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危機③-♡♡

 今回の騒動の発端について、曜介は心当たりがあった。それは何気ない真尋の一言である。  その日、いつも通りに愛し合い、疲れ果てて眠る直前だった。真尋に腕枕をして眠る、その腕の痺れが、曜介にとっては幸福の象徴でもあった。  曜介の腕に頭を預け、瞼をとろとろさせながら、真尋が呟いた。   「昔のお前と、やってみたかった」    ほとんど寝言のようなものだったろう。しかし曜介は、胸に氷を当てられたような思いがしたのだ。「どういう意味だよ」と思わず詰め寄る。しかし、真尋の回答は要領を得ない。それもそのはずだ。半分眠っているのだから。  結局言葉の真意は分からず、確かめることもできないままになってしまった。幸い、仕事が忙しかったせいで難しいことは考えずに済んだが、多忙が災いして真尋と話す機会を持てず、いつの間にかセックスレスとなり、気付けば勃起不全が進行していた。最悪のコンボを決めてしまったというわけだ。    元々、曜介の中には、真尋の過去に対するやり切れない思いというものがある。暴力で奪われた初体験や、性に奔放だった思春期のことだ。もちろん、奪われたものを取り返すため、奔放に振舞っていただけだというのは、曜介も理解している。理解してはいるが、あの当時の真尋のことを、曜介は何も知らない。それもまた事実なのだった。  中学、高校、大学と、真尋がどんな男と付き合って、どんな風に抱かれていたのか。曜介が知る由もないし、知りたくもないのだが、真尋には確かに積み上げてきた経験というものがあり、それに見合う男に自分がなれているのかどうか、曜介はあまり自信がなかった。  簡単に言ってしまえば、真尋を満足させられているのかどうか、自信がなかったのだ。不本意ながらも経験値の差は存在するし、今更埋めることもできない。    そこに来ての、あの発言である。昔のお前とやってみたかった。ということは、今の俺には満足できていないのか。若く元気な俺の方がよかったのか。そんなことを考えて、過去の自分に嫉妬した。  同時に腹立たしくも思った。どうしてもっと早く腹を決めなかったのだろう。何をそんなに恐れていたんだろう。もっと早く、胸の内を正直に打ち明けていれば、よその男に真尋を奪われることもなかったのに。  我ながら、なんと女々しいのだろう。真尋に言ったらきっと笑われる。そう思うとますます打ち明けることができなくなり、不安が不安を呼び、こうなると鶏が先か卵が先かという話になるのだが、勃起不全が不安に拍車を掛け、不安になればさらに落ち込み、そんな状態で性欲が奮うはずもなく、さらに自信を喪失し……といった具合で、無限ループに陥っていた。  しかし、マイナス思考も終わる時が来る。ほんの些細な切っ掛けで、実にあっさりとループを脱することができるのだ。例えば真尋の一言で、不安が雲散霧消する。深刻に悩んでいたのが嘘みたいに、晴れやかな気持ちになる。騒動の発端も真尋の一言だったが、解消の糸口になったのもまた、真尋の一言なのだった。   「あっ……、あぁっ♡」    白い背中をくねらせて、真尋は甘い声を上げる。うっかり女物のランジェリーなんか着させてしまったが、やはり素の姿が一番艶めかしい。もちろん、たまのスパイスとしては素晴らしいものがあるのだが。   「いっ……、ああ゛っ、いくっ、い゛──ッッ」    何度目かの絶頂に達し、真尋は白い尻を弾ませた。誘うように跳ねるので、曜介は間を置かずに腰を突き入れる。   「や゛っっ……! もっ、またいく、いぐ、いっちま──ッッ♡」 「っ……」    蜜壺が激しく収縮する。曜介もまた、何度目か分からない射精に至る。しかし、全く萎える気配がない。勃起不全だったことなどまるで嘘みたいに、一晩の夢か幻だったのではないかと思えるほどに、硬度も角度も保ち続けている。やる気と元気に満ち満ちている。   「もっ、や……、むり、よーすけ」 「あと一回だけだから。な? お願い」    このやり取りも何度目だろうか。