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第53話 真夜中の訪問者

 ジャクソンから小動物を追い払うように手で帰宅するよう指示されたライリーは、素直にギルドマスターの執務室から退出し、階段を登った。  階段を登り切って右に進んだ一番奥の部屋が、今のライリーの住まいだ。    鍵を開けて室内に入ると、暗いはずのそこは煌々と灯りがついており、紅茶の匂いが漂っていた。  友人の訪問に、疲れていた体が少しばかり軽くなる。  リビングに置かれたソファには、ライリーと瓜二つの顔をした人物が我が物顔で座っていた。 「来てたんだ。待たせてごめん」  ミカエラは、たびたび転移陣を使ってライリーの部屋に訪れる。  転移陣は、オーウェンが隣国のアストラウス国に留学に行った先の学友が二年前に開発したものだ。  それまで無機物しか転送できなかったものが、有機物――つまりは人間を含む生き物――を転移させることに成功した。  ただし、悪意ある者が使用すれば犯罪が蔓延ることは必至で、法整備が進んだ国でないと技術提供しないと決められている。    サニーラルンは転移陣の運用について、議会で揉めたために法が定まっていなかったが、オーウェンが開発者と学友だったこともあり、国の改革を進める目的ならと特別に提供を受けた。  成人の儀の夜、ミカエラはそれを使って国内の貴族の屋敷に忍び込んでいったというわけだ。    一年前の事後処理が終わり、法が定められた。  ミカエラは王族の特権として、堂々と転移陣を使用している。    タイミングに規則性はないが、ミカエラの生活に余裕がある時だというのはわかっていた。  ライリーは手早く荷物を片付けると、ミカエラの隣に座り、彼が淹れてくれた紅茶に口をつける。   「勝手に待っていただけだから平気。こんな夜中まで仕事?」 「グーロっていう魔獣のせいでスタンピードみたいになっていたから、今日討伐隊が出ていたんだ。討伐が成功したのもあって仕事が多くて」  温かい紅茶が疲労した体が溶かしていく。  紅茶を飲んで深く息を吐くと、瞼が重く感じられた。   「なるほどね」 「抜け出してきてよかったの?」 「寝る時間だからいいの」 「また黙って来たのか」 「まあね」  ミカエラは悪びれもせず、むしろ得意気な顔をして胸を張った。  ここまで自信満々なのは、護衛を務める近衛騎士と影に部屋から抜け出していることを悟られない小細工をしているからだろう。  護衛対象が部屋にいないことに気付かず、真面目に護衛の仕事をしている彼らが不憫でならない。    ライリーは目を伏せ、じとりした視線をミカエラに向ける。  しかし、当の本人はどこ吹く風という顔をしており、反省の色は見えない。  護衛たちの気苦労はこれからも続くだろう。  ライリーはやれやれと肩をすくめた。  ミカエラは茶目っ気たっぷりに笑うと、その笑顔とは裏腹に、優雅に紅茶を飲んでいく。  成人の儀から一年。  時折子どものような一面を見せるミカエラだが、基本的には王族らしく歳相応以上に落ち着いた雰囲気を身に纏っている。  ライリーはすでに慣れたが、耐性のない者が接すればさぞかし戸惑うことだろう。    ことり、とテーブルにカップを置いたミカエラは、不意に目を伏せた。  中々見ない表情に、ライリーの胸が騒ついた。  嫌な予感は、当たるもの。 「どうしたの?」 「ちょっと報告が」 「何?」 「ユリウスがお見合いしている」  心臓に氷の刃が突き立てられ、カップを口元に近づけていたライリーの手が止まる。  鼓動が震え、指の先から血の気が引き、嫌な汗が流れた。  いつか必ず聞くことになると覚悟していた。  ユリウスはライリーよりも三歳年上で、今年で二十六歳になる。  結婚が早いとされる貴族としては、見合いや結婚話は遅いくらいだ。  覚悟していたはずのことだというのに、ユリウスの見合い話は想像以上にライリーの心に深い爪痕を刻む。  抉られたそこから、赤い血が流れていく。    しかし、ライリーはその痛みを押し込め、震える手でカップを置き、極力冷静を装って返事をする。   「へぇ」 「それだけ?」 「だって俺には関係ない」 「花祭りの日に花束を用意するくらい好きなのに?」  ミカエラに指摘されて、唇を噛む。  何故、渡せなかった花束のことを知っている。  じわりと世界の輪郭がぼやけていく。    ユリウスが好きだ。  一年経っても忘れられないほど好きで、会いたくて、その声で名前を呼ばれたくて堪らない。  消そうとしたユリウスへの想いは、未だにライリーの胸の中で強く輝いている。    昨年の花祭りの日、花を贈り返す約束をしたため、今年の花祭りの日はユリウスに贈る花束を用意した。  しかし、逃げるようにしてハルデランに帰還したライリーに、それを王都にいるユリウスへ渡しに行く勇気はなかった。  もしかしたらユリウスがライリーのもとに来るかもしれない。  淡い期待を抱いてユリウスを待ったが、日付が変わっても彼の姿はハルデランになかった。  ライリーの手元にあるのは、マジックバッグの中で時を止めた、一年前に贈られた赤いアネモネの花束と、受け取る人を待ち続ける花束だけ。  毎日、ユリウスの夢を見る。  狂おしいほどに彼を想っている。  それでも、ライリーはきちんと分をわきまえているつもりだ。   「ユリウスは俺のこと、どうとも思ってないよ。