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1.本社経理の戸隠さん②

 営業所の6階にあるトイレは使用頻度が低い。  なぜならその階には会議室とか、特別プロジェクトが編成された時用の空部屋しかないからだ。使われない時はレンタルスペースとして貸し出しているらしい。だが借り手の多くが名ばかり法人(ペーパーカンパニー)なので人の気配はない。  秘密裡に『処理』をするにはうってつけの場所だった。 「ぅ……んっ」  朝から熱を帯びたままだった下半身の鬱屈を丸めたトイレティッシュの中へ吐き出す。  ここは実に良い。  5階までは直通のエレベータが付いているのだが、6階は階段でないと入ることができない。だから5階までのトイレは男女ともに人の出入りがあるのだが、ここへは清掃の業者以外は滅多に人がこない。  気になるアレの匂いだとか、スマホで流すオカズAVの音声だとか、それこそ秘密のそのものだとか、気にすることがない。基本的には立入禁止になっているが、古株の間ではロハのヌキスペースとして暗黙の了解となっていた。 「まだまだ元気だよねえ、俺のムスコは」  俺は脱力したムスコを綺麗にしてから身支度を整える。30代と言うと人によってはストレスや疲労からEDを経験する人もいる年齢だ。しかし筋トレと毎日のオナニーを欠かさない俺にその心配はない。  俺は鼻歌交じりに個室から出る。  その直後、トイレに入ってきた戸隠さんとばっちり目が合った。 「あ……」  お互いに声がシンクロして、身動きが取れなくなる。  俺の理由は簡単だ。男なら誰でもわかるアレの匂いがまだ残っていたから。  戸隠さんはたぶんここへ来たことを誰かに見つかった気まずさの為だろう。なんといってもここは「ロハのヌキスペース」だ。勤続25年のうち、結構長い間、戸隠さんはこの営業所にいたと聞いたことがある。暗黙を知らないはずがなかった。 「あは……ど、どうも……」  俺はずらした視線の先で、どこかへ消えてしまった4番目のボタンの穴を見てしまった。  男女ともに胸が大きい人あるあるだ。  よく漫画などでは胸の一番高いところでボタンがはじけ飛ぶ描写がある。胸の大きさを強調するには一番わかりやすい表現なのだが、現実では意図的でない限り、そうはならない。なぜなら服を選ぶとき、大体誰も肩幅と胸の厚さ、長袖なら腕の長さを基準にして選ぶからだ。サイズが変わることで値段が大きく違ってしまうことでもない限り、胸廻りと肩まわりには余裕を持ったサイズを選ぶ。  ところがそうやって選んだにも関わらず、ベストやシャツなどのボタンが付いた服でいつも負荷がかかる場所がある。いわゆるブラジャーのアンダーにあたる場所だ。  どんなに着やせをしていても、いや、着やせをするからこそ、実際の胸の大きさはそのアンダーへの高テンションという形で現れる。  あの穴へ、入れたい。  戸隠さんのはじけ飛んだボタンの下は肌色だった。下着を着ないタイプなのだ。だからあの白いシャツの下にはもう筋トレで鍛え上げられた豊満な雄っぱいがある。  それを思うと先ほど宥めた股間がまたぞろムクムクと元気を取り戻す。  いけないいけないと、思っていると逆に俺の正直な口は饒舌になっていた。 「戸隠さん、ボタン、取れてますよ」  俺が指摘すると慌てて戸隠さんはシャツを引っ張る。気が付いていなかったのだ。 「あ! まただ。もう……」  可愛らしい舌足らずな猫なで声に仕事上では見せることのない柔和で年齢相応のうっかりした困り顔。もう、天然乙女か。  経理という間違いが許されない数字を扱う関係上、オフィスの中では決して抜け目がない。それがこと生活面においてはかなり天然の抜けっぷりを見せる。そのギャップがもう俺にはたまらなくかわいくてしかたない。  だって俺はオケ専完タチのゲイだから。  ああいう蕾のままで枯れてしまった感じの仕事一辺倒の地味オジの処女を、大輪に咲かせて散らしてやりたくてしかたなくなる。  今ならロケーションは最高だ。  ここならどんなに音をたてても誰にも迷惑をかけたりしない。  だが相手が同じ性向とは限らない。そこを無理やり襲ってしまったら俺はただのレイプ犯になってしまう。  