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第11話

「おはよう、エルヴィン」 「ふにゃっ……?」  額にチュッとキスを受けて、エルヴィンは寝ぼけ(まなこ)を手で顔を洗うときみたいにゴシゴシこする。 「よかった。エルヴィンもあれからよく眠れたみたいだな」  ルークの指で、口元から垂れたヨダレを拭われてエルヴィンはハッとする。 「で、で、で、殿下……っ! いっ、いけませんっ、そんなことを……きっ、汚いからっ」  ルークの大切な指をエルヴィンのヨダレで汚すことは許されない。ルークは何をしているのだとエルヴィンは大慌てだ。 「汚くなんかない。エルヴィンの寝顔は可愛かったぞ」 「もっ、申し訳ございませんっ」  ルークの前でヨダレを垂らすほど爆睡するとはなんたる失態だろう。恥ずかしくて穴があったら入りたいくらいだ。 「俺がエルヴィンに身を寄せると、エルヴィンも俺に寄りかかってきた。俺の腕の中がそんなに気持ちよかったか?」 「ひっ、ヒエェッ!」  寝ぼけて自分はなんと恐ろしいことをしてしまったのだろう。ルークに寄りかかるなんて、なんて無礼なことを。 「エルヴィンを正式に妃として迎える日が楽しみだ」 「えっ……?」  にこやかに微笑まれて気がついた。一晩経ってもまだルークの記憶違いは治っていないらしい。  なんということだ。  ルークに愛おしそうに見つめられて、心苦しくなる。  早く治してあげないと、ルークが可哀想だ。  本当なら、ルークのこの熱い視線は、婚約者のアイルに向けられるものだ。それなのにふたりの大切な時間をエルヴィンが奪っている。  それにルークに好かれて、愛の言葉を囁かれるとエルヴィンはドキドキしてしまう。  嘘だとわかっているのに、記憶違いのせいだと知っているのにも関わらずだ。  思い出をもらうのは、昨晩だけで十分だ。これ以上は危険だと高鳴る胸がざわざわしてエルヴィンに知らせてくる。  今まではルークに対して漠然とした好きの感情しか抱いていなかった。  それがルークと接してみて、ただ遠くから見ていたときとは違うものを感じた。  このままルークに記憶違いで愛されてしまったら、多分、ルークのことを本気で好きになる。どんなに好きになってもこの気持ちは叶わないのに。 「エルヴィン。一緒に朝食を食べないか? そのあとはふたりでデートをしよう。今までエルヴィンと一緒にいられなかったぶんを取り戻したい。怪我をしたことで療養中の身になり時間もある。これからの時間はできるだけエルヴィンと過ごしたい」  王弟としての務めがあるルークは多忙だ。そのため婚約者のアイルとも今までまともに過ごす時間が取れなかったのだろう。  だが、その謝罪を受けるのもエルヴィンじゃないし、デートをするなら婚約者とするべきだ。 「あっ、あの、無理ですっ!」 「無理……?」 「僕っ、忙しいんでお断りします! そのようなことをなさりたいなら、どうか公爵令息さまをお誘いくださいっ!」  エルヴィンはベッドから飛び起きて、ルークから距離をとった。 「今後はあまり僕に話しかけないでください。こっ、これで失礼いたします!」  唖然とするルークを尻目に、エルヴィンはその場から勢いよく逃げ出した。  寝室を出て、朝食の用意をしていたらしいルークの従者たちの横をすり抜けて、城の廊下へと飛び出していく。  逃げ足だけなら自信がある。このまま自分の部屋まで駆けていって、閉じこもってしまおうと思った。  ルークの誘いに乗ってはならない。あれは偽りの愛だ。  ルークが記憶を取り戻すと同時に消え去る偽物の愛。そんなものに惑わされてはいけない。  ついに自分の部屋に戻ってきたエルヴィンは急いで中に入って、内側からしっかりと二重に鍵をかけた。誰もここに入って来られないように。  エルヴィンは猫足のソファーの上にどかっと腰を下ろして、乱れた呼吸を整えていく。 「はぁ……なんでこんなことに……」  なぜルークはこんな変な記憶違いを起こしてしまったのだろう。麗しい見た目の黒狼獣人アイルと田舎のへっぽこ猫獣人のエルヴィンでは、雲泥の差だ。薬の作用とはいえ、婚約者と間違えようもないはずなのに。 「早く目を覚ましたいだろうなぁ……」  ルークだって犠牲者だ。一刻も早く本当の自分を取り戻したいに決まっている。  ルークの治療はこの城で一番の治癒師たちが専属で診ている。身の回りの世話をする従者もたくさん従えているし、これ以上ないくらいの環境だ。エルヴィンの出る幕などない。 「はぁ……」  記憶違いのせいでも、ルークはかっこよかった。ルークの腕に閉じ込められ、愛を囁かれ、まるで恋人同士かのように一緒に眠った。そのときのルークの無防備な美しい寝顔は忘れられない。 「あれが本当だったらよかったのに……」  一晩だけの素敵な夢だった。  本当ならルークと話もしないまま人質の期間が終わったら自国に帰るはずだった。それなのにあんな夢を見せてくれたことに感謝をしよう。  ルークの熱い眼差しを思い出しただけで身体が熱くなる。胸の奥がじんとして、つい顔が綻んでしまう。  だが、ルークのことを思えば記憶違いになっていたとはいえ、婚約者以外の相手と恋人同士のような接触は嫌だろう。接触が多ければ多いほど、記憶を取り戻したときに、「あんな奴に触れてしまった」と、よりショックが大きくなってしまうのではないだろうか。  そう思うとルークに変なことをさせないように、エルヴィンはルークと距離を取ったほうがいい。一緒に朝ごはんだの、デートだの、そんなことまでルークにさせられない。申し訳なさすぎる。  これ以上ルークのことは考えまいと思っても、どうしてもエルヴィンの頭の中からルークのことが離れなかった。
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