1 / 50
第1話
直木賞が発表された初夏のある日、|今泉煌《いまいずみこう》は大学の最寄り駅の書店に駆け込んだ。冷房の効いた風を全身に浴びるとかいた汗がひやりとして気持ちがいい。
入口には直木賞作品を集めたフェア台が道を塞いでいる。絨毯みたいな赤い布を敷いた上には候補作品がいくつか置かれていたが、そのなかに目的の作品はない。
(やっぱりすぐ売れちゃうよな)
昼過ぎに受賞作品が発表されたばかりだが、一足先に買われてしまったのだろう。
話題になっているものはすぐに手に入れたい質で、売り場に貼られたポスターを見ると購買意欲が駆り立てられる。
恨めしくポスターを睨みつけているとちょうど黒いエプロンをつけた店員が前を横切った。長身でガタイのいい男だ。不揃いな黒い髪はハリネズミのように堅そうに見える。
「すいません。『咲くひまわりは涙を吸う』はありませんか?」
男はちらりとこちらを見て無表情に見下された。一八〇センチある自分より上背があり、肩幅がしっかりしている。太い眉の下にくっきり線を引いた二重がわずかに吊り上がり、冷たそうな印象を受けた。
案の定、男は少し小馬鹿にしたように眉を寄せる。
「昼には売り切れました」
「……そうですよね」
冷たい言い方もプラスされしょんぼりと肩を落とした。やはり夕方に買いに来るのは遅かったらしい。
すぐ重版されるだろうし待つしかないと慰めて店を出ようとすると「あの」と男が続ける。
「もしよかったら持ってるんで貸しますよ」
「え、でも」
「ちょっと待ってて」
男はさっさとバックヤードに行き、ものの数秒で目的の本を持って戻ってきた。
「返すのはいつでもいいから」
「……ありがとう」
「てか同じ大学だよな」
「そうなの?」
「たぶん学年も学部も一緒。あんたのこと何度か見かけたことある。本、読むんだな」
「読書が好きなんだ」
「俺もだ」
さっきの冷たさが嘘のように子どもみたいな無邪気な笑顔に一気に落ちた。
これが|楠川大翔《くすがわひろと》との出会いだ。
しばらく本の貸し借りで親交を深め、講義を一緒に受けるようになり一気に仲良くなれた。
日々膨らむ大翔への想いに玉砕覚悟でゲイであることを告げて無理やり身体を繋げた。ストレートである大翔では振り向いてもらえないとわかっていた。けれど意外なことに大翔は自分の想いに応えてくれた。
そして一人暮らしの自分の部屋に半同棲状態が三年続き、二十二歳になった三月。
煌は教員採用試験、大翔は就活と人生の道が決まり、自宅でささやかなパーティーを開いた。
「大翔、おめでとう」
「煌もおめでとう。毎日勉強頑張ってたもんな」
「それはお互い様だろ」
ワイングラスを遠慮気味に合わせて一口飲んだ。
料理が得意な大翔が作り、自分は酒やつまみ、デザートを買い揃えた。小さなテーブルに乗り切らないほど豪華だ。
たらふく食べて飲んでベッドになだれ込む。お互い就活で忙しくてご無沙汰だったセックスは甘くて理性が飛ぶほど溺れられる。
でも大翔とのセックスは一回で終わる。これだけ痺れるような快感が一回だけでは到底足りない。
大翔は女を抱いてきた生粋のノーマルだ。真っ当な道を踏み外させてしまった負い目から、もっとしたいという言葉は吐き出せずにいる。
「風呂溜めてくる」
「ありがと」
下着だけを履いて大翔は洗面所へと向かう。その逞しい背中を見て、ずんと下腹部が重たくなった。
セックスの快楽を知っている身体はもっともっとと欲張りになっていく。
「はぁ……」
重たい溜息を吐いて枕に顔を埋めた。大翔の匂いが染みついる。もう一回。いや、せめて愛撫だけでもーー悶々と考えていると下半身が勝手に固くなる。こういうとき男の身体は素直すぎて厄介だ。
「どうした?」
「なんでもない。風呂入ってくる!」
大翔に見られないよう脱いだ服で身体を隠して風呂場に飛び込んだ。冷たいシャワーを頭から浴びると火照った熱が冷めてくる。
(大丈夫、なんてことない。こんなの我慢すればいいんだから)
セックスが少ないからってなんだ。大翔は言葉や態度で愛情を示してくれる。それだけで十分幸せなのだ。
多少の我慢はできるくらい初めての恋人に溺れていた。
ともだちにシェアしよう!

