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第24話

 嬉しそうに笑ってくれるのかと思いきや。  レオニスは顔を赤くして俯いてしまう。  何なんだ、コイツは。本当に千年を生きた吸血鬼なのか? そんなウブな反応をするなんて思わなかった。  くそ。可愛い。  最近レオニスが寂しそうにしているのはわかっていた。  理由は俺が素っ気ないから。  しょうがないだろう、コイツときたら血を飲めばフェロモンを出すし、それに無自覚だから俺は無体を働かないようにそそくさと離れるしかない。部屋に引きこもってすることと言えば、シャワーを浴びながらの自慰だ。そうしなければ、レオニスの部屋から香る精の匂いに気づいてしまう。理性を忘れて寝室にすっ飛んで行ってしまう。  好意は既にわかっていた。  レオニスは俺を求めている。  嬉しいさ。そりゃもちろん。美しく濡れた瞳で見上げられれば、グッとくる。  だが、だからこそ俺の身の上の「重さ」が足枷になる。 (永遠に愛してくれなんて、いきなり言えるか)  レオニスには火遊びみたいな好意かもしれない。ひとときの感情だったらどうする。  腹立たしい自分の身体。かつて親父は俺に「お前次第だ」と言った。それは番の相手に好かれる努力をしろということだろう。縋ってでも愛を乞えと? そうしたって壊れるもんは壊れる。  死が怖いのかと言われたら、もちろんそうだ。  しかも愛を失って絶望しての死だ。何せレオニスは不老不死。人間のように老衰も病死もない。奴に惚れてしまった俺の死は決まっている。失恋死のみだ。  この星最後の人狼が「フラれて死にました」では、あまりにもお粗末だ。そんなことにならないように、この星が滅びるまで生きてやろうと、誰にも関わらず恋もせず生きてきたのに。  まさか、吸血鬼に惚れるとは。  俺自身どうしていいかまるでわからない。肉体関係を築いた相手は数多いたが肉欲のみで、心を奪われたことはなかった。  恋愛のイロハなんてわからない。今の俺には本能的な情動しかなくて、惚れたら何をするべきかなんて皆無だ。  ならば想いを隠すしかない。  だが隠せば隠すほど、ダメだと思えば思うほど肉欲は先行して燃え上がってゆく。カリギュラ効果というやつだ。 「ペントハウスに、帰る」  そう言ったレオニスの赤い頸を見ながらついて行く。祭りのイベント会場を突っ切り、通路脇のスタッフ専用エレベーターに乗り込む。乗り継ぎながら地下のペントハウスに向かう。静かな2人の空間。どうしても意識してしまう。レオニスもだろう、悪い癖がついちまってそんなとき奴は淡く香るのだ。 (くそ…頭がくらくらする…こうも美味そうな匂いを出した奴を前におあずけをくらってんのは)  そこいらで女を引っ掛けて鬱憤を晴らすことも考えた。実際、試しもした。だが何のことはない、味のしない乾いたスポンジを口に突っ込まれたような感覚で、ろくに勃ちもしないのだ。  そりゃそうだ。欲しい者が決まってるのに目移りはしない。しかもその欲しい者も俺にフェロモンを撒いてくれている。その匂いを嗅げば、俺は―― 「!」  ドッと。  唐突に。腹の奥から込み上げる強い力の感覚に身体を折る。 「…っ、グ…」  感じたことのないほどの強い衝動に、俺は口に手を当てえづいた。脂汗が出てスーツの中を滑る。そのまま動けず、短く息を吐くしかできない。心臓がドッドッドっと音を立てる。額を汗が伝う。  俺の変調にレオニスも気づく。 「スラッシュ? どうした」  心配げな声。俺の肩に奴が触れる。 「!」  その感触に、ビクッと身体が跳ねる。  ダメだ。これは。 「触…るな」 「えっ」 「……傷つけ、たくない…」 「スラッシュ?」  いいタイミングでエレベーターがチンと音を立て開いた。俺はレオニスを突き飛ばし外へ出して、すぐに「閉」のボタンを押す。 「スラッシュ!」  閉じる扉の前で振り返るレオニスの顔は、酷く不安げで。だが俺は手を前に出したまま奴を押し留めた。扉はスゥと閉まり動き出す。  最悪だ。  顎から汗が滴るほど身体が熱い。息があがったままで落ちない。思考がまとまらない。ただぐるぐると渦巻く断片の中心にはひとつの命令しかない。  「種」を植えろ。  それを振り払うように、開いたエレベーターから喘ぎつつ飛び出す。誰もいない薄暗い廊下を走り抜け、体当たりする勢いで外扉を開く。  冷たい風と雪がすぐさま身体にビタビタとぶつかった。かいていた汗が一気に凍る。  5メートル先も見えない雪の夜。街頭の光だけが降り頻る雪を赤く照らしている。道脇は雪で埋もれ、俺はスラックスの足で雪を漕ぎながら暗い裏通りを意味もなく歩き回った。蛇行し、円を描きながら。  恐ろしく寒い。剥き出しの肌はすぐに感覚を失う。  スーツの襟を立てて顔を埋める。  だが、熱は失われない。  脳髄から、腰、そして股座に。  抗い難い強い衝動。 (やめろ…、ヤメロ!)  壁に手をつき、額を打ちつけた。  脳裏に浮かぶのは、いつか知ったレオニスの肌の感触。俺の首を探る唇、舌…絡みつく長い手足。甘い吐息、青く輝く虹彩。  淡い金木犀…それに混じる、俺を誘うフェロモン…  嗅ぎすぎたんだ、俺は。  壁に額を擦り付けたまま半身が白く雪に覆われて行く。目を閉じ、襟の中で自分の呼吸だけを聞いている。気を抜けばペントハウスに舞い戻りそうになる足を踏ん張って。 このまま凍ってしまう方がいい。  戻りたい 春まで見つからなくていい。  抱きしめたい 傷つけたくない。  犯したい 知られたくない。  教えてやりたい 俺の「愛」を――… 「スラッシュ」  そばで穏やかな声がした。  雪で凍りつきかけた瞼をあげる。立てた襟から白いスーツが見えた。吐き出す短い息が白くなるが、すぐ風にさらわれて行く。  何故、俺がいる場所がわかった? 「馬鹿、野郎…来るな、と…」  何とか呟いた。  降り頻る雪の中なのに、レオニスの顔は穏やかに俺を見ていた。白い髪も肌もスーツも、雪景色が見せた幻想のようで、まるで奴がこの吹雪を呼んでいるかのように見えた。  長い指が俺の肩から雪をはらう。二の腕をたどり、背中に回る。それだけで凍りかけた肉体が溶ける。 「俺は、発情…してる」  近づくなという、最後の通告。  俺の声は小さく、聞こえたかわからなかった。  だがレオニスの瞳が美しく揺らいだのが見えた。 「スラッシュ」  俺の襟の側まで顔を寄せる。奴の吐く白い息が俺の顎に触れるくらい。  掌が襟の中に埋めていた俺の顔に伸び、ほんのり温かいそれが頬を包んだ。 「おいで」  優しげでいて、否応のない声だった。  吹雪は一層強く、街を埋めようとしている。  だが俺の頭の中は…  嵐のようだった有象無象の思考はどこかへ吹き飛び、残されたのはひとつだけ。  レオニスに「種」を植えろ。

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