23 / 23

ハガネ 2

 振り向けば、大人の銀狼が一人、のっそりとやってくるところだった。ハガネの家だった残骸を見て、「良い物件紹介してやるよ」と、気のいい先輩のようなことを言う。  年齢はタクトの母親と同じくらいか。このくらい年上になると、「黒狼の強さ」では埋められない戦闘経験の差というものが開き始める。  ハガネは油断なく構えた。 「ファング。お前もか?」  自分と戦いに来たのだろうか。 「いいや。俺はお前さんが風邪を引いたって聞いたから、ちと見舞いにな」 「……」  ファング。ハガネの両親の友人で、幼い頃から何度も会ったことがある。親戚のような関係値。あのタクトの母親を、口説いたことがある伝説を持つ男だ。  ファングは敗北者の山に目をやる。 「またすごい数を相手にしてたな。疲れただろ? おじさんが肩揉んでやろうか?」 「滝に頭突っ込んでくる」 「落ち着け。風邪の時にお前」  森に向かおうとして、腕を掴まれた。心配そうな声のファング。「風邪ではない」と言おうとした時だ。  キラリと光る爪が見えて、咄嗟に足を曲げて屈んだ。黒い毛を切り裂き、閃光が頭上を通り過ぎる。 「――ッ」  離れようとしたが、がっちりと腕を掴まれている。タクト同様、ハガネとの戦い方を知っている者の行動だ。  ハガネはファングを睨んだ。 「見舞いに来たんじゃないのか?」 「見舞いに来ただけ、なんておじさん言ってないぜ?」  お茶目にウインクされ、ハガネのこめかみに青筋が走る。 「高級メロン持ってきたんだが。風邪じゃなさそうだ。安心して殴れるな」  腕を掴んだだけで、平熱だと分かったらしい。素晴らしい洞察力だが、ちょっと気持ち悪かった。  タクトに腕を掴まれたことを思い出し、咄嗟に腕を引き抜こうとする。そんな悠長なことをしている相手ではないのに。タクトのことを思い出してしまった。  その隙に腹に一撃をもらい、片膝をついてしまう。  ファングはぱちくりと瞬きした。 「おいおーい。本当に風邪なんじゃないのか? そんな……脆かったか? お前さん」  殴っておいて、当たったことに驚いている様子だった。  だがおじさんは人の悪い笑みを浮かべる。 「もしかして。ああそうか。タクトに男ができたことを気にしているのか」 「ッ!」  図星をつかれ、ハガネは激しく動揺した。子どもの頃から近くで見てきたファングには、ハガネの気持ちはバレバレだったようだ。揶揄うように笑われ、頭がカッと熱くなる。 「――黙れ!」 「そんな態度じゃ、正解と言っているようなもんだぞ。立て、おい」  腕を引っ張られ、肘を数発叩き込まれる。反撃に振るった爪も、ひょいと躱された。だがここでハガネは人の姿になる。 「おっ?」  細くなった腕はするりと抜け、ハガネは森の方へ駆け出す。スピード自慢の彼は障害物の多い森のなかの方が戦いやすい。 「おお、やるなぁ。やっぱ若いもんは、頭の回転が速い」  自慢げに笑うと、ファングは放たれた矢のように追跡した。人の姿では、能力が一段落ちる。ハガネはファングに追いつかれた。 「このジジイ」 「ジジイ呼ばわりはやめて? おじさん、傷つくから」  ハガネにタックルすると、二人纏めて森の地面を転がった。  下敷きになったのは黒髪の男だ。気難しそうながらも端正な顔に、人で言う大学生くらいの背丈。ファッション雑誌に載っていた服をそのまま買いましたという服装だが、元が良いため違和感はない。  それを押さえつけているのは三メートルの狼男。  ハガネは悔しげに歯を食いしばる。 「お前。王座に興味があったのか」  すべてのオスが、王の座を狙っているわけではない。家庭的なオスだっているのだ。もちろん興味があるなら、メスだって参加してもいい。  ファングは答える代わりに、ニコッと笑う。妙に不気味に映った。 「ハガネ。これから何をされると思う?」  そりゃもちろん、ボコボコにされるのだろう。ハガネだって何人もの狼をぶっ飛ばしてきたのだ。覚悟はしている。  贅沢を言うなら防御力の高い狼の姿に戻りたい。だがこうも押さえつけられていると。  それでも全力で押し返そうとすると、ファングは爪で引き裂いた。ハガネ――ではなく、彼の着ている服を。 「……は?」  胸元がさらけ出され、ハガネが色々浮かべていたこの場からの打開策が霧散する。 「ファング?」  困惑する若者を見おろし、おじさんは顔を近づけた。 「教えてやるよ。ハガネ。敗者のもう一つの末路を」 「……」  訳が分からず瞬きするだけのハガネに、ファングは苦笑する。 「おおい。なんだその、自分はそういう目で見られるわけない、って思い込んでるような顔は。