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第16話

 館に案内されると、そこには千早姿の多くの女性がいた。袴の色はそれぞれだが、千早の柄はみな犬だ。そしてなにより、彼女たちの頭にも三角の犬耳がある。 (あの人たちは豊湧さんに仕えてる巫女さんなのかな。犬神か……。確かに浮世離れした雰囲気だし、言葉遣いだし、ストンと落ちてきた感じだったけど、でも、やっぱり、信じられないって気持ちのほうが強い)  館の中は飾り立てたものはなく一見では華美な感じはしない。むしろ質素だと思うくらいだ。だがここが神界の、神の館であるのだから、使われているものは超一級品なのだろう。あるいは神力が宿っているなどの逸材で作られているのかもしれない。 (狛犬も神様の一部だよね? 世話って、なにをすればいいのだろう? 軽々しく引き受けちゃったけど、もしかして、どんでもないことをしでかしたんじゃないか?)  天井、壁、梁、襖、畳。日本家屋らしいもので、璃斗的には違和感はない。しかしながら、やはりここは神界で神の住む館と思うと落ち着かなかった。  豊湧について入った部屋には、中年の女性がいた。千早がほかの女性と異なり、淡く薄い金色をしているので、地位が高いのだろう。  お多福型の顔だが、やや垂れ目で表情は柔らかいせいか、とても優しそうな雰囲気を醸し出している。 「これは彩麻《あやま》といい、巫女たちの長だ。わからないことがあれば、これに聞くがよい。彩麻、四天王たちの世話をしてくれる花巻璃斗、外にいるのはこの者の弟、真二郎だ。部屋に案内し、一日の様子を説明してくれ。それから彼らの食事だが、影響が出ないように気をつけて出すように」 「心得ておりますよ。さぁ、璃斗殿、こちらへ」  璃斗が不安から豊湧の顔を見ると、その豊湧はうっすら微笑んでうなずいた。 「さぁ」 「はい、すみません。よろしくお願いします」 「こちらこそ」  微笑んで軽く頭を下げる彩麻に、璃斗の心には安堵が広がる。実は先ほど通り過ぎた巫女たちは、璃斗向けてみな無表情で、なんとも言えない不安を覚えたからだ。  少し歩き、彩麻が障子を開けた。 「こちらです」  八畳くらいの部屋だ。奥には襖があり、彩麻がその襖も開くと、同じ広さの部屋が続いていた。 「二間、弟君とお二人、お好きなようにお使いくださいませ。お二人は四天王様のお世話ということなので、我々の活動と時間が合わないかもしれません。ですが、お食事に関しては、人間のものをご用意しないといけませんので、朝晩は三度の鐘が鳴りましたら、今からご案内する場所にいらしてくださいませ」 「昼はどうすればいいのですか?」 「申し訳ございません。我々神の巫女は、昼は食事をしないのでございます。ですので、お昼はご自身でご用意をお願いいたします。食材はございますのでご自身で調理なさるか、あるいはご自宅へ戻られるかは自由でございます」 「わかりました」 「こちらへどうぞ」  また縁側に出て、まっすぐ進む。  広くて驚くものの、廻縁や幅木が場所によって色や形が異なっているので、これを覚えると迷わずに済むだろう。  幾度か角を曲がり、そこから土間へ下りて奥の扉を開けたら調理場があった。 「御廚子でございます。璃斗殿には、台所と申し上げたほうがよろしいでしょうか。自由にお使いくださいませ」 「みなさんも僕ら人間と同じものを食べるんですか?」 「一部ですね。それに量も少ないです。神力が保てればよいだけですので」  彩麻はたくさん並んでいる籠蓋の一つを取った。中にナスが数個置かれていた。 「わたくしどもは、肉はいただきません。ですから、ご用意する食事に肉物は乗りません。魚や貝もです。もしそのようなものを望まれるならご自身でお願いしたいですが、大丈夫ですか?」 「大丈夫です。僕はお弁当屋をしているので、料理は得意です」 「さようでございますか。それは失礼なことを申し上げましたね」 「いえいえ、とんでもない。むしろ、みなさんのお手を煩わせるのも申し訳ないので、食事は自分で用意しようと思うんですけど……」  彩麻は垂れた目を丸くした。 「あの……おかしなこと、言いました?」 「いえいえ、そんなことはございませんよ。しかしながら、ここに慣れるまではようございましょう。しばらくは我々にお任せいただき、お昼だけお願いしたいと存じます」 「わかりました。あの、ところで、豊湧さんも昼はなにも食べないのでしょうか?」 「はい。というより、豊湧様は犬神様でございますから、なにも召し上がらなくても命が削られることはございません。悪行を働いた不届き者や、息絶える者の命を吸い上げられて、体内で浄化されます。その浄化に必要なものだけ口になさるだけでございます」  だんだん話が人間離れし始めて、璃斗は自分が現実に接し出したことを痛感した。 (命を吸収するだけでなにも食べなくても死なない豊湧さん、動物性たんぱく質を取らない巫女さんたち。ここにいる人たち……人じゃないけど、は、やっぱり僕らの世界の常識の外にいる。これからこういう存在と接していかないといけないのか)  だけど、と思う。 (すべては真二郎のためだ。あの子が明るくなって、毎日が楽しいって思える状態にしてあげたいんだ。親のいないあの子のために、僕ができることはなんでもやってあげたい。縁あって家族になったんだから)

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