何より俺は戸隠さんを愛したいのであって、俺の欲望のはけ口にしたいわけではない。  一歩ずつ、一歩ずつ、相手の信頼を侵犯して、最後に相手から完全降伏させる。それが俺のセオリーだった。  だからその場の俺は下着の中で不穏な熱を帯び始めるムスコを諫め、極めて紳士的で爽やかな『筋トレ仲間』の後輩を装った。 「わかります。筋トレしてる人あるあるですよね。男女とも胸筋がデカくなると、2番目とか3番目のボタンには気を付けるんっすけど、その下のボタンは割と死角になって気づかない。でもテンション一番かかるのはそこなんですよね。腹筋との厚みの差が出るとなおさら」 「そうなんだよねえ。だから私服じゃボタン付きは一切着ないんだけど、うちの会社じゃそういうわけにいかないし」 「家ではどんな?」 「割とぴちっとしたハイネックとか? ほら、速乾性のヤツであるじゃない?」 「でもアンダーとか着ない、ですよね?」 「布地が擦れ合ってのがガサガサしてあんまり好きじゃなくてね。本当はスーツのジャケットも好きじゃない。でも人前に出るのにそれっていうわけにもいかないから、会社ではジャケット着てるし、家ではパーカー羽織ってるけど」  マジか。  鍛え上げられた肉体にぴっちりと張り付く速乾性のスリーブシャツ姿を俺は一瞬で想像する。布の触れ合う感触が嫌いだってことは、家ではゆったり目のトランクス一枚とか、逆にぴったり目のアンダー一枚で、出かけるときだけパーカーとズボンをシブシブ着てるとかそういう感じだったりするのだろうか。  想像するだけで加速度的に股間は熱を帯びていく。  戸隠さんを見てるだけで常にオカズAVいらずなんて元気すぎるぜ、俺のムスコ!  俺は少し前かがみ気味に手洗いへ向かうと、強めの水流で手を洗う。冷たい水と圧力に集中して、頭に上った熱を少しでもおさめたかった。 「戸隠さんは、ここ、よく利用するんですか?」  背後を通り過ぎる戸隠さんに俺は尋ねる。 「腹が緩い、とか? そういうの、ありますよね。音、聞かれたくないし、出るに出られないときとかって」 「君も?」 「ええ、まあ。ここ、人が来ないんで、穴場なんですよね」 「ホントに?」  急に戸隠さんの声が艶を帯びたような気がして俺ははっと顔を上げた。   「ここでナニ、してたの?」  さっきまで俺がいた個室に入った戸隠さんと鏡越しに目が合う。  いつもほやんとしている細めの瞳が、ずらした眼鏡の上から上目遣いで俺を見ている。仕事で見せる無機質な厳しさとはまた違う、人を判断する目。サディスティックな視線に背筋がぞくっとした。 「匂い……消えてないよ。若いね」  耳元で揶揄うような軽やかな声だ。ただ声の質が高いから、ぞくぞくするほどセクシーに聞こえる。  俺はゆっくりと振り向く。すでに股間は隠しようがないほどにぱんぱんになっていた。  戸隠さんの視線が張り詰めた俺の下半身から腹、腰、胸、首、唇を舐める。まるで視姦されているような気分だ。でも悪くない。そう思えるのはお互いが合意の上で発情しているからだ。ハッテン場のルールを戸隠さんは間違いなく知っていた。  戸隠さんは俺から目を離すことなく、ボタンが弾けて穴のあいたシャツを事務職の人間特有の長くて皴の少ない中指と人差し指を使って大きく開いて見せる。胸襟と腹筋の境目が肌色の影となって浮いていた。 「入れて、みたいんじゃない、それ?」  誘惑に心臓が高鳴る。呼吸が荒くなる。口の中が渇く。それは戸隠さんも同じようで、薄い唇をちろりと出した舌先で舐める。唾液に濡れた唇が艶めいて一層扇情的だった。  その穴に、入れたい。  入れて、豊満な胸の谷間に擦り付けて、そのまま胸、鎖骨、首筋、顎を欲望の飛沫で白く穢してみたい。  俺は頭の中で思いつく限りの卑猥な妄想にたきつけられ、ふらふらと戸隠さんの元へと吸い寄せられていく。  戸隠さんはシャツの穴を大きく開いたまま、俺から目を離すことなく、ゆっくりと蓋のしまった便座に座る。それでも男二人の個室は狭い。 「いいよ……好きにしても」  戸隠さんの許しを受けた俺は、扉を閉めないままで、ズボンのチャックに手をかけた。

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