1 / 54
1.本社経理の戸隠さん①
嗚呼、戸隠さん……。
俺は時々本社からやってきては営業所の経理監査をしていく彼を見つめてはいつもうっとりとする。
今日もそうだ。
ここ最近、ややこしい営業処理でくさくさしていた。なのに戸隠さんの姿を見ただけで俺の気分は一気に春先のお花畑にいるみたいにほっこりする。
本社経理の48歳。妻子無し。
その細い指先が資料をゆっくりと繰る。爪まで綺麗に手入れされていて、ささくれ一つみられない。指先がページをめくるたび、ただの数字が羅列された紙にすら彼の艶が移るように見える。
髪はロマンスグレーがかった柔らかな薄茶色。シェードのかかった窓からの光が透ける。ちょっと寝癖がついていて可愛い。
銀縁の眼鏡の向こうにあるたれ目はいつもふにゃっと笑っているように見える。
コーヒーカップに触れる唇は薄いがしっとりと光沢があって、時々漏れるため息が色っぽい。
染み一つない色白で昔はさぞかしキレッきれの美形だったのだろうと思われる顔立ちには、今は年齢のために笑った時に目元と口元に柔らかな皺が刻まれる。
別にバリバリのビジネスマンというタイプでもないけれども、出世の先行きに見切りをつけて油が抜けきったような働かないおじさんだとか非活性シニアという寂れた感じもしない。
普通のおじさんが着たらきっと年齢不相応に老けて見えるだろうと思われるイタリア系デザインの薄茶色のスーツが178cmの少々高めの身長によく似合っている。冷静で上品、あくまで仕事は日々の方便と割り切っている紳士という感じだ。
スーツが似合う体格のせいか細そうに思えるが実は筋トレを欠かさない。趣味の750cc ツーリングのためだという。倒れたバイクを起こすための最低限の筋肉が必要だからだ。
上半身を中心に鍛えているのかウエストはきゅっと細いのに、胸まわりが割としっかりしている。その差分でウエストラインが柔らかな柳腰を描いていた。
そして豊かな胸板のためにシャツボタンは今日も4番目が行方不明になっている。
「はぁ……いいなあ、戸隠さん」
「どこが?」
隣に座る同僚からの視線は冷たい。言葉は少ないが少々強めの全否定を出された。
「え? かっこいいじゃん」
「オッサンだぜ」
「俺達だって30超えてんだからオッサンだろ?」
「いやいやいや、野々上よ。俺たちはほら、まだ合コンで20代の子と飲んだって世間は許してくれる年齢じゃないか。あの人の年齢はそうじゃない。誰と付き合おうと年下だったら世間がパパ活疑惑を向けてくるような年齢だ。もう完熟。完全。オッサン超えて爺の域」
「だから変な虫がつかなくていいんじゃないか。アラフィフで、そこそこ金と地位があって家庭がないから軽やかに生きてる。フリー感がいい」
「いやいやいや。軽やかでもなんでもないだろ。あの人仕事で詰めてくるときめちゃめちゃ重くて怖いじゃん。なんかこう、守るものがない、孤独な傭兵人生を歩んできた感じがあってさ」
「それって仕事の手を抜かずにきちんとしてたら正しく評価してくれる人ってことだろ」
「ん、まあ、そう言われればそうなんだけど、人間的に付き合いたい相手かって言ったら、あんまり同意が得られるタイプでもないぜ」
「えー……仕事とかめっちゃ厳しいのに、あのちょっと寝癖が跳ねた髪とか、4番目のボタンが取れたシャツとか見てよ。かわいい一面がギャップ萌え」
「私生活がズボラなだけだろ。汚部屋の可能性大っていう事故物件臭がプンプンするんだけど? って、ねえ。野々上、人の話聞いてる? おーい……」
「ああ、素敵だ……戸隠さん」
PCの仕事画面は途中で放置されたまま、俺はデスクから戸隠さんを見つめる。
ああ、あのスーツを、ネクタイを乱してみたい。
ワイシャツの下に隠された鍛え抜かれた身体に触れたい。
朝からそんな妄想で俺の下半身はイライラしっぱなしだった。
ともだちにシェアしよう!