シーツにしがみついてぐったりと身を伏せる真尋のうなじに舌を這わせる。汗まで甘く、癖になる。前からこんな風だったろうか。久しぶりだからそう感じるだけなのだろうか。   「ほら、こっち向けよ。顔見てしてぇ」 「ぁ……♡」    自力では寝返りも打てないらしい真尋の体を引っくり返す。曜介の指先に、舌先に、真尋は敏感に感じて打ち震える。そんな姿が、さらに男の情欲を誘う。  長時間にわたり何度も何度も交わっているためか、真尋の体は曜介を受け入れる形を覚えてしまったらしい。足が開いたまま閉じない。これ幸いと、曜介は容赦なく熱杭を打ち込んだ。   「ぁ、あ゛……っ、あぁああ゛ぁんっ♡」    真尋は髪を乱して悶えた。白いシーツに黒が映える。もはや、狭い蜜壺は曜介の形を覚えてしまったというのに、真尋は毎回新鮮に感じ入ってくれる。それがまた嬉しくて、曜介は繰り返し杭を打つ。肉のぶつかる生々しい音が絶え間なく響く。   「もっ、ああっ……! だめっ、だめ、」 「何がだめ? 気持ちいだろ?」 「きもぢ、っくて、だめぇっ」 「でもほら、こことか、好きだろ? ちがう?」 「すきっ、すきぃ♡ きもぢぃ゛のっっ、だめっっ♡」    腰を捻りながら奥を突く。真尋は朦朧とする意識の中、必死に曜介にしがみつき、髪を振り乱して喘ぐ。焦点の合わない、その視界を曜介が埋める。   「だっ……め、だめいく、でるッッ────♡♡♡」    赤い唇に覗く、艶やかな果肉にしゃぶり付いた。舌をねじ込み絡ませながら、曜介は真尋を押さえ込んで精を放つ。  その時だった。汗だくの肌を重ね合わせ、ぴったりと密着していた二人の体の間から、しょろしょろと温かい液体が流れ出た。今晩はやりたい放題振舞ってきた曜介だが、こればかりはさすがにぎょっとした。  失禁させたとなれば、今後このベッドは使い物にならないだろうし、曜介のせいでこんな醜態を演じる羽目になったとなれば、真尋は怒り心頭だろう。しばらく口も利いてもらえないかもしれない。せっかく誤解が解け、絆の深さを確認したばかりだというのに、再び反目し合うことになるのはご免だ。  しかし、あの鼻を衝くにおいがしない。曜介は恐る恐る顔を上げ、確認する。真尋が漏らしたと思ったそれは、正確には尿ではなく、潮のようなものだった。無色透明でさらさらしていて、においは特になく、味は少ししょっぱい。ただ、どちらにしろシーツはびしょびしょで、真尋の体もぐしょぐしょである。   「ぁっ……ん……っ」    この大惨事に全く気付いていない真尋は、絶頂の余韻に耽って身を捩った。もっと欲しいと、この先を求めるように腰がうねる。欲深い穴が痙攣する。恍惚と蕩けた瞳は、曜介の姿だけを映している。  しかし、気の遠くなるほど待ち望んだ快楽は、それらから遠ざかっていた肉体には、少々刺激が強すぎたらしい。微かに瞳を滲ませたと思えば、真尋は白目を剥いて倒れた。    *    真尋が目を覚ましたのは、湯を張ったバスタブの中だった。男二人で入るには少々狭いバスタブで、互いに足を折り曲げながら、二人寄り添って湯に浸かっている。汗を洗い流し、体を芯まで温める。指先までぽかぽかする。   「ん……」 「起きた?」    抱きしめた腕の中で真尋が僅かに身動ぎしたので、曜介はすぐに気が付いた。   「悪ぃ。インポ治ったの嬉しすぎて、やり過ぎたわ」 「ん……」 「気絶させるまでやるつもりはなかったんだけどよ」 「べつに、いい……気にしてねぇよ」    真尋は曜介の肩に頭を預け、背をもたれた。波を切って、濡れた肌が密着する。水分を含んだ髪は一層黒く、艶やかで、曜介の肩に流れている。   「……なぁ」 「……ハイ」 「これは、おれの気のせいか?」 「いや、その……」 「どんだけ元気なんだよ」 「面目ねぇ」    真尋の手は自然と曜介の下腹部へ伸びていた。そこは既にギンギンで、熱い湯を含ませるように揉まれると、ぐんぐん勢いを増していく。   「気ィ失うまで抱き潰しといて、まだ足りねぇのか」 「だってムリじゃん! お前とこんなくっついてんのに勃起しないとかムリだから!」 「ついさっきまで、おれがしゃぶっても何しても、うんともすんとも言わなかったくせになぁ?」 