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12.戸隠さんと俺とNew year,New World③

 海沿いの道路を750ccのバイクが静かに走っていく。  少し波の高い、けれども比較的穏やかな朝の海に、白い太陽の光がキラキラと反射している。  俺達にとっては初日の出。しかし世間一般に言えば松の内最終日の朝日である。それは心なしかいつもよりも黄色く輝いてみえた。  風は冷たいが、二―グリップでしがみ付いた戸隠さんの背中は暖かい。  目的地を定めずに走ってきたが、結局たどり着いたのは少々遠方のそれなりに大きな神社の一つだった。 「腰、大丈夫ですか?」  駐車場で自販のホットコーヒーを手渡しながら俺は尋ねる。 「ん、まあ……なんとか」  戸隠さんは停めたバイクの座席に腰を軽くかけて、ちびちびと飲み口から湯気を上げるコーヒーを口にする。  結局、元旦は一歩も外を出ることなく、二日も日が暮れる頃に切らしたローションとゴムの補充以外、まったく外へ出ることがなかった。  セックスして、風呂に入って戯れ、腹が減ったら適当に買ってきたものを食べる。ソファで軽くイチャイチャして、気分が乗ったらセックスして、眠って、起きたらキスして……と、まあ、爛れた二日間を過ごしたのである。さすがに体力と社会人としての真っ当な常識がこのままではいけないと警告を発したので、今日は朝早くに車をバイクに乗り換えてツーリングに出てきた次第だった。 「一年の計は元旦に在りといいますが、まあまあ、恋人同士としては正しい感じの過ごし方でしたね」  俺達は本殿へ向かう参道の砂利を踏みしめて歩いた。松の内だけあって境内の飾りつけは正月の風情に満ちている。ただ、多くの人々は元旦に来ているはずで、辺りは普通の神社の平日の賑わい程度の人の入りだった。 「あれが一年の計だとするなら、失業しそうな勢いだよね。暇があればずっとエッチしてたし。あ、アレってさあ。姫はじめって言うんじゃない?」 「姫はじめ……。意識しなかったけど、そうですね。ああ、もったいない。そのつもりでヤッたら、もっと違う感じに盛り上がれたのでは」 「来年でいいじゃない」  鬼が笑うには早すぎる戸隠さんからの未来の提案に、俺は一瞬素になってしまう。  その顔を戸隠さんが覗き込んだ。 「どうしたの?」 「これまでだいたい年上が多くて、ビジネスライクな付き合いで長くは続かなかったし、未来の話ってしたことなかったから、先の話がすごく新鮮で」 「僕も15程君より年上だけどね」  ははは、と戸隠さんが笑う。その笑顔につられて、俺も自然と顔が緩んだ。 「若い若い。俺が60でもまだ75じゃないですか」 「君の前の彼氏よりは元気で長生きできるように健康には気をつけとかないとね」 「お互いに。夜のエクササイズのインストラクターはまかせてください」 「……ぇっちぃ……」  隣から目元ほんのり赤らめた流し目で見送って、戸隠さんは形のよい唇にアルカイックスマイルを見せた。  本殿では戸隠さんの慣れた作法を横目に俺は慣れない参拝をする。  神様の前なのでバイカーズグローブは脱ぐ。戸隠さんが神妙に合わせた手、その左手には鈍い光を反射させるプラチナゴールドの指輪があった。 「今年は……アヤさんに話をしようと思う」  境内の片隅に臨時で儲けられた屋台の先で、繊毛の引かれた椅子に並んで座る。出された団子と抹茶を傍らに、戸隠さんは左薬指の指輪を弄んで言った。 「あの家を、出ようかと思うんだ。娘が手を離れてからにはなるから、最低2年は先の話になるし、たぶんすぐ解決することとじゃないけど、そのための準備についてはしておくべきだと思う」  するん、と戸隠さんの指から指輪が抜けた。それを革ジャンの胸ポケットへ何気なくぽいっと放り入れて、戸隠さんは組んだ足の膝の上に指を絡ませた両手を添える。なんの気遣いもためらいも見られない一連の動作に、この二日間で彼の中で何が吹っ切れたのだろうとわかった。 「一人で?」 「そうだね。生活力はあまりないから、大変だろうと思うけど」  といってもアヤさんが家事をやっていたわけではなく、戸隠家には家政婦さんが常駐しているのだという。洗濯や掃除、食事の支度などは彼女が一手に引き受けていて、娘さん以外は彼女の恩恵に頼りっきりなのだ。  戸隠さんが出ていけばその分の資産や収入が減るわけなので、家政婦を雇い続けられるかどうかはわからない。 「娘にも、きちんと話をしようと思う。僕の事も、美俊さんの事も。彼女はきっとアヤさんについていくだろうから、まあ、彼女の事は大丈夫だと思う。でも僕は自分でやっていかないとね」  昔はそれなりに一人でやってきたんだからできるだろう。  戸隠さんは孤児だった30年以上前を根拠にそう言った。ただやってきた年数の倍をやらないで過ごしてきて、できるかというと甚だ怪しかった。 「一緒に暮らしません? 俺、少しくらいなら家事出来ますよ」  にやっと笑って提案する。戸隠さんは鳩豆顔だった。 「え、いいの?」 「え、そういう話の流れだと思ってましたけど?」  俺は戸隠さんの左手を取って、痕だけが残った寂しげな薬指に唇を寄せる。 「ここに、俺の指輪を送らせてほしいな」  ちゅっと音を立て、軽く甘噛みする。上目遣いで戸隠さんを見ると、泣きそうな顔で微笑んでいた。   「じゃあ君の指に、僕の痕をつけさせてくれるなら」  戸隠さんは俺の左手をとって唇を寄せる。そうして俺がしたのと同じようにちゅっと音を立てて、軽く甘噛みをした。  人にやってて何ではあるが、人からされるソフトタッチな接触はかなりクる。特にこの二日間がセックス漬けだったので、すぐに俺のムスコは期待で暴れだした。  俺は太ももにぐっと力を入れて、ムスコを諫めた。 「あー……どうしよ。今すぐ抱きたい」 「帰り、どっかのホテルに入る?」 「いいの? 明日、アヤさんと娘さん迎えに行くんでしょ?」 「毎年昼過ぎだよ。迎えに行ったら足止め食らって長くなるから、午前中はゆっくりさせてもらってる。手加減はしてね。腰が立たなくなると困るから」 「是非!」  ふふふ、と笑いあい、抹茶と団子を口にする。  あたりを吹き抜ける風は頬を刺すように冷たくて、思わず肩をすくめるほどだった。  けれど、ふと見上げた空は、雲ひとつないほどに晴れ渡り、澄み渡った青がどこまでも清々しく広がっていた。 【終】

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