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第39話 髪色の変化

 新年の休みが明けた。  ようやく暇という監獄から抜け出せたかと思ったが、勉強や模倣訓練は以前よりもゆったりとしたペースで進められていく。    ライリーの初めての大型連休だったのだ。  オンとオフの切り替えは大事だが、ゆっくり休んだ後、いつものペースに戻して不調が出ることを防止するための措置だった。    暇を持て余していたライリーは、それは必要ないと思っていたが、徐々に元のペースに戻っていくごとに、緩い始まりでよかったのだと実感する。  最初から以前のペースだったなら、きっと息切れしていただろう。  新年の雰囲気もすっかりなくなった頃、ライリーとユリウスはイーファに指示され、テーブルを一脚、椅子を三脚、毛布三枚を屋敷の外に運び出していた。  サロンに面している、クスノキの林との間。  その小さな広場のような空間にテーブルと椅子を置き、準備は完了。  今日、ライリーは髪の色をミカエラと同じプラチナブロンドに変えるのだ。    だが、ライリーは髪の色を変える方法を知らない。  演劇では人毛でできた鬘を被ることもあるとは聞くが、髪そのものの色を変える方法などないというのが世間の常識だ。 「ここに座って。毛布は膝にね。色を変えるには時間がかかるから、途中でご飯を食べたりして時間を潰すよ」  ライリーはイーファに促されて椅子に座った。  季節は朔風が吹く冬。  冷え対策として、毛布は膝にかける。  そして、上半身は端切れを縫い合わせた大きい布で首から下を覆われた。  毛布と大きな布には保温の効果がある魔術陣が描かれているため、寒さを感じるのは首から上だけだ。 (温かい。魔術陣があればこんなに便利なんだな)  ライリーには、世の中を生きていくために必要な常識はあっても、魔術の知識はない。  ハルデランで魔術陣を見たのは、ノーラン農場の一部の区画と、冒険者ギルドくらいだ。    魔術に詳しければ、生活はもっと豊かになる。  近い未来、サニーラルンの若い者を中心に、魔術の知識を持つ者が増えていく。  豊かな世界を実現させるため、為すべきことを為す。  それがライリーの任務だ。    イーファは、テーブルの上に大きな木箱やガラス製の器を並べて残りの準備を整えていく。  毒慣らしの作業を共に乗り越えた彼女には絶大な信頼を寄せている。  しかし、髪の色を変える方法について何も聞かないまま自分の体を任せるのは、流石に抵抗があった。   「あの、髪の色を変えるって、具体的にはどうするんですか?」 「ユリウスから聞いていないのかい?」 「はい」 「頼まれていませんが」 「あら、言い忘れていたねぇ。ええとね、あぁ……ユリウス、説明」  どうやら、イーファはユリウスに事前の説明を頼んだつもりになっていたらしい。  準備の手を止めたイーファは一度ぎゅっと目を瞑った後、ユリウスに後を引き継いだ。    話を振られたユリウスは頷くと、慣れた様子で木箱の蓋を開けた。  そして、そこから瓶に入った薬液を順番に出していく。   「はい。これが一角獣の胆汁と粉末状にしたコヨリ草の葉を混ぜて煮たやつで、これを髪に馴染ませると色が落ちる。で、このジャイアスの花弁を粉末状にし、ラテルの根を擦ったものと溶いて髪に塗るとミカエラ殿下と同じ髪色になる」  脱色剤は白色、染料はミカエラの髪と同じプラチナブロンドの色をしていた。   「よくわからないけど、要は薬を髪に馴染ませて変えるってことでいいんですか」 「ざっくり言えばね。さあ、心の準備はできたかい?」 「できました」 「よし、始めよう。脱色剤は臭いがきついから、気分が悪くなったら早めに言うんだよ」 「はい」  ユリウスは脱色剤をガラス製の深皿に移すと、腕まくりしたイーファに渡した。  彼女はそれを櫛に付け、ライリーの髪に塗布していく。    脱色剤はどろりとしていて、髪に塗ると流れ落ちることなく髪に留まっている。  そして、イーファの予告通り、脱色剤はきつい臭いがした。  濃度の高い酢のような、ツンと鼻の奥を刺激する臭い。    雪が降ってきそうな寒さの中、何故外で作業するのか。  その理由はこの臭いにあったのだと、ライリーは顔を顰めながら納得した。    すべて塗り終わると、半刻ほど放置する。  その間、脱色剤の臭いを紛らわすため、イーファが作った、爽やかな香りがするライムの紅茶が振る舞われた。  口に含むと、鼻まで通る清涼感。  脱色を待つ間、紅茶は決して手放せないものとなっていた。  砂時計が全て落ちると、イーファに髪の具合を確認された。  頷いたイーファは水の魔術を使って念入りに薬液を流し、今度は染料を髪に塗っていく。  これも脱色剤同様に粘度があったが、ほのかに甘い香りがする。  きっと、太陽の色をしたジャイアスの花の匂いなのだろう。    染料を塗ったら、また半刻ほど放置だ。  その頃になると、時間は昼時になっていた。  食堂の窓からケイトに呼びかけ、食事を用意してもらう。  昼食はボリュームたっぷりのホットサンドだ。  中身が溢れないように端が潰されているホットサンドは、言わずもがな美味しい。  ちょっとしたピクニック気分に、ライリーは髪の仕上がりがますます楽しみになった。  やがて、食事が終わったタイミングで、砂時計が時間を告げる。  イーファがライリーの髪を一束ずつ触って確認していく。  それを、ライリーはドキドキしながら待っていた。  右から左へ、すべての髪束のチェックが終わる。  