仮にそうだったとしても、貴族と平民じゃ釣り合わない」 「嫌じゃないの?」 「嫌だよ! 嫌だけど、俺には貴族の見合いなんてどうすることもできない」  嫌だ。  ユリウスが自分じゃない誰かと幸せになるのは、嫌だ。  いっそのこと不幸になってしまえばいいとも思う。  深い悲しみと醜い嫉妬の嵐がライリーの心を掻き乱し、抑えられない激情に、とうとう涙が溢れる。    しかし、平民のライリーにはどうすることもできない。  ユリウスと繋がっていたいと願って影になったが、それが本当に最善だったのか。  今ではもうわからない。   「そっか」  ミカエラはライリーを引き寄せて腕の中に入れ、その白魚のような指でそっと涙を拭った。  指についた雫を見せつけるように舐め取ると、その手をライリーの頬に沿わせ、蜂蜜のように甘く蕩けるような声で囁く。   「僕ならこんなに想ってくれる人を一人にしないよ」  低い声に、思わず背筋がぞくりと粟立つ。   「冗談言うな」 「あは、バレた?」  ライリーはミカエラの手を軽く弾いて頬から離させた。  カラッと笑うミカエラだが、半分冗談、もう半分はある意味本気だ。  ライリーを気に入っているミカエラは、この部屋に来るたびに王都に来ないかと誘ってくる。  もちろん、影としてだ。  正式に婚約者を迎えたミカエラは、来年の夏に挙式予定だ。  相手はミカエラの幼馴染であり、両者とも実は少なからず想い合っていたという。  ミカエラが隠すことなく彼女を溺愛しているというのはジャクソンから聞いている。  ミカエラ付きの影になれば、ミカエラの婚約者を含め、否応なく王族総出で可愛がられるだろう。  そうなれば、寂しい思いをすることも少なくなる。  ミカエラなりに、出口のない迷宮に入って出れなくなったライリーを助けようとしてくれているのだ。   ユリウスへの気持ちに踏ん切りをつけたい。  しかし、その方法がわからない。  ミカエラの思いを知っているからこそ、ライリーは余計に焦っているのだ。   「ライリーのことが好きなのは本当だよ」 「俺も好きだよ。友達として」 「親友って言ってよ」 「はいはい、親友です」 「うわ、扱い雑」  不満そうに唇を尖らせるミカエラだが、機嫌を損ねたようには見えない。  寧ろ、この軽快な掛け合いを楽しんでいる。  こんな軽口を叩けるのは、ミカエラがそれを許してくれているからで、ライリーはその厚意に甘えてばかりだ。    話している間にも、涙が溢れて止まらない。  ミカエラの腕がライリーを引き寄せる。  ライリーは瓜二つの親友の胸に顔を押し付け、声を押し殺しながら泣き続けた。  ふと顔を上げて視界に入った月。  窓から見える三日月も、ライリーを慰めてくれているような気がした。  *  ユリウスの見合い話を聞き、ミカエラの胸で泣いたあの日から二週間が経った。  今日は珍しく冒険者ギルドで閑古鳥が鳴いている。  ライリーは他のギルド職員と話しながらゆっくりと昼食をとろうとして席を立ったが、それをジャクソンが阻止した。  素早く送られたハンドサイン。  それは、影としての任務を示している。  影の任務があるのは、基本的に夜だ。  日中に指示があることは珍しい。 (珍しいことだらけの日だな)  ライリーは自室に戻り、黒い影の装束を身に纏う。  髪を束ねていた赤いアバロンシェルの髪飾りはマジックバッグの中に入れ、黒く何の装飾もない紐で髪を結ぶ。  普段はアバロンシェルの髪飾りを使っているが、外で活動する時は紛失防止のため、大切にマジックバッグの中で保管しておくのだ。  準備ができたライリーは、ジャクソンの執務室のドアをノックする。  大きな返事を聞き、部屋に入ると、ジャクソンは座り心地の良さそうな椅子から立ち上がった。   「失礼します」 「おう、来たか。早速だがこれを」  ジャクソンから渡されたのは一通の上質な白い封筒だった。  封がしてあるが、宛名も差出人も書かれていない。  怪しい手紙に、ライリーは顔を顰めた。   「なんですか?」 「ミカエラ殿下から至急の手紙だ。受け取ったら速やかに開封しろだとよ」 「至急?」 「いいから、ほら、開けろよ」 「急かさないでくださいよ、もう……」  ユリウスの見合い話を聞いた夜以来、ミカエラとは会っていない。  何か用事があるなら、直接ライリーに会いに来そうなものだが、改まって手紙を送ってくるとは何事だろうか。    ライリーはジャクソンから一角兎のペーパーナイフを受け取り封筒を開封する。  手を差し入れて取り出したのは、一枚の紙だ。  折り畳まれた紙を広げると、それには幾何学模様が描かれていた。 (これだけ?)     手のひらに紙を置き、幾何学模様を観察する。  暗号かと思ったが、そこに意味のある言葉は見出せない。  首を傾げていると、ジャクソンが紙の上に手を翳した。  すると、幾何学模様が発光し始める。  今の今まで気付かなかったが、記憶に間違いがなければ、これは転移の魔術陣だ。 「えッな、待って!」 「いってらっしゃい。素直になれよ」 「ジャクソンさん!」  ジャクソンは魔術陣に巻き込まれないためか数歩下り、したり顔で手を振っている。  ライリーがジャクソンの名前を叫ぶと同時に一段と魔術陣が輝く。  その眩しさに目を閉じると、ライリーは宙に浮くような感覚に襲われた。

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