若? そんなことろで何をなさってるんですか?」
後ろから声がかかったのは、その時だった。
「また猫を拾ったんですか、ダメだって言ったでしょう⋯⋯おっと。人だ⋯⋯」
男の白髪が街灯に白く浮かび上がった。
*
「まず、服を脱がせましょう、若。ドロドロですよ、高そうなスーツですが⋯⋯」
白髪は名前を村上といった。40ちょっとだがかなり前から白髪だった男だ。
無表情だとどこか不気味な目つきの渋い男だったが、良二の前だとよく笑う。
今も楽しそうに笑いながら、器用に男の服を脱がせていく。
「服を脱がせるのは得意なんですよ」
と言い、自分が言った言葉に照れた。
「もちろん女のことですよ、若」
「あのさ」
と良二は、服を脱がされても目を覚さずに、布団に横たわっている男を見下ろした。
「救急車に電話するべきだよ、村上さん」
良二の家は古い一軒家だ。
かなり広めの庭がある。庭が見える客間に布団をひき、そこに男を寝かせている。
意識がないが、村上によると意識混濁ではなく、ただ疲れ果てて眠っているだけらしい。
「ノーポリス、って言ったのは犯罪がらみだからでしょう。俺も犯罪者ですぜ、二人も犯罪者がいるこの家に、救急車なんて呼ばないでください、若」
「救急車は警察とは違う」
「同じですよ、通報の義務がある」
男のズボンを脱がしながら、
「下着を着ないらしいですね」
と笑う。
白い肌が見えて、良二はドキリとした。
剥き出しになった下半身に布団をかけようとすると、村上が遮った。
「待ってください、若」
「ジロジロ見ちゃダメだって、いくら男でも⋯⋯」
男なのに、眠っている男の肌は妙に生々しく色気がある。
「そうじゃありません、ズボンに穴が開いてます、ほら、太ももに火傷⋯⋯弾がかすめたあとですぜ」
「銃?」
「そうです、弾が近距離で撃たれて掠めるとこういう焼けたような跡がつくんです。極道の勉強になりますね」とニヤリ。「この傷、よく見てください、若」
「極道の勉強なんかしたくない⋯⋯」
良二は短髪を撫で上げた。
良二の祖父はその世界では有名な極道の親分だった。
一年前から意識を無くして病院にいる。
祖父が意識を無くしてから、良二の近辺が急に騒がしくなった。この白髪の村上やその派閥が、良二を跡目(あとめ)にしようと動き出したからだ。もちろん良二に極道の組を継ぐ気など全くない。
「消毒液、ありますか?」
「うん、あるよ」
薬を持ってくると、男の白い太ももに薬を塗りながら村上がふざけた口調で、「女みたいな肌ですね。こういう肌は刺青師が見たら彫りたがりますよ。今度、若も刺青でも入れますか?」笑う。
「俺は入れない、警官なんだから⋯⋯。村上さん、ジロジロ見たらダメだよ」
消毒が終わると良二は急いで裸の男に布団をかけた。
本当に女のような肌の男だった。滑らかで白い。体毛がほとんどない。
「この手を見てください、若」村上が眉を顰めて、男の指を掴んだ。「ナイフ遣いですよ、この男。ナイフで人を殺す奴がこういう指をしてます」
男の白い指に数カ所、硬く赤い部分がある。
「目が覚めたら、気をつけたほうがいいですよ、若。危険な奴かも」と村上が言った時、男が動いた。
「若⋯⋯」と村上が良二を後ろに下がるように促す。
二人が見守る中、男は布団から白い腕を伸ばし、軽く背伸びをしながら目を開けた。大きな目だ。瞳が灰色。
その瞳をキラキラさせながら、男は、
「お腹すいた⋯⋯」
と言う。子供のように無垢な笑顔だ。
「あんた、何者だ?」
村上が低く聞くと、
「⋯⋯わからない」
首をかしげて、
「俺、誰?」
可愛らしく聞いた。
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