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自分の気持ち2
翌日、また陸さんにエスコートされて陸さんの車に乗る。ということはどこかにドライブだろうか。どこへ行くか訊いてみよう。
「陸さん。今日はどこへ行くんですか?」
「今日は日光だ」
「日光? 日帰りで行けるんですか?」
「もちろん全て回ることはできないから、一部だけどな。日光へは行ったことあるか?」
「日光なんて小学生の頃に行ったきりです」
「そうか。俺は初めてだ」
陸さん、日光は初めてなんだ。公立の学校だと小学校で行くけど、陸さんは私立だったから違うのだろう。
それにしても日光でまわったところなんて東照宮と華厳の滝くらいしか覚えてない。それだってうろ覚えだ。だから初めてとあまり変わらない気がした。
車は芝浦出入口から首都1号線に入り北上して行く。僕は日光の見どころでも検索しようとスマホを取り出すが、日光のどこら辺を行くのか聞いていなかった。
「日光のどこへ行くんですか?」
「今回は日光の中心部だ。東照宮の周りだけだ。|神橋《しんきょう》からまわる」
「わかりました」
神橋って確か赤くて綺麗な橋だった記憶がある。そこから東照宮か。
スマホで日光中心部の観光スポットを探す。すると、陸さんの言った神橋から日光山輪王寺三仏堂から東照宮、日光山輪王寺家光廟大猷院、二荒山神社のコースが出てきた。これをまわるのかな。
「行くのって、このコースですか?」
「あぁ、ネットで出ただろう。そのコースをまわるつもりだが、他に行きたいところがあればそっちへ行くが」
「いいえ、このコースでいいです。ただ、予習? 復習? をしておきたかっただけです」
だってもうまともに記憶がないから予習? 復習? しておかないと行ってもなにもわからないと見ても意味がないと思うから。きっと陸さんはこのコースを決めたときにざっと調べたと思うから、僕もざっと目を通しておこう。
陸さんが言っていた神橋は僕の記憶通り、朱塗りの綺麗な橋で二荒山へかかる橋で世界遺産に登録されたらしい。
奈良時代の末に、神秘的な伝承によって架けられて神聖な橋とされてきて、当初は神事・将軍社参・勅使・幣帛供進使などが参向のときのみ使用され、一般の通行は下流に仮橋(日光橋)を架けて通行していたけれど、昭和48年に一般公開されたという。
橋自体はかなり古くからあるのに、一般公開されたのが昭和48年と言ったらつい最近の話しだ。でも、そんなに古い橋だとは知らなかった。
次に日光山輪王寺三仏堂。
三仏堂は日光山の総本堂で、平安時代、山内北裏の瀧尾権現の地に、慈覚大師「円仁」によって創建され、江戸時代に新宮(現二荒山神社)境内に移築し、三代将軍家光によって正保2年(1645)に現在の建物に造替されたと言う。ここもやっぱり徳川家か。そうだよね。日光は徳川家だ。
三仏堂の次は東照宮。
東照宮は1617年徳川初代将軍徳川家康公を祭った神社だ。見ざる聞かざる言わざるの三猿や眠り猫が有名だ。そして、神社というと朱塗りでモノトーンのイメージだけど、東照宮は金をふんだんに使っていて煌びやかだ。そこはさすが徳川家と言ったところだ。
東照宮のあとは日光山輪王寺の家光廟大猷院の境内には22件の国宝・重要文化財が建ち並んでいるという。22件の国宝・重要文化財ってすごいとしか言いようがない。でも、東照宮の煌びやかな世界から一転して金と黒を使用し重厚で落ち着いた造りになっているのは家康を凌いではいけないという遺言からというのがクラクラする。その遺言がなかったらもっと煌びやかになっていたんだろう。徳川家、すごいな。
最後に徳川家から出て二荒山神社へ。
二荒山神社の御祭神は|二荒山大神《ふたらやまのおおかみ》で|大己貴命《おおなむちのみこと》、|田心姫命《たごりひめのみこと》、|味耜高彦根命《あじすきたかひこねのみこと》の親子3神を祭っている。創建は767年と言われているからかなり古い。それこそ徳川家が入ってくるよりはるか昔からあるんだ。そしてさっきの神橋は二荒山神社の建造物だそうだ。
二荒山神社は縁結びのご利益で人気らしい。
縁結び……。僕はご縁を祈った方がいいんだろうか。だって陸さんと結ばれたい。でも、陸さんとは一応結婚しているわけで。それを見たら縁結びは必要ないのかもしれないけれど、番契約の観点でいけば番ってないから縁結びを祈った方がいいんだろうし。でも、僕と陸さんは親は番になることを願ってる。ということはご縁を祈った方がいいんだろう。僕がそんなことを考えているなんて陸さんは知らないだろう。僕はスマホを静かに見ながらそんなことを考えていた。
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