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罪業②

「考え事してる?」    目の前の男が言った。バスの車内には誰もいない。真尋と、目の前にいるこの男を除いては。   「だったら何だよ」 「いや、別にいいけどさ。オレとしてるのに、他の奴のこと考えてたら、ムカつくじゃん」 「ヤることしか考えてねぇくせによく言う。無駄口叩いてないで、さっさと腰振れよ。自由時間終わっちまうぞ」    現在、クラスメイト達は街の散策を楽しんでいる。自由行動の最中だ。曜介と京太郎も、街に繰り出して遊んでいることだろう。何とかというアイスを食べたいとか、お土産を買いたいとか言っていた。しかし、真尋は無人のバスに残った。隣のクラスのセフレの男と遊ぶためだ。   「相変わらずツンケンしてんなぁ。もうちょっと可愛げあること言えねぇの?」 「んなの、本命相手にしてもらえ」    この男との関係は、それなりに長い方だと思う。最近はあまりしていなかったが、せっかくの旅行に浮かれていたのだろう。誘われた。真尋に断る理由もない。  カーテンを閉め切った、薄暗いバスの車内。ここへ来る道中は、やれカラオケだカードゲームだおやつ交換だと、うんざりするほど騒がしかったのに、それらが全て幻だったかのように、ひっそりと静まり返っている。   「なぁ、ほら……もっとよくなろうぜ」    真尋は腰を揺すって急かした。バスのシートに座る男の上に跨って、その首に手を回して抱き寄せる。体を密着させ、誘うように舌を見せる。男は満足そうに唇を歪めた。   「ド淫乱じゃねぇか」 「てめぇに言われたくねぇな」    男の手が真尋の腰を掴む。伸びた爪が食い込んだ。その瞬間だった。窓の向こう、カーテンの隙間に、曜介の姿が見えた。   「っ……」 「おおっ? なんか急に締まる」 「や、めっ……ちょっとまて」 「この状況でやめれると思うか? すげぇ締まって、気持ちいいしよ」    肚の奥が抉られる。指先が氷のように冷えていく。それなのに、体の中心が熱い。氷が一瞬で蒸発してしまいそうな温度だ。何かが込み上げてきて、爆発する。   「あ、あ……いくっ……!」    他に縋るものがなく、目の前の男にしがみついてやり過ごした。電気ショックを与えられたかのように体が震え、しかもなかなか収まらない。呼吸が苦しく、男の肩にもたれて喘いだ。   「今日のお前、なんかやばくね? 感じすぎだろ。オレより先にイクなんて滅多に……つか、初めてじゃね?」    男は興奮したようにべらべらと喋る。容赦なく突き上げられ、揺さぶられながら、真尋は舌を噛まないようにするのに必死だった。   「やっ、め……とまれ、って……!」 「なんで? すげぇよさそうじゃん。そんなにいい? オレのチンポ」 「てめっ、ちょーしのってんじゃ……!」 「じゃあ、杉野のせい?」 「っ……」    予想もしなかった名前が飛び出した。その瞬間、体の中心でまたもや何かが爆発する。姿勢を保っていられずに、男の胸に倒れ込む。   「はは、やっぱそうなんだ。すげぇビクビクしてんじゃん。そんなに好きなの? 杉野のこと」 「っ、あ……」 「外にいんの? ここからじゃ見えねぇけど。お前の本命、杉野か西宮だろーなとは思ってたけど、杉野の方だったか。どーする? カーテン開けて、見てもらうか?」 「てっ、めぇ……ふざけんなよ」    真尋は、渾身の力を振り絞ってシートを倒した。いきなり視界が回転し、男は驚いたように目を見開いた。   「てめぇ、べらべらとくだらねぇことを喋くってんじゃねぇぞ。あいつのことなんか、どうだっていいだろうが。今おれとしてるのは、てめぇなんじゃねぇのかよ」    真尋は男の頬を掴み、舌をねじ入れるキスをした。男が応えて舌を絡めるので、その先端に歯を立てる。血の味がした。   「今度つまらねぇ話をしやがったら、その舌食い千切ってやるからな」    真尋は夢中で腰を振った。余計なことを考える隙もないほどに、激しく腰を打ち付けた。    いつからこんなことを続けているのだったか。中学に上がってすぐの頃、三年の先輩に誘われたのが切っ掛けだった。あの夏の日に小学校で起きた事件のことを、その先輩は噂話程度に知っていた。興味本位で真尋に近付いて、関係を迫ってきたのである。  それから、真尋は誘われるままに男と寝た。特別な感情を抱いてするわけではない。あくまでも機械的に、一連の作業のような感覚だった。中には気持ちを向けてくる相手もいたが、真尋にとっては誰も彼もが顔のない有象無象であった。  自分が学校でどう思われているか、知らないわけではなかった。