80 / 89

第五章 恋の鼓動と開く心36

***  次の日は観光バスに揺られ、長距離移動で旭川に到着。旭山動物園で1日過ごした。その次の日は富良野方面。ラベンダーの花が咲く時期で、畑には目に優しい紫色が広がっていた。 「陽太、俺ここで休んでいるから、班の人と喋ってきたらいいよ。夜だって別の部屋に行ってるわけだし、みんな陽太と喋りたがっていたよ」 「そうか? わざわざ行かなくても悠真と一緒にいるだけで、アイツらが勝手にツッコミ入れてウザいのに」 「俺絡みじゃない、普段の話をしてきなって。たとえばそうだね、体育会系がする行動の見本を見せてあげれば?」  俺からの提案に、はじめは渋い表情を見せていた陽太だったけれど。 「悠真がそこまで言うなら、アイツらのところに行くけど、なにかあったらすぐに俺を呼べよ」 「わかった。行ってらっしゃい」  小走りで班員が固まっているところに向かう後ろ姿を、ぼんやりと眺めた。  これまで、ずっと付きっきりでいてくれた陽太。智くんのことで俺が気落ちしていると思ったのか、夜になって部屋が分かれる直前まで、俺の隣をしっかり独占していた。それは見るからに、誰にも譲らない勢いというか。 「何人たりとも俺に近づけない……みたいな独占欲を見せつけられている感じだったな」  困ったことに、彼の傍はとても居心地がいい。陽太から伝わってくるポカポカは、俺だけが感じられるもので特別だった。  しかも体育祭で具合が悪くなった俺の体調を、ポカポカが治してくれることがわかってからというもの、それに頼りきっている。しかもそのことに陽太が気づいているから、なおさら始末に負えない。 「困ったな、これは……」 「どうした? なにをそんなに困ってるんだ月岡」  俯いて考え込む俺の前に影が差した。顔を上げたらそこには、佐伯が榎本くんと一緒にいるではないか。 「月岡、これプレゼント」  榎本くんが赤いリボンで束ねられているラベンダーの花束を、俺の手に握らせる。 「ありがとう。すごーくいい匂いがする」 「ラベンダーは鎮静成分がある。西野がいなくても、落ち着くことができるだろう?」  言いながら佐伯が俺の隣に座ると、なぜか俺を挟む形で榎本くんは隣に座った。 (――榎本くん、ここは恋人である佐伯の隣に座ればいいのに、どうして俺の横に座ったんだろ?) 「月岡ってば、すげぇ難しい顔してたけど、なんか悩んでるのか?」  榎本くんが心配そうな面持ちで訊ねた。 「頭の中身がないコイツが解決できるとは思えないが、一応話をしてみるだけでもスッキリするかもしれないぞ」 「佐伯……たいしたことじゃないんだ。ただ、今の現状に俺が満足してないだけでね」 「どんなことに満足していないんだ?」  佐伯は訊ねながら、訝しげに眉根を寄せる。 「なんていうのかな、陽太におんぶにだっこ状態になってる感じ。彼の好意に甘えまくって、俺は陽太になにもしていない」  思ったことを口にした途端に、佐伯はさもおかしいと言わんばかりに笑った。カラカラ笑う佐伯のことを、榎本くんとふたりで不思議に思いながら無言で眺める。 「そんなことを言ったら、この榎本もおんなじだぞ。コイツこそ、なにもしていない」 「ちょっと! それ酷くない? 俺ってば涼のこと、すげぇ愛してあげてるのにさ」 「残念ながら、愛は見えないものだからな。ゆえに、なにもしていないに等しい」  俺を間に挟んでの、恋人同士の痴話げんか。俺はどうしたらいいのだろう。 「月岡、見てのとおりだ」 「はい?」 「恋人同士になっても『貰ってない』『いやあげてる!』なんて言い合いをするくらいに、現状に満足していない状態なんだ」  ひょいと肩を竦めてわかりやすい説明をした佐伯の表情は、悩んでいる俺とは違って、とても明るいものだった。 「そうなんだね」 「ああ。しかも片想いしているときよりも、付き合ってからのほうが現状を持続する努力をすることに必死で、とても難しい」 「お互い、好き合っているのに?」  小首を傾げて佐伯を見てから、反対側にいる榎本くんにも視線を飛ばした。 「月岡は榎本から俺に対する苦情を、直接聞いているだろう?」 「う~ん。苦情を聞いているよりも、惚気のほうが多い気がするけどね」 「ちょっと待ってよ。俺は惚気たつもりはないって!」 「榎本くん言ってたじゃないか。佐伯はベッドの中では優しいって」  否定する言葉を告げると、途端に佐伯の頬が赤く染まった。 (へぇ。佐伯でもこんな顔をするんだ。意外だな――) 「バカ虎太郎! 外では余計なことを喋るな。俺の威厳を減らすんじゃない」 「だってぇ……」 「佐伯、榎本くんを怒らないで。彼のおかげで、俺は恋について学んでいるんだからね」  にっこりほほ笑んで告げたら、佐伯はおもしろくなさそうな面持ちで舌打ちした。 「西野を困らせるために月岡に話しかけたというのに、どうして俺が困惑することになるんだ」 「陽太を困らせる? それってどういう――」  言いながら陽太が班員といる場所に視線を向けたら、彼と思いっきり目が合った。 (――もしかして俺のことを、陽太は離れていても気にしていたの?) 「やっと気づいたか。俺と榎本が月岡を挟んで座った頃から、チラチラこっちを見ていたんだぞ」 「涼ってば西野委員長を妬かせたくて、わざとこんなことをしたんだ?」 「おまえが月岡にお土産をあげたいって言ったから、俺は一緒についてきただけ。偶然の産物さ」  佐伯は意味深にほほ笑むなり、俺の肩を軽く叩いてから腰をあげた。それを見た榎本くんも、ベンチから立ちあがる。 「月岡に俺たちのことが参考になるのかわからないが、覚えておくといい。恋は気づいたときには、すでに落ちてるものだからな」 「そうそう! 月岡は頭がいいから、いろいろ考えちゃうでしょ。でもね本当に相手のことが気になった時点で、うわっヤベってなるから、すっげぇおもしろいんだ」  互いに目を合わせて意思疎通をしているふたりに、俺もベンチから腰をあげて立ちあがった。そして深くお辞儀する。 「ふたりとも、どうもありがとう」 「わわっ、そんなことしなくてもいいのに」  榎本くんが慌てふためいて、俺の両肩に手を添えて無理やり頭を上げさせる。 「涼は忙しいから、なかなか相談できないかもだけど、俺はいつでも暇してるからさ。困ったことがあったら、声をかけてほしいな」 「うん、そうするよ。ラベンダーの花束ありがとう。大事にするね」  去って行くふたりを、いつまでも見送った。さっきまで感じていた不安な気持ちはまったくなくなり、素直な気持ちで陽太との関係を考えることができる現状に、安堵感を覚えた。  ふたりの背中が見えなくなったあと、もう一度ラベンダーの香りを深く吸い込む。この気持ちをちゃんと陽太に伝えられる日が来ますようにと、心の中でお願いしたのだった。

ともだちにシェアしよう!