105 / 106

第六章 恋のはじまりと揺れる未来12

***  その後、三人でピザを食べ終え、箱と紙ナプキンだけがテーブルに残る。やがて陽太のお父さんは書斎へこもったのに、開けっ放しの部屋から作業の物音だけが響いた。 (――陽太のお父さん、わざと扉を開け放っているんだろうな。すぐ近くに気配があるのに、陽太の部屋だと見られてはいない)  そのちょっとした制約が、逆にひそやかな親密さを際立たせていた。  二階の陽太の部屋に戻ると、午後の光が窓から差し込んでいて、机に広げたプリントの上に柔らかい影を落とす。自然と陽太の隣に腰を下ろすと、肩の距離が心地よい。 「さあ宿題、再開しようか」  陽太がシャーペンを取るのに合わせて、俺もペンを走らせる。隣に並んでいるだけで、彼の体温が近く感じられて、胸がじんわりと熱を帯びていく。  下の書斎から紙をめくる微かな音が響くたびに、俺たちは声を潜める。そのせいで、余計に互いの息遣いが耳に触れて、勉強以上に心臓が落ち着かない。 「陽太この数式、ちょっと意味がわからなくて……」  小さく呟くと、陽太が身を寄せて肩越しに指を差す。その瞬間、肩が軽く触れて、心臓が跳ねる。 「ここが肝になってるんだと思う。難しく考えすぎだって」 「そうなんだね、ありがと」  穏やかな声に、思わず膝を机の下で軽く彼に触れさせる。陽太は一瞬固まったけど、すぐに小さく笑って言った。 「……お礼なんていらないのに。普段は俺が悠真に勉強を教わっている立場だろ」  その照れた声が嬉しくて、机の下で彼の手をぎゅっと握ってしまう。 「でもこうして陽太から教わること、俺は嬉しいんだよ」 「そ、そうなのか……」  指先がじんわり汗ばむのを感じながら、絡めた手を離せなかった。プリントの文字はかすんで見えるのに、肩や指先から伝わる温もりは鮮明で、甘く心を占めていく。  下にお父さんがいるから声に出せない。その制約が、余計に胸の奥をくすぐる。息遣いと机の下で重ねた手だけが、ふたりの気持ちを証明していた。 「悠真……こうやって近くにいると落ち着くな」  陽太の低い声に、俺は頷いて囁く。 「うん……俺も、陽太の隣だと安心できるよ」  午後の陽だまりのように柔らかな彼の温もりが、指先から心の奥へと染みていく。宿題の文字を追いながらも、意識はずっと彼に引き寄せられていた。 (――やっぱり陽太といる時間が、一番早く過ぎる)  プリントの山はまだ残っている。それでも、このひそやかな甘さを、もう少しだけ味わっていたかった。 ***  夕方、宿題を続けている悠真の隣で手を付けたプリントを片づけ終えて、椅子から腰をあげた瞬間だった。 「陽太、少し来なさい」  下の書斎から父さんの声が響く。名前を呼ばれただけなのに、背筋に