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第五章 恋の鼓動と開く心35

***  当初、五十嵐と喋っている悠真の顔色が真っ白すぎて、すげぇ心配だった。そこで体育祭のあとに、保健室で悠真の手を握りしめたら顔色がよくなったことを思い出したことで、それをここでもやったのだが。 (嬉しそうな顔してずっと手を握られていたら、放してくれなんて言えないな……) 「おーい、西野委員長!」  応援を頼んでいた榎本が、佐伯を連れて現れた。俺が悠真とベンチに腰かけて数分後という素早さに、ありがたみを感じてしまう。 「西野、フェロモンを使ったのか?」 「ああ。榎本に用事があって、悠真と離れた一瞬の隙に、五十嵐が悠真に接触してきたからな。手を出させないように、フェロモンを一発かましてやった」 「さすがに量は控えたみたいだが、相変わらず濃いな」  佐伯は左手で顔の前を扇ぎながら、わずかに眉をしかめる。その隣で榎本が鼻をスンスンさせた。 「確かに濃いけど西野委員長のフェロモンって、いい匂いっスよね。なんていうか、おひさまの匂い」 「……ほぅ。アルファの恋人がいる前でそれを言うとは、随分と度胸があるな。おまえは西野と|番《つがい》になりたいのか?」  一触即発の空気に笑いをこらえていた俺の隣で、なぜか悠真が顔を伏せた。さっきよりも、明らかに暗い表情だった。 「どうした悠真? 具合でも悪くなったのか?」  顔を覗き込んで訊ねると、ハッとした面持ちで顔を上げる。 「具合は大丈夫。その……」 「うん?」 「俺はみんなのようにフェロモンを感じられないのが、ちょっぴり寂しいなって」  ぽつりと落ちた言葉に、その場の空気が少し変わる。 「そもそも俺がフェロモンを感じることができたら、智くんの気持ちを理解できたんじゃないかと思ったんだ。そしたら、襲われることもなかったのかもしれないって」  その静かな自問に佐伯と榎本も言葉をなくし、黙って話を聞いた。 「悠真、おまえ――」 「佐伯もわざわざ駆けつけてくれてありがとう。自由行動中だったのに、本当に悪かったね」 「月岡の心配はしていない。頭のいい月岡は、きちんと立ち回ることができるヤツだと俺は判断している。懸念していたのは西野のことだ」  忌々しそうな面持ちで、佐伯は俺に指を差す。 「なんで俺なんだよ!」 「榎本が言ってたろ、西野のフェロモンはいい匂いだって。その五十嵐だっけ? ソイツが月岡の前に現れなくても、なにか興奮する材料があって西野が誤ってフェロモンを爆散し、旅行中にオメガのハーレムを爆誕させるんじゃないかと、そっちのほうが心配だったんだ」 「えぇ……そんなバカな話があるかよ!」  佐伯の口から流暢に語られる内容を聞いた悠真と榎本は、なぜか納得したように頷き、俺の顔をじっと見つめる。 「ちょっ、なんでそんな目で俺を見るんだ。悠真、俺と一緒にいるとき、ちゃんとフェロモンの微調整ができていたよな?」 「できてたけど、それが長続きするかどうかは、わからないんじゃない?」 「月岡がそう言ってることだし、気を抜くなよ西野!」 「なんなんだよもう! 俺、マジでがんばってるのに……」  ガックリと肩を落としてへこむ俺を尻目に、3人は楽しそうに笑った。ひとしきり笑ってから、佐伯が口火を切る。 「ところで問題になってる五十嵐って高槻の生徒は、無事に追い払うことができたんだな?」  いきなりの核心に、俺は答えあぐねる。 「涼、遠くから見ていた俺の考えなんだけどさ。なんていうか五十嵐って人の顔は、納得した感じに見えなかったよ。西野委員長はどう?」  榎本の言葉に、俺も頷いた。 「ああ、確かに。未練たっぷりって感じだった。あれだけハッキリ悠真に断られているのに、諦めきれていないって感じだった」 「高槻は明日から道南、俺たちは道北。もう会うことはないはずだが、今日一日は警戒しとけ。榎本も自分の班に戻れ、ふたりの邪魔をすんな。気を遣え」 「榎本くんと佐伯、来てくれて本当にありがとう」  そう言った悠真が、ようやく俺の手を放した。そして静かに立ち上がって、ふたりに深く頭を下げる。 「俺もフェロモンを爆散させないように、しっかり気をつけま~す!」  ややふざけて言ってみせると、佐伯が振り返って、舌を出してアッカンベーをする。最後まで嫌味なヤツ! 「陽太もありがとね。もう大丈夫。ほら、計画してた場所……見てまわろ?」  差し出された手はなかったけれど、自然と並んで歩き出す。その肩越しに陽の光を浴びた悠真の柔らかい笑顔が見えて、俺はそっと息をつく。  修学旅行で、ずっと一緒にいられること。それだけで、いまは充分だった。

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