「そりゃあ、おかげさまで元気百倍だからね。息子もやる気満々だからね。つか、そんなに揉まないでくれる? ガマンできなくなっちゃうから」 「我慢なんて、する必要あるか?」    真尋はいたずらっぽく目を細める。瞳の奥に情欲の灯が揺らめく。   「お前なぁ、気ィ失うまで抱き潰されといてよく言うぜ」 「曜介。てめーのインポが治って喜んでんのは、何もてめーだけじゃねぇんだぜ」 「あれま、ずいぶん情熱的じゃねぇの」 「せっかくでかくなってんのに、可愛がってやらねぇんじゃ可哀想だろ」 「どこで可愛がってくれるわけ?」 「ここ以外、あるかよ」    真尋は体を反転させ、曜介と向かい合った。一旦腰を浮かし、それからゆっくりと腰を沈める。水圧のせいだろうか、潤んだ果肉がきつく吸い付く。毛先から水が滴り、首筋から胸へと流れる。   「んっ……、ぁ……」    対面座位は距離が近くていい。快感を堪えるように目を瞑った真尋の、夜露に濡れて煌めく睫毛までよく見える。   「なぁ」 「ん……」    曜介が舌を出して催促すれば、真尋もすぐに気付いて唇を重ねた。ちゃぷ、ちゃぷん、と水面が揺れる。頭に響く水音は、波の揺れる音なのか、それとも、唾液を混ぜ合う音なのか。今にも溺れてしまいそうだ。  曜介の肩に掴まりながら、真尋は緩く腰を揺する。そのしなやかに伸びた背筋から、細く括れた腰に至るまで、輪郭を確かめるように曜介が指先を滑らせると、真尋は薄い胸を反らして喘ぐ。差し出された尖りに吸い付き、歯を立てれば、水面が大きく波を打つ。   「あっ……ん、……手ェ、出すな」 「そりゃ無理な相談ってやつだな」    ばしゃり、と波を打ち、曜介は真尋を抱きかかえて体を起こした。バスタブのふちに真尋を座らせ、挿入を深くする。ビクン、と仰け反った腰をしっかり支え、抱きかかえながら奥を突く。  あまり激しい動きはできない。ゆっくりと腰を揺すり、前立腺を引っ掛けながら、奥を捏ねる。不安定な姿勢を余儀なくされた真尋は、必死で曜介にしがみつく。太腿を絡ませ、迎え腰を遣って密着する。   「よ、すけ……っ、も、くるし……」    真尋が切れ切れに訴える。このままでは生殺しなのは曜介も同じだ。手は自然と真尋の下腹部へ伸びていた。つんと澄ました性器を、優しく擦ってやる。濡れているのは水に濡れたせいだけではなく、はしたない露を零しているためだった。   「あっ、あぁ……っ、そこ、は……」 「一回前でイッとけ」 「やっ、ぅ……あ、あぁっ……っ!」    奥を捏ねるのと同じリズムで弄ぶ。露を塗り付けるように先端を撫で、一番敏感な裏筋をくすぐってやれば、潤んだ果肉は歓喜に躍り、全てを吸い取るように絡み付いてくる。  掌に包んだ昂りが、微かに震えた。真尋のつま先が水面を蹴り、雫を跳ね、重なって広がる波紋が消えぬ間に、二人の間の空白は満ちた。  息を弾ませる唇を塞いだ。反響する水音は、唾液を混ぜる音であり、波を揺らす音であり、濡れた肌の触れ合う音でもあった。風呂の温度設定を間違えたか、二人ともすっかりのぼせてしまって、鼻血が先か射精が先かといった具合だったが、血を見ることは避けられた。   「な、ぁ……よ、すけ」    甘い吐息を零しながら、真尋が言う。   「ま、だ……、もっと……っ」 「……俺も」    まだ足りない。もっと欲しい。どれだけ貪っても、いくらでも喰えてしまう。おかしな話もあるものだ。  浴室を後に、髪もろくに乾かさないまま、二人はベッドへなだれ込んだ。シーツを替えたばかりだというのに、また濡れ、皺が寄る。だが、構わない。今はただ、互いの熱が恋しくて、それだけが欲しくて、堪らないのだ。  時間を忘れて交わった。暑くなって窓を開け、寒くなって窓を閉め、喉が渇いて水を飲み、真尋にも水を飲ませ、意識を飛ばしかける度に水を飲ませて、そうしているうちに夜明けが訪れた。   「朝日だ」    カーテンを開け放った窓の向こう。東の空が朧に色付く。紫がかった雲がたなびき、仄青い山影が薄闇に浮かび上がる。遥かな山の稜線が、金銀砂子を散りばめたように照り映えて、紅に沈む暁の空に、くっきりと描き出される。  