そんな反応されると滾っちまうんだけどよ、おじさん」  ハガネは背中が冷たくなった。  目の前の男は、赤ん坊のころから知っている相手で。両親とも仲が良く、時には親以上に遊んでもらったこともあって…… 「どうした? 裏切られたような顔して。や、勘違いするなよ? おじさんは嬉しいぜ? おじさん好みに育ってくれて」  ファングの男の部分がそそり立っている。ハガネは全能力を駆使して身体を真横に倒し、おじさんを放り投げた。 「おっと」  おじさんは宙で身を捻り、楽々と着地する。 「何を! 気色の悪い!」  命と貞操の危機を感じ、距離を取った。  狼男はハガネやどっかの幼馴染を除き、基本赤ずきん(女)好きだ。まさかこのおじさんも例外だというのか。  ファングは頭を掻く。 「気色悪いって……。酷いなぁ。お前さんだって同じだろう?」 「同性愛者を非難したのではない。気色悪いのは貴様だ」 「おじさんへの差別は良くないぞ? 狼男は気に入った人間を誘拐してくるような倫理感だ。ちょっと光源氏の真似事をするくらい、可愛いもんだろう?」  つまりファングは、幼いハガネをそういう目で見ていたということだ。  肩車してもらったりアイスを奢ってもらったりした思い出が砕け散る。  ハガネは身震いした。とりあえずファングはハガネの両親に殺されればいいと思う。 「狼男(自分たち)の生態を非難しているのではない。気色悪いのは貴様だ」 「なんで三回も言うの?」  ファングはのんきに歩いてくる。  せっかく有利な森に入れたのに、人間の姿のままでは逃げ切れない。人の姿にはすんなり化けられるが、狼の姿へ戻るのに数秒かかってしまう。その間無防備になるが、待っててくれるようなやつではない。かといって倒すのも面倒な相手だ。 「ハガネ。お前、負けたことないだろ? なんやかんや黒狼だもんな。……だからさ。ここで一度負けておけよ。知らない狼に抱かれるより、まだマシだろ? おじさん、優しくしてやるぞ?」  ハガネは反射的に、破れた服を押さえ胸を隠した。 「いらん気遣いだ! そのまま土に還れ」 「可愛い反応しやがって」  ファングは飛び掛かった。昔から面倒見ていた狼へと。  地面に倒れ込んだハガネに、ファングが爪を振り上げる。 「とめて!」  森に響いた高い声に、ハガネもファングもぎょっとした。ハガネを切り裂く寸前だった爪は、「黒い腕」に止められている。  ファングは冷や汗を流し、背後を見た。  自分の腕を軽々止めている黒い狼。 「よお。タクトの坊主じゃねぇの。元気そうだな」 「おじさん。お久しぶりです。メロンが置いてあったので、川につけて冷やしておきましたよ。めっちゃいいメロンですね。あれ」  挨拶のような言葉を交わしながらも、ファングは力を込めていた。腕を振り払うために。だが振り払おうとすればするほど、ミヂミヂと音を立てタクトの握力が増していく。 「なんだ? 幼馴染でも助けにきたってのか?」 「馬鹿言わないでくださいよ~。そいつに援護なんていりません。助けに入ったら俺がぶっ飛ばされますって。『邪魔だー』って」  ファングは両手を挙げた。降参の意を示すとぱっと手が放れる。ファングは慌てて距離を開けた。腕が普通に折れるところだった。  ぱたぱたと、菓子折りを持った人間が駆け寄ってくる。ケモ耳フードを被ったいい女だ。――いや男かもしれない。立場をわきまえているのか、タクトの後ろで止まる。  ハガネが顔を上げた。 「お前……」 「ハガネさん。大丈夫⁉」  怪我など一つもないが、タクトの男は血まみれの怪我人でも見つけたような顔色だった。  ファングはタクトとハガネ、幼馴染コンビを交互に見遣る。 「で? タクト。お前さんは何しに来たんだ? お前も混ざるのか?」 「そんなつもりはないよ? ハガネと戦うなんてめんど……大変だし。ちょっと菓子折り持ってきただけ」  タクトも狼男だ。ハガネとファングが戦っているのを見ても何も思わなかった。「終わってから渡そう」と静観を決め込んでいたくらいだ。  ただ、タクトのそばには狼男ではない生き物がいた。人間という、「日本」で暮らしてきた生物は、恩人が襲われそうになっているところを見て、冷静ではいられなかった。  思わず飛び出しかけたが、自分のせいでタクトに大怪我(一日)させたのを思い出す。自分の勝手な行動で、タクトに何かあっては。でも、見ているだけも嫌だ。ハガネは助けてくれたのだ。  しれーっと見ているタクトの腕にしがみつく。 『何かあれば「行け!」って言ってくれればいい』  その言葉を信じて。 「とめて!」  