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第5話
アンナとの婚約破棄から数日が経った。
突然の彼女の訪問はあったものの、対外的にはそれ以降特に変わったことはない。
とはいえ、イアンは現在家族から腫れ物に触るような扱いを受けており、さすがに居心地がよくない。イアン自身は吹っ切れているし、また父や兄もイアンを責めるようなことは言わなかったが、やはり一方的に婚約破棄されたことについて口さがない噂が広まっていたことや、イアンがいつまでこの家にいるのかも気になっているようで、家族の間に流れる空気がなんとなくぎくしゃくしていたのだった。
イアン自身も早く身の振り方を決めなければならないとは思いつつ、ちょうどジャガイモ収穫の最盛期になってしまったことから、畑仕事を優先させてしまっていた。そのため、これからのことについては先送りしていたのは否定できない。
そんなとき、いよいよフリードに「イアン」と声をかけられたのだった。
彼の表情はあまり明るいものではなかった。また、目の下にうっすらとくまができていたのが見て取れた。
「アンナ嬢とのことでおまえもショックだっただろうが、その……」
フリードはなにか言いにくそうにイアンに話しかける。
アドリントンの家の者は押し並べて皆お人好しである。そして腹芸などということもできない正直者ばかりなのだが、この兄のフリードはアドリントン家の中でも一番といっていいほどの善良な人間だった。
その兄がひどく苦しそうな表情でイアンに声をかけるものだから、イアンは彼の言わんとしていることがすぐにわかった。
(ああ、兄さんにこんな顔をさせてしまった)
イアンの心が痛んだ。
フリードは「もしかしたらイアンはこの家で居候生活を送るのかも」と密かに頭を抱えていたのだろう。こうしてイアンに声をかけるのも、きっと何日も悩んだに違いない。
本来であれば自分のほうから兄に声をかけるべきだったのだが、収穫にかまけて兄の気持ちを考えずにいた。
この家は裕福ではないから、食い扶持が一人増えるだけでも相当の負担だ。内心では早くイアンに独り立ちしてほしいと思っているはずだが、それでも両親は出ていけとは言わない。けれど、おそらく兄は両親の気持ちを汲んで、自分が悪者になろうとこうしてイアンに切り出したのだ。
(できるだけ早くこの家を出ていこう)
兄の顔を見てそう決心する。
イアン自身は作物を育てるのも得意だし、土地さえあれば自分一人の食い扶持くらいはなんとかなる。
(うちのジャガイモ畑もなんとか軌道に乗ったし、種イモも収穫できた。これなら兄さんとギュンターに言っておけば、定期的な収穫を得られるはずだ)
自分の作った畑も少しはこの家の足しになるだろう。そう考えると、多少は家の役に立つことができたかもしれないと、イアンはいくらか満足した。
「兄さん、僕はできるだけ早くにこの家を出ていくからね」
フリードが出ていけと促す前にイアンがそう口にした。
するとフリードは目をパチパチと瞬かせる。
「え?」
まさかイアンから出ていくという言葉が出るとは思わなかったのか、フリードはひどく驚いた様子だった。
「なに驚いているの。僕に早く出ていってほしい、って言いにきたんでしょ」
イアンはあっけらかんと笑いながら言う。
「え、いや……それは違う。あ、でも……ええと」
しどろもどろのフリードにイアンはにっこりと笑った。
「わかってるって。これでも僕もアドリントン家の一員だからね。今まではアンナとの結婚が控えているから、この家に置いてもらっていたけど、さすがにそうもいかなくなったでしょ。本当はニール兄さんやルーカス兄さんのように優秀なら王都で働き口もあったんだろうけど、僕の魔力の弱さとスキルじゃ、王宮にも取り立ててもらえないもんね」
「イアン……」
フリードは申し訳なさそうな顔をしてイアンを見つめていた。
兄もこの家を守ろうと必死なだけなのはわかっている。それにこれまで本当にイアンによくしてくれていた。弟思いの兄のことを考えると、これ以上気苦労はかけたくない。
「だからね、考えたんだけど、兄さんちょっと聞いてくれるかな」
イアンにはひとつの考えがあった。
実はアドリントン家の領地は意外に広い。ただ、人が住むにはあまり適さない土地が多いだけなのだ。
隣国であるザルツフェン帝国との国境付近――ほとんど人の往来もない辺鄙な場所にアドリントンの領地がある。その場所にはミリシュ村という小さな村があるきりなのだが、もう何十年も見回っていない状態で、領地管理人すら置いていない。というのも、その村へ向かうには強い魔物も頻繁に出没する深い森林を抜けていかなければならないためだった。
かつては農作地帯だったらしいのだが、数十年前にあった隣国との争いで、数多くあった村々も滅びてしまい、今ではミリシュ村しか残っていないのだという。
以前はきちんと作物が収穫できていた、というのをイアンは倉庫整理の際に見つけた過去の報告書から知って、自分が行くならそこだ、と決めたのだ。
そしてイアンは自分の考えをフリードに告げる。
「ミリシュ村……そういえばそんな村あったな」
どうやらフリードはミリシュ村の存在を忘れていたらしい。
「うん、ほら、兄さんこの前地図を広げていたじゃない。それを見て、あれ? って思ったんだよね。帝国との国境近くにポツンと村があるなって」
「ああ、思い出した。あまりに遠いし、行き来するだけで徴税分の金が飛ぶと考えて見回りにも行っていなかったんだよ」
フリードの言うとおりミリシュ村までの道のりは遠く、また護衛の冒険者を雇う必要もある。わずかしかいない村民の税などたかが知れており、取り立てる税金が労力の下になっては本末転倒だ。そのため、現領主である父親のグスタフはミリシュ村については見て見ぬ振りをしているらしい。また、領地管理人を立ててもその者へ支払う給与はミリシュ村からは得られる算段がなかったことから、管理人を置くこともしていないようだった。
「だからね、僕がそこに行こうかと思っているんだ。僕が領地管理人としてミリシュ村へ行けば、村の農業を発展させたら税金も納められるようになるかもしれないし、家族なんだから兄さんたちは僕に給与を支払う必要はないでしょう?」
「いや……それは……しかし」
フリードは必死にイアンの提案について考えているらしく、しかつめらしい顔をしていた。
「そんなに深く考えないでよ。父上も兄さんも食い扶持が減ると思ってさ」
だが、イアンの軽い口調にフリードはキッと目を剥く。
「バカを言うな! 可愛い弟にそんな苦労させたくないだろう! 確かにアドリントン家は金には困っているが、今すぐに出ていけと言うつもりはなかった。私はニールに指導してもらって、文官試験を受けたらどうかと言うつもりだったんだ。ミリシュ村などあんな辺鄙なところにおまえを追いやるつもりはない。あそこに行くまでの森にはワイバーンやかつてはアースドラゴンだって出たことがあるんだぞ」
思っていたことと違って、今度はイアンが目を丸くした。フリードはそんなつもりでいたのか、と。
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