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罪業④

 京太郎が、ほとんど絶交状態に近かった真尋と曜介の二人を遊びに誘ったのは、夏休み直前のあの出来事が原因だろう。曜介が土砂降りの中を濡れて帰って、風邪を引いた日のことだ。  年々、真尋には曜介のことが分からなくなっていた。真尋の方から曜介に背を向け、目を合わさず、言葉さえ交わさず、全身で拒絶を示しているというのに、曜介は相変わらずの温度感で真尋に接し、それどころか、土砂降りの雨を前に途方に暮れる真尋を気にかける。  くだらない話題からくだらない言い合いになり──というより、真尋が一方的に感情を昂らせただけなのだが、そんな真尋を捨て置かず、一本しかない傘を残して、自分は土砂降りの中へと平気で繰り出して、泥を跳ねても、転んでも、めげずに力強く走り続ける。そんな曜介の背中を見るにつけ、真尋は燻る思いを持て余すのだ。  翌日、曜介が熱を出して寝込んでいると聞き、借りた傘を返すという名目で、曜介の家を訪れた。数年ぶりになるだろうか。昔と全く変わっていない。   「おや、真尋くん」    出迎えてくれたのは、曜介の父親だった。かつて真尋が通っていた剣道道場の師範でもある。顔を合わせるのは、こちらも数年ぶりだ。昔と全く変わっていない。   「先生。お元気そうで何よりです」 「ええ、真尋くんも。さぁさ、遠慮しないで上がっていって。曜介なら二階ですよ」 「いえ、おれは傘を返しに来ただけで……」 「おや、そうですか」 「ごめんなさい。おれのせいで、曜介が……」 「……真尋くん、」    頼まれてほしいことがあるんです、と先生は言った。自分が道場にいる間、曜介を見ていてあげてほしいと。それで、そんなつもりは全くなかったのに、真尋は数年ぶりに杉野家の敷居を跨ぎ、曜介の部屋を訪れたのだった。  この部屋も、昔とあまり変わっていない。読みかけの漫画や雑誌が散らばり、脱ぎっぱなしの服やなんかがその辺に放ってある。小さなテレビにビデオゲームが繋がれて、ゲームのカセットがうず高く積まれている。  昔はよくこの部屋で、京太郎も含めた三人でお泊まり会をしたものだ。夜遅くまでゲームをしたり、トランプをしたり、枕投げでうるさくしすぎてこっぴどく叱られたりもした。  窓から見える景色も、あの頃とちっとも変わらない。先生が大切に手入れしている庭の草花。紫陽花から朝顔へと季節は移ろい、百日紅が鮮やかな花をつけている。庭の隅にはアンズの樹があり、春には可憐な花を咲かせ、夏になると実をつけるので、おやつによく食べさせてもらった。遠くには青い山が見え、どこからか電車の音が聞こえてくる。   「……」    名前を呼ばれた気がした。真尋は曜介の枕元に座った。どんな夢を見ているのだろう。何かを探し、追いかけている。   「……曜介」    気付けばその名を口にしていた。その時だ。布団の中から手が伸びてきて、真尋の手を掴んだ。  ぎょっとして振り払おうとした。けれど、真尋の手を握る曜介の表情が少しだけ和らいだ気がして、迷子の子供がようやく見つけた母親の手を決して放すまいとする必死さのようなものを感じて、結局、はね除けることができなかった。  曜介と手を繋ぐのは、いや、ただ指先で触れることさえ、数年ぶりのことだった。差し出した手を拒まれた、あの秋の日の夕暮れ以降、決して交わることのなかった二人の輪郭が、今、ほんの僅かだが、確かに重なっている。  曜介の手は、こんな風だったろうか。記憶の中にあるものよりもずっと大きく、ずっしりとして、男らしく逞しい。それでいて、肌には一つの皺もなく、昔のままに美しい。  発熱のせいか、曜介の手はひどく熱かった。握られていると、体の芯まで温まるように感じた。この熱が、どうしようもなく恋しかった。そのうち曜介が目を覚ましたが、そのまましばらく手を繋いでいた。  いつの間にか夜になっていた。先生の勧めで、夕食をごちそうになることになった。一階へ下りていくと、茶の間に京太郎がいた。曜介の見舞いに来たらしかった。なぜ部屋に来なかったのかと問えば、そういう雰囲気じゃなかったからと答える。   「覗き見しやがったのか」 「気付かなかったお前らが悪い」    そう言う京太郎の表情は、どこか嬉しそうだった。  四人で食卓を囲んだ。曜介の体調に合わせて、温かいそうめんが用意された。シンプルな具材と優しい味付けがありがたかった。  食事の最中、曜介と目が合った。真尋はすぐに目を伏せた。瞼の裏に曜介の影が残る。微笑んでいるように見えた。    愚かにも、期待した。全てが許されるような気がした。そんな自分に反吐が出る。全てを諦めるためにあらゆる手を尽くしてきたのに、まだ、何も、諦められていなかった。  曜介の微笑みに、手を握ってくれたことに、淡い期待を抱いてしまうなんて。曜介がもう一度触れてくれたから、もう一度初めからやり直すことができるんじゃないかって、そんな馬鹿げた幻想を抱いてしまうなんて。  そんなことは無理だ。分かっている。今更何もかも手遅れだ。少年時代を過ごした雑木林で、少年時代と変わらず野を駆け、汗だくになって笑っている曜介の姿を見て、真尋は改めて理解した。  自分のいるべき場所は、ここではない。曜介の隣に並ぶべきは自分ではない。過去は変えられず、やり直すこともできない。曜介との距離は広がっていく一方だ。決して縮まることはない。遠ざかる背中を追いかけても、二度と追いつくことはない。  全て勘違いなのだ。あの微笑みも、手を握ってくれたことも、熱に浮かされたがゆえの勘違い。都合のいい幻だ。それでいい。あの時、あの瞬間だけでも、罪が許されたのなら、それでいいのだ。これ以上、分不相応は望まない。  過去は消えない。奪われたもの、捨て去ったもの、失ったもの、全て元には戻らない。罪も、罰も、肉体の上に堆積している。

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