それでもやめられなかった。やめる理由もなかった。男と見れば誰にでも股を開いて、臭いキスをして、小遣いでもくれると言うなら変態的なプレイの一つでもサービスしてやる。そうすることで、諦められると思ったのだ。汚れてしまった自分自身を。    あれは、あの事件が起きて少し経った頃のこと。夏休みが明け、二学期が始まってしばらくした、残暑の厳しい秋の日だった。曜介がクラスメイトと殴り合いの喧嘩をした。  五時間目の授業が終わり、真尋は手を洗いに席を立った。ハンカチで手を拭きながら戻ってきて、その話し声を聞いた。   「にしてもあいつ、よく学校来られるよな」    自分のことを言われているのだと分かり、真尋は扉の前で立ち止まった。   「オレなら恥ずかしくて生きていけないね」「しかも軽部のヤローにだろ?」「あいつ、軽部とチューしたんだぜ」「マジで? きったねー!」「きもすぎ」「絶対ヤダー」「死んだ方がマシだよな」    あまりにも無邪気な、シャボン玉が弾けるような笑い声が響く。真尋は廊下に立ち尽くしたまま、教室に入っていけなかった。  それほどの衝撃だった。先生にキスをされ──犯されたことは、それほどの大罪だったのか。死んだ方がマシなくらい、恥ずかしくて、気持ち悪くて、汚い行いだったのか。真尋は初めて自覚した。自分が、取り返しの付かないほど、汚れてしまったことに。  その時だ。激しい物音が響いた。曜介がクラスメイトに馬乗りになって、両の拳を大きく振り上げていた。一体何が起きたのか、と真尋が考えるよりも早く、京太郎が教室へ飛び込んだ。暴れる曜介を羽交い絞めにして押さえ込む。その騒動を、真尋は一人、教室の外からただ見ていた。  その後、六時間目は自習になり、曜介は放課後いっぱい職員室で絞られた。真尋は京太郎と二人で曜介の帰りを待った。    キィ、キィ、とブランコが揺れる。錆びた金属の軋む音。   「……曜介のやつ、なんであんなこと……」    真尋はぽつりと呟いた。空へ舞い上がる勢いでブランコを漕いでいた京太郎は、地面に足をつけてブレーキをかける。   「らしくねぇよ。あんな……見境なしに大暴れして……」    京太郎の額にはガーゼが貼られている。喧嘩を止めに入った際、曜介の拳が当たってしまったのだ。故意ではないが、相当頭に血が上っていたのだろう。目に付いたもの全てを破壊し尽くす鬼神のような荒々しさだった。あんな風に怒り狂う曜介の姿を見たのは、後にも先にもこれっきりだ。   「オレはむしろ、あいつらしいと思ったけどな」 「……そうか?」 「よくも悪くも正直だし、不器用なんだ。手が出たのはよくなかったが、オレは曜介が間違ってたとは思わない」 「なんでそう言い切れるんだよ」 「昔からそういうやつだからだ。曜介は強いし、それに、ちゃんと優しい」 「……」    真尋にはよく分からなかった。真尋の知る曜介は、もちろん強いし優しいが、だからこそ、激しい怒りを露わにすることはあまりなく、どちらかといえばお調子者のおどけたやつで、腹が立ったからといって暴力で解決するような人間ではなかった。お得意の無駄によく回る口で、もっとうまくやれたはずだ。  曜介がようやくお説教から解放されて戻ってきた。校門まで競走だ、と京太郎が言い、三人は駆け出した。いつもなら我先にと飛び出していく曜介が、珍しく後塵を拝し、最下位に甘んじているので、真尋は振り返って手を伸ばした。   「ぼさっとすんなよ。置いてくぞ」    差し出した手は、ついぞ取られることはなかった。    曜介は、真尋の顔を見るなり明らかに動揺し、差し出された手に困惑していた。真尋の手を取ろうか取るまいか、迷い躊躇う素振りはあったが、しかし結論は既に決まっていたのだろう。出遅れた二人を呼ぶ京太郎の声にほっとした表情を見せ、まるで隙間風が廃屋内を通り抜けるように、真尋の脇をすり抜けた。  やはり、そうなのか。真尋の中で、点と点が繋がった。曜介の怒りの正体。自分自身が、かつての自分とはまるで違う、おぞましい何かに変わってしまったという事実。曜介は、真尋が犯され穢されていく現場を見たはずだ。だからこその、この拒絶なのだろう。  もうどうしようもない。いくら足掻いても取り返しが付かない。この体は汚れてしまった。曜介や、京太郎や、他のみんなのようには戻れない。純粋で無垢で清らかなばかりだったあの頃には戻れないのだ。  こんな体で、何を望めばいいのだろう。愛してほしいなんて、言えるわけがない。芽生え始めた恋心は、そうと認識される前に、脆くも崩れ去ったのだった。

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