もしかして「息の根を止めろ」という意味だったのかと、タクトが物騒なことを真剣に考えていると、苺は菓子折りを置いて膝をついた。 「ハガネさん。怪我は⁉」 「いや……なんでお前がここに。怪我はない。ちょ、触るな」  おたおたしている苺とハガネ。なんか可愛い。ハガネもそうだが、タクトが選んだだけあり、人間の方もすこぶる愛らしい。  ファングは物凄く混ざりたかったが、タクトが立ちふさがる。 「ファングさん。誰の許可を得て俺の嫁を視界に入れてるの?」 「見るのもダメなの⁉ じゃあ……菓子折り置いて、気を付けて帰れよ? おじさん。ちょっとハガネを可愛がっていくから」  苺だけ「ひゃあ‼」と悲鳴を上げた。可愛がるってどういう意味⁉ と汗を流しまくっている。タクトは「なんでそんなに焦ってるんだろう……」と目を向けた。 「ベリちゃん? 大丈夫だよ。俺が守るから。まー、可愛がるってのは、俺がベリちゃんにしたようなことじゃない?」 「……カハッ」  苺は泡を吹きそうだった。それを聞いてしまっては「そっか。帰ろう」とは言えなかった。ハガネが狼の姿だったならまだしも、人間の姿だ。苺の頭では「人が狼に襲われる!」になってしまっていた。  ハガネにしがみつく。 「は?」 「は?」 「ハア?」  最後の「ハア?」だけやけに重低音だったが、苺は「やだあ!」と叫んだ。 「タクト君! その人(狼)どっかやってよ! 怖いよ!」  ほんわかしていたタクトだが、スイッチが切り替わるように空気が変わる。無機質なガラスの瞳がファングを映す。タクトが相手を抹殺するときの目だ。  流石におじさんも飛び上がる。 「待て! お前さんとの戦闘は想定してない!」  聞いていないのか、タクトは足を一歩踏み出す。ドォンと地面がひび割れ、腐葉土が一斉に舞い上がる。大砲のように、万全の状態の黒狼が突っ込んできた。  ファングは避けることもできなかった。 「……ハア?」  ファングを追い払って戻ってきたタクトの目は冷ややかだった。  なぜか苺がハガネに抱きついている。ハガネを殺してもいいだろうか。苛々する。信じられないくらい苛々する。  しかし目の前で恩人を攻撃するタクトに、苺はどう思うだろうか。苺に軽蔑されれば心停止する自信がある。  なので、ひょいと苺を抱き上げた。 「あ、タクト君。怪我は? してない?」 「元気でーす」  にっこり笑うと苺が抱きついてくる。顔に。前が見えない。苺しか見えない。呼吸するたびに苺の体臭を吸い込む。これが……幸せ? 「ありがとう。どっかやってくれて」 「いいよぉ。でもそんなに怖かった? これからはベリちゃんの視界に入る前に、狼男はぶん投げておくね?」 「そ、そういうわけじゃ……。でもありがとう。かっこよかった」 「え? えへへ。えへえへへ」  いちゃつくカップルに、ハガネははぁとため息をついた。  失恋に、信じていたおじさんのカミングアウト。  ちょっとメンタルにダメージが。家に帰って酒飲んで寝たい気分だ。家壊れたんだった。  立てそうにない。  だが立ち上がった。こいつの前で、情けない姿をこれ以上晒したくない。 「はあ……」 「ため息おっも。なんだよー。お前の好きな菓子だろ?」  渡された菓子折りを引っ手繰り、ハガネは森を出て行く。 「ハガネさん! 怪我が。歩かない方が」 「あー大丈夫だって。俺と同じくらいの再生力なんだから」 「……」  そう言われると何も言えなくなった。ハガネの背を見送る。  タクトのグレーブルーの瞳がじろっと苺の方に向いた。 「で? ベリちゃん? 俺以外の男に抱きついた理由を。知りたいんだけど?」 「へ? 怪我してたじゃん。ハガネさん。立とうとしてたから、動かない方が良いと思って。タクト君だって、心配だったんでしょ?」 「ふえ?」  変な声が出た。ハガネの心配など産まれてこの方、したことがない。自分と同じくらい強い生物を心配してどうする。タクトだって、ハガネは楽に勝てる相手ではないのだ。今日だって、風邪引いたという噂を聞いて我が耳を疑ったくらい、あいつは健康優良児だ。 (でも、ベリちゃんはそんなこと知らないか……。誰でも心配しちゃうなんて。白衣の天使かよ。俺の嫁は。ナースプレイでもすっかな)  えっちなことを考えていると、苺が頭を撫でてくる。気持ちいい。尻尾が揺れる。 「タクト君……。同じ狼男さんを倒してたけど。本当に、つ、強いんだね。……ドキドキしちゃった」  ぽっと頬を桃色に染める苺。  嫁の愛おしすぎる反応に、タクトは分かりやすく調子に乗った。  よーーーし。狼男全員ぶち殺すぞーう。  タクトのやる気が最高潮に達し、ライバルはハガネを残すのみとなった。 【終】

ともだちにシェアしよう!