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第13話

 その瞬間、璃斗の顔から表情が消えた。 「パトロールだ。あれからアイツは来たか?」 「来てないよ」 「そうか」 「わざわざ寄ってくれてありがとう」  そっと前に出て、さりげなく高須を店の外に追いやろうとするが、うまくいかなかった。高須は璃斗の体をすり抜けるようにして店舗の奥に向かって歩く。 「高須君、悪いんだけど、今、来客中なんだ」 「ふーん。で?」 「それはちょっと。込み合った話をしているんで、時間が読めない。せっかく治安のことで様子を見に来てくれたのに悪いんだけど」  正直に言い、言外に帰ってほしいと匂わせると、高須はちらりと奥に続く扉に視線をやってから、ぐいっと体を寄せて至近距離から見下ろしてきた。耳元まで顔を近づけてくる。 「わかったわかった。また来るわ」  言うと、璃斗の背中をポンと叩いて店から出ていった。その際、一度振り返ったが、目つきがなにやら厳しかったことは気づかなかったことにしようと璃斗は思った。  奥の休憩部屋に戻り、豊湧の前に座り直す。 「すみません、お待たせしてしまって」 「知り合いか? 親しげな口調だったが」 「幼なじみです。駅前の商店街で代々会長をやってる家の息子で、このあたりじゃ有名な人です。体が大きいし、本人も鍛えているので、なんというか、お山の大将って感じで、誰も歯向かえないんですけど、商店街の会長の家系って自覚はあるんで、一応、商店街内でトラブルがあったら威嚇も含めて見回っているんです。本人は就職して、会社の近くに住んでいるんですが」 「では、トラブルがあったので戻ってきているということか?」 「……まぁ」  歯切れの悪い璃斗に豊湧は首を傾げた。 「なにか事情があるのか?」  少々迷ったものの、隠すことでもないので先日の困った客のことを話した。豊湧はなるほどと納得しているが、どこか不満そうだ。 「豊湧さんが憤ることはないですよ。それに一般の通行人に絡むことはないと思うし」 「そういう性根の腐った者が増えて野放しになることはよくない。負は負を呼ぶ。やはり代替わりで呪力が弱っているのだろう」 「じゅ、りょく?」 「呪力だ。まじないの力。ほころびが出ないように気をつけなければならない」 「?」  璃斗が首をかしげているのもかまわず、豊湧は膝の上に乗っている南風の頭を撫でた。 「先ほどの話の続きだが、四天王がある程度成長するまで、面倒を見てもらえないだろうか。そなたら兄弟がいてくれたら、これらも気を散らさず、集中できるだろう」 「豊湧さんはどちらにお住まいなんですか?」 「この先にある神社だ」 「神社? 尊狼神社のことですか」 「そうだ」 「宮司さんですか? あの神社は普段は無人で、正月だけ所属している神社から人が派遣されて社務所を開けるんですが」 「宮司ではないが、私が守ることになった」 (事務仕事とかするために派遣されたってことなのかな)  ますます首を傾げる璃斗に、ねえねぇ、と真二郎が服を引っ張った。 「行こうよ、にいちゃん。茶丸たちの面倒見ようよ」 「でも……店があるから」 「じゃあ、俺だけ行くよ。豊湧さんの家に住むんだから安全だろ? ここから近いし、時々様子を見に来るから」  これではどちらが年長者かわかったものではない。 「いや、でも、いくら近くても、住み込むってのは……」 「行く! 茶丸黒丸白丸と一緒に暮らしたい!」 「でも、真二郎」  名を口にして璃斗は次の言葉を飲み込んだ。真二郎の目から大粒の涙がいくつも零れ落ちたからだ。 「いやだぁーー! 行くぅーーー! うわああーーーーーーーん!」  いきなり大泣きを始めて璃斗の目が丸くなった。こんなふうに感情を爆発させる真二郎を初めて見た。 「真二郎……」 「行くーーーーっ! 行きたいぃーーーーっ。あーーーーーーんっ」  あまりのギャン泣きに子犬たちも驚いて豊湧の後ろに隠れてしまった。四匹体を寄せ合って震えている。こんな声で泣かれたら近所迷惑でもある。とはいえ、かといって、真二郎をよくわからない者の家に一人でやるわけにはいかない。  それ以上に、今まで真二郎がいろいろなことを我慢していたのだろうと察した。  義母の倫子から、彼の実父がDVだったと聞いている。逃げるように家を出て、親の離婚が成立して、やっと安全だと思っていたら、しばらくして新しい父親ができて。  その父親は優しい男ではあったが、真二郎にとっては赤の他人だ。嫌だと思っても言い出せなかったのだろう。 (真二郎はまだ九歳だ。たった九歳なのに、いっぱい我慢してきた。僕はこの子に、自由でのびのび暮らしてほしいと思ってる)  璃斗は大きく深呼吸した。 「真二郎、泣き止んでよ。わかったから」 「……わかった? じゃあ、行かせてくる!?」 「行かせてくれる、じゃなくて、一緒に行くんだ」 「え? にいちゃんも?」 「うん」 「店は?」 「しばらく休業だ」 「え、でも」 「僕も父さんたちが亡くなってから、休みらしい休みを取ってないから、いい機会だ。一緒にお邪魔して、二人で子犬たちの世話をしよう」 「ホント!? いいの!? やったぁーーーー!」  両腕を突き上げてぴょんぴょんと跳ねまわる。真二郎にとっては閉塞感の強い生活が一変し、輝いたものになるという期待が大きいのだろう。 「準備ができたらいつでも来てくれたらいい」 「神社に行けばいいんですよね?」 「そうだ」 「わかりました。では、なるべく早く行くようにします」 「待っている」  豊湧は優美に微笑むと、すっと立ち上がった。足元に子犬たちが駆け寄って一緒に歩いていく。璃斗と真二郎もあとに続き、店の外まで見送った。  後ろ姿も優美で、『雅』という言葉をふさわしい身のこなしだ。 (宮司じゃないって言ってたし、いったいどういう身の上の人なんだろう。浮世離れしてるしさ)  豊湧は先の道を曲がって完全に見えなくなると、璃斗はようやく店に戻ろうと身を返した。 「ん?」  真二郎が戸口に立って、じっとこちらを見つめている。 「なに?」 「……うぅん、なんでも」  そう言いながら璃斗を凝視してくる。 「なんだよ」 「にいちゃんさ、強いのと綺麗のと、どっちが好き?」 「は?」 「たとえばさ、トラと孔雀とどっちが好き?」  質問の意図がわからず、きょとんと真二郎を見返す。それから視線をあらぬ方の向け、考える。 「孔雀、かな」 「じゃあ、プロレスとフィギュアスケートは?」 「……フィギュアスケート、かな」  すると真二郎はほっとしたような顔をした。 「わかった。にいちゃん、豊湧さんところに行く用意しよ! あ、休業の張り紙とか作らないといけないよな!? 俺、書くよ」  言うなり、さっと身を翻して店の中に駆けこんでいった。 (トラと孔雀、プロレスとフィギュアスケート……それでなにがわかるんだろう?)  そんなことを考えながら、璃斗は真二郎のあとを追ったのだった。

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