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第六章 恋のはじまりと揺れる未来6
***
朝食を食べ終わっても、宿題のノートを開いても、ぜんっぜん集中できなかった。理由は、ひとつだけ。
(……悠真に、すげぇ会いたい)
昨日あんなに長い時間一緒にいたのに、気づけばもう会いたくなってる。スマホに目をやるたび、連絡が着てないか気になって、通知音に反応する自分がいる。
(ていうか……俺から送ればいいんじゃね?)
メッセージアプリを開いて、「おはよう」って打って――それだけじゃ足りなくて、書いては消してを繰り返した。
『今日は午後、ちょっとだけ時間あるんだけど、また会えたりする?』
ようやく送れたその一文。画面の「既読」がつくのを待つ時間が、やけに長く感じる。
数分後――『うん。俺も、すごく会いたかった』
その返信だけで、心臓がバクバクするくらいに嬉しくなった。
(――よし、どうにかして時間を作ろう)
母さんには「図書館で調べものしてくる」って言ってみる。別に嘘じゃない。帰りに寄ればいい話なんだ。
悠真とは「駅前のパン屋でお昼を買って、公園で食べよう」ってことで話がまとまった。
(たぶん、ただ一緒にいるだけでいいんだ――)
昨日みたいに宿題をしなくても、どこかに出かけなくても。ベンチでパンを食べて、飲み物を買って、隣にいる時間を過ごす――それだけで充分なんだけど、できることなら。
(……もうちょっとだけ、悠真とくっつきたい)
会えばきっと、自然に触れたくなる。指が、肩が、さりげなく重なるように。“恋人”って、そういうものなんだろうな。
午前中は部活動。終わってから速攻でシャワーを浴びて、少し早めに家を出た。悠真に早く会いたい俺の気持ちが乗った足が、約束の場所へ向かって急いで進む。
すると、前から歩いてくる姿が見えた。ベージュのシャツが風に揺れて、少し整えた髪が日差しを受けて光っている。俺に気づいた悠真が、小さく手を振った。
その笑顔を見ただけで、全部報われた気がする。
「よ、悠真。……もうちょっと会えないかって思ってさ」
「俺もそう思ってた。……なんか、俺たちヤバいよね」
笑いながら並んで歩き出す。その指先がふと触れたとき、どちらからともなく自然に手が重なった。
特別な予定なんて、もう必要なかった。ふたりが会いたいって思えば、それだけで逢瀬の理由になった。
***
駅前のパン屋でそれぞれ好きなものを選んで、ジュースを片手に近くの公園へ向かった。夏の日差しは少し強いけど、木陰のベンチなら風も通って思ったよりも心地いい。
「俺、焼き立てクロワッサンとサンドイッチにした。悠真は?」
「俺はあんパンと焼きそばパンにしたんだ」
喋りながら紙袋を開けると、甘い香りがふわっと広がる。ベンチに並んで腰かけて、さっそく各々かじりつく。
「……ん、うまっ」
「ふふ、陽太しあわせそう」
横を見ると、悠真が小さく笑っていた。なんでもない昼ごはんが、こんなに楽しいなんて。
「悠真、それ一口ちょうだい」
「えっ、これ?」
「うん。交換しよ」
差し出されたあんパンに、俺は躊躇わずかぶりつく。パンのしっとりした感じとあんこの甘さが口いっぱいに広がって、思わず頬が綻んでしまった。
「うまい……ほら、俺の焼き立てクロワッサンも」
「ありがと」
悠真が俺の手からパンを受け取って、少しだけかじる。その唇に、視線が吸い寄せられてしまって――慌ててジュースを飲んだ。
(やっべ……見てるだけでドキドキする)
パンを食べ終えたあとも、並んでジュースを飲みながらのんびり話す。部活のこと、宿題の進み具合、お祭りの花火の余韻。どんな話題でも、隣に悠真がいるだけで胸の奥が満たされていく。
「ねぇ、陽太」
「ん?」
「こうして一緒にいられるだけで……俺、すごーく嬉しい」
静かな声で言われて、胸が熱くなった。思わず、つないだままの手に力を込める。
「俺もだよ。なんかもう悠真と一緒なら、なにを食ってもうまい気がする」
「それ、ちょっと恥ずかしい」
「ほんとなんだって!」
ふたりで笑い合うと、風がまた木々を揺らした。
特別なことはなにもしてない。ただふたり並んで、パンを食べてるだけ。それなのに俺は、悠真の指先を握る力をほんの少し強めてしまう。
「悠真……ずっと、こうしてたいな」
思わず漏らした俺の言葉に、悠真が一瞬目を丸くして、それから照れくさそうに笑った。
「……俺も」
その笑顔を見て、胸の奥が甘さでじんわりと満たされていく。夏の日差しの下、パンよりもずっと甘い時間が、俺たちの間に広がっていた。
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