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第6話
しかしイアンはすぐに苦笑を浮かべた。
「ごめん、兄さん。もし文官試験に受かったとして王宮勤めなんて、僕には向いてないよ。一日中王宮の中で仕事なんてうんざりだもの。それならやっぱりミリシュ村へ行きたい」
前世で散々机にかじりついていたのだ。その上職場で命を落としてしまった。せっかく新たな人生を満喫しているのに、また四六時中書類とにらめっこなどごめんだった。
「それにね、僕の土魔法でどこまでやれるかも試してみたいし」
その言葉は本当だ。今はこの家の近くの限られた畑でしか作物を育てられていないが、広い土地でもっと大がかりに農業を手がけたい。
イアンの熱意が伝わったのか、フリードは少し考えた後に小さく溜息を落とし、それから口を開いた。
「そうか。嫌々というわけではないんだな? 婚約破棄で自棄になっているわけでもない……そうだな?」
「もちろん。そりゃあ、アンナとのことはショックじゃないといったら嘘になるけど、貴族だからね。もしかしたらこんなこともあるだろうな、と頭の片隅にいつも置いていたし、覚悟もしていた。だから自棄じゃない。お願い、ミリシュ村に行かせてください」
そうイアンはフリードへ頭を下げた。
「……けっして楽な道じゃないぞ。それに私たちも気軽に手助けできるような場所じゃない。それはわかっているな?」
「わかっています。でも、これもひとつのチャンスだから、僕は頑張ってみたい」
「わかった。じゃあ、父上にはそう伝えておこう」
「ありがとう、兄さん」
イアンが礼を言うと、フリードは手をひらひらとさせながら、その場を立ち去った。
(よかった。でも兄さんがあんなに厳しく言うなんて意外だったな。ミリシュ村って、やっぱりかなり辺鄙なところなんだな。報告書で見た視察費用の割合がやけに高いと思っていたけれど、冒険者の護衛分の金もかかっていたのか)
地図や報告書を見たときに、一応は覚悟したつもりだったが、ミリシュ村へ辿り着くまでは厳しそうだ、とイアンは気を引き締める。
「早速、向かう準備をしなくちゃ」
両手でパチン、と自分の頬を叩き、気合いを入れながら、善は急げとイアンは支度をはじめることにした。
イアンの宣言から半月が経ち、アドリントン家を出る日がやってきた。
本当はすぐに出ていければよかったのだが、畑などについて兄たちに引き継ぎをしたり、さすがに辺境の地へ向かうとなると支度にも時間がかかり、半月も時間を費やしてしまったのだ。
とはいえ、ひとまずミリシュ村の領主管理人という立場でイアンは赴くことになる。
管理人とはいうが、もともとミリシュ村からこの何十年も徴税は行われていなかったため、徴税に関しては当面の間見逃してくれることとなった。その間に村を立て直すことができれば、そのときに考えるとグスタフは言ってくれた。
持ち物はバッグがひとつ。といってもこのバッグはマジックバッグで、本棚ひとつ分くらいの荷物であれば収納できる便利なものだ。
そこに野営用のテントと当面の食料と野営に必要な道具や道中に必要になるだろう数々の薬草を入れた。またアドリントン男爵のサインと印章をしたためた辞令の書類と当面のお金。金はこれまで貯めたアルバイト代の銀貨三十枚と両親が持たせてくれた金貨三枚、これがイアンの全財産になる。
イアンに持たせてくれた金貨三枚を捻出するのも今のアドリントン家にとってかなり無理をしたことだろう。はじめイアンは辞退したのだが、どうしても持っていけと珍しく父親が涙を流したので、ありがたくもらっていくことにした。
森に差しかかるところにある村までは辻馬車が走っているのでそれを使うことにし、そこからは徒歩でミリシュ村へ向かう予定である。
本当は途中の村で馬を調達できれば一息に森を抜けられることからそれが一番いいのだが、それは難しかった。なにしろ片道だけの旅になるため馬は借りることはできず買い取りになるからだ。買い取るとなるとやはり馬は高く、貴重な金貨を失うため、今後のことを考えて馬の調達は断念した。
兄のフリードからは、森を抜けるには必ず冒険者を雇えと言われたが、イアンは路銀の節約のためにそれはやめようと思っている。
というのも、実はイアンには土魔法以外に動物などを手なずけ、従魔の契約を結ぶことができるテイムというスキルがあるためだ。それほどレベルの高い魔獣でなければテイムが可能だし、一時的にテイムした動物に周囲の偵察をさせることもできるため、魔物との遭遇を避けられるだろうという心づもりがあった。
ただ、家族を心配させないために冒険者を雇うとは言ってあるが。
「それじゃあ、行ってきます」
イアンがそう挨拶すると、母親が「ちゃんと手紙を書くのよ」などと心配そうに言う。
手紙を書いたところで、届くのはいつになるだろうな、とイアンは苦笑しながら「わかりました」と心配させないように母親にハグをした。
「身体に気をつけるんだぞ。おまえはよく無理をしがちだから」
父や兄にそんな言葉をかけられて、イアンは馬車に乗り込み、そして馬車は走り出す。
長年住んだ家やそして家族らの姿がどんどんと小さくなっていくのを見ながら、イアンは少し寂しさを覚える。
自分で決めたことだが、やはり故郷から離れるというのは不安もあるものだ。
(イアン、しっかりしろ。父上や母上、そして兄さんたちのためにミリシュ村で頑張ろうって決めたんだから)
唇をキュッと噛んで、顔を上げる。すると、目の前にいた商人の男性がにっこりと笑った。
目の前の彼は街――アドリントンの領都、といっても小さな街だが――レメルにある小さな商会を営む商人だ。ヒースという彼はミリシュ村へ向かう途中にあるライネ村まで行くというので同行させてもらった。
「アドリントンの坊ちゃんはライネ村にご用事かなにかで?」
そう聞いてきたのは、おそらくイアンが家の用事かなにかで出かけるだけとでも思ったのかもしれない。
「いえ、僕が向かうのはライネ村ではなく、さらにその先のミリシュ村です」
ミリシュ村と聞いたヒースは驚いたような顔をした。
「随分と遠くまで行かれるんですね。ご領主様のご用事かなにかでしょうか」
「いえ、ミリシュ村に住もうと思って。これでも領主代理としてなんですけれど」
「そりゃまた大変なことだ。いや、坊ちゃんなら大丈夫ですよ。いつも一生懸命働かれていたでしょう。きっと神様は見ていらっしゃって、うまくいきますよ」
ヒースは楽しい男で、そんなふうにライネ村までまったく退屈せずに済んだ。
馬車から眺める外の景色は、すべてが鮮やかで、どこもかしこもが輝いて見える。これからはすべてが自己責任だが、同時に自由を得ることもできるのだ。
「じゃあ、坊ちゃん。道中お気をつけて。神のご加護がありますように」
「ありがとうございます。ヒースさんもお気をつけて」
ライネ村に到着した馬車を降りて、イアンはヒースと別れた。
これからこの村に一泊して、夜が明けたら森に入らなければならない。
イアンはヒースに紹介してもらった宿屋に泊まり、早々に身体を休めることにした。
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