やがて、太陽が姿を現した。眠っていた世界が目を覚ます。生まれたての光が闇を洗い流し、西の空で微睡む月だけが夜の名残だ。  まるで黄金の矢のように射し込む朝日が、真尋の肉体を照らし出す。輪郭は金色に縁取られ、滑らかな肌は曙色に染まっていく。曜介が手を触れれば、二つの影は一つに溶け合い、黎明の光に溶けていく。   「あっ……、あぁ……っ」    曜介の上へ跨って、あられもない姿で、真尋は体をくねらせる。もはやまともに腰を振る力もなく、ただ互いの肉と肉、体液と体液とを混ぜ合い、馴染ませるためだけに、辛うじて腰を動かしているのだった。ちゅぷ、ちゅぷ、と粘着いた音が断続的に響いている。   「あっ、ん……、あっ、ぁ……」    朝日に照らされ色付いた肌を、一筋の汗が伝う。曜介がそれを指に取ると、真尋は大きく腰を震わせた。仰け反った薄い胸が、張り詰めた弦のように震えている。やがて大きく胸を喘がせ、ぐったりと倒れ込んだ。力なく震える肉体を曜介は抱きしめて、もう一度ベッドへ沈める。   「っ、も……なんも、でね……」    曜介はベッドサイドからペットボトルを取り、一口含んで真尋に口づけた。ぬるくなったミネラルウォーターを口移しで流し込む。真尋は一度咽せ、もう一度口づけると、今度は喉を鳴らして飲み干した。   「俺も……。これで終わりにすっから」    繋がりっぱなしで、肉体と肉体が溶け合っている。蕩け合って、混ざり合って、一つになって、境界線なんてとっくの昔になくなってしまった。曜介が感じれば、真尋も感じる。真尋が感じれば、曜介も感じる。互いの存在が、この熱だけが、自らを確かめる唯一の手段だ。   「はぁっ、んっ……はっ、あぁっ……」    零れ落ちる吐息さえ、どちらのものか分からない。朝日に彩られた肉体を、曜介は胸の中に掻き抱きながら、重たい腰を辛うじて擦り付けて、自らの熱を確かめる。抱きしめた体の温度を確かめる。   「んんっ、う……っ、はあっ、ああ……っ」    緩く開いた唇。そこに覗く、真っ赤な舌。燃えるように赤い舌。鮮烈な朝日を浴びて、真尋の表情の一つ一つが、はっきりと見て取れる。薄明かりの下では分からない、詳細な部分に至るまで鮮明に、全てが曜介の眼前に差し出される。  きめ細かな肌。透き通る肌。鮮やかな血の色。朝露を纏う睫毛の繊細さや、唇の艶めく質感。銀河を湛えた黒い瞳や、瞳からはみ出さんばかりに映り込んでいる曜介の姿まで。全てがくっきりと照らし出される。  朝焼けを照り返して真っ赤に燃える頬を、汗が伝った。いや、涙だろうか。小さな炎を宿している。曜介が舌先で舐め取ると、組み敷いた体が大きく震えた。   「ぁ、あっ……、っ」    もう互いにそれしか目に入らない。求めるものはたった一つだ。視線を絡め、目と目を合わせ、曜介はゆっくり腰を遣う。真尋もまた、夢見心地の瞳に曜介だけを映して、その身を貫く快感に酔いしれる。  唇が重なった。射し込む朝日は眩しいが、目を瞑るなんてもったいないことはできない。真尋の一挙手一投足を、些細な表情の変化を、僅かに引き攣る眉の動きさえ見逃さないよう、じっと見つめ合い、視線を絡ませながら、舌を交わらせた。どこまでも濃厚に、一つに溶け合ってしまえるように、輪郭なんてなくなるように、唾液を、吐息を、絡ませた。   「あっ……♡ っ、あ……っっ♡」    声もすっかり掠れてしまって、しかし甘い響きは失っていない。甘えて吸い付く肉壺の、その奥の奥の、そのまた奥へ、曜介は最後の最後に絞り出した精を叩き付けた。二つの玉は空っぽで、もう何も残っていない。最後に放った欲の残滓も、おそらくほとんど透明だった。  それでも、いや、だからこそだろうか。この上なく満たされた。これ以上なく満ち足りた気持ちだ。真尋もきっと同じだろう。うっとりと目を瞑る。曜介もまた、目を瞑る。朝の光が眩しくて、清らかで、逆に眠たくなってくる。真尋だけでなく、曜介までも、ほとんど気絶に近い形で眠りに落ちた。

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