後ろからずいっと現れたイーファは、満面の笑みを浮かべていた。 「よし、いい感じ。髪を洗って乾かせば終わりだからね」 「はい!」    イーファは再びライリーの背後に回ると、髪についた染料を丁寧に洗い流していく。  それが終わると、いつも使っているシャンプーで髪を洗われ、これもまた綺麗に洗い流される。  ちょうどいい湯加減のお湯で髪を流されるのは気持ちいい。  イーファと交代したユリウスがいつものように香油を髪に塗り、風の魔術で乾かしてくれるのも心地よく、ライリーはうとうとと寝かけてしまった。    カクンと傾いた頭に、ユリウスとイーファは気付いただろうか。  できれば気付かないままでいてほしい。  ライリーの密かな心配は、二人には秘密だ。  首元のボタンが外され、首から下を保護していた布が外された。  途端に寒さが襲い、ライリーは身震いをする。  すぐさま膝にあった毛布を肩にかけて防寒すれば、まるで屋内にいるような錯覚に陥った。  イーファがテーブルの上に鏡を置く。  そこに写ったのは、ミカエラと同じくプラチナブロンドの髪色をした自分だった。 「わあ……凄い」 「綺麗に染まっているよ。これなら成人の儀の直前に染め直せば大丈夫そうだね」 「またやるんですか?」 「髪は伸びるものだろう? 根本が元の色になるから、そこも染めないとね」 「あぁ、確かにそうですね」  イーファにそう言われ、ライリーは小さく頷いた。  次の染髪のタイミングは初夏だ。  今よりも過ごしやすく、毛布なども不要となれば、まだいいような気もする。  何より、屋外で髪を洗ってもらえる気持ち良さをもう一度経験できるというなら、ライリーにとって脱色剤の臭いなど瑣末なことだ。 「ライリー。変装はこれで完璧になるぞ」  鏡を覗き込み、何度もため息を吐くライリーに、ユリウスは小さなガラスの箱を差し出してきた。  その中には透明な液体が入っており、蜂蜜色の丸くて小さなガラスがぷかりと浮いている。   「ガラスに色が付いているんだ。これが目の色を変えてくれる」 「つまり、目に入れるってこと?」 「ああ」 「ちょっと待って! 怖いし自分じゃ入れられない!」  指の腹に乗る、小さなドーム型のガラス。  影が使っているものだ。  当然、安全なんだろうが、目の中に異物を入れるという、普通では考えられないことにライリーは慄いた。  毒の慣らしをしているのに何を今更、と言われるかもしれないが、怖いものは怖い。   「じゃあ俺が入れるから目閉じるなよ。大丈夫だから」 「う、ん……」  ライリーの怖がる様子がよっぽど酷かったのだろう。  ユリウスは眉尻を下げた。  猫撫で声でライリーを宥め、人差し指でちょいちょいと手招きをすると、恐る恐る近づいたライリーの頬に手を添える。  そして、その反対の手で小さなガラスをすくって指の腹に乗せ、ライリーの目に近づけてきた。    ライリーは目を瞑らないようにぐっと力を入れ、大きく目を開く。  すると、ガラスは音もなく瞳に張り付いた。    異物感はあるが、痛くはない。  ガラスに色がついているはずだが、視界は透明なまま、歪むことなくユリウスの顔を映し出す。   「どうだ?」 「ちょっと変な感じはするけど大丈夫」 「着けるのも練習しないとな」  そう言いながら、ユリウスはもう片目にもガラスを入れてくれた。    両目にガラスを入れた状態で空を仰ぎ見る。  白くたなびく雲はゆっくりと青いキャンバスを泳ぎ、クスノキは冬とは思えないほど濃い緑の葉を揺らしていた。  もう一度鏡を見ると、そこにはミカエラが写っている。  まるで生まれ変わったかのような姿に、ライリーは思わずユリウスの腕を引いた。 「どう?」 「見慣れないが似合ってる」 「これでますます生き別れた双子みたいだね」    ライリーがミカエラの話し方で喋ると、ユリウスは緩めていた頬を引き攣らせ、片付けようとしていたガラス瓶を落としかけた。 「は……あ、うわッと……!」    トントントン、と跳ねるガラス瓶をようやく掴んだユリウスは、それを木箱に入れると、胸に手を当てた。  どうやら、かなり似ていたらしい。    ライリーは頬が緩むのを止められなかった。  ユリウスの反応は、模倣訓練の成果が出ている証左だ。  喜ばずにはいられない。 「びっくりするほどそっくりだねぇ。そのまま食堂に行って、みんなを驚かせてみたらどうだい?」 「やってみます!」 「俺は窓から見てるよ。俺と一緒だったら、すぐにライリーだってわかってしまうだろ」 「そうだね。じゃあ、早速いってきます」  ライリーはスキップする勢いで駆け出し、食堂に突入した。 「え、ミカエラ殿下?」 「やっほー。遊びに来ちゃった!」 「いや、あれ……え?」    姿や言動はミカエラであること、しかし着ている服が影の普段着であることから、影たちは本物のミカエラなのか、ライリーであるか判別がついていなかった。    しかし、ライリーたちが目指すのは完璧なミカエラだ。  ライリーなのか、ミカエラなのか。  迷うようではまだまだということだ。   「ふっ……ダメだ、ごめッ……はははは!」 「く、ふふっ……ごめん、私も……!」  どのタイミングで種明かしをしようか迷っていると、窓の外から笑い声が響く。  ユリウスとイーファの声で、影たちは「なんだよもう!」と口々に文句を言い、そして笑い出した。  最初のドッキリは半分成功、半分失敗。  ライリーは笑いながら、次は完璧に演じ切ってみせると拳を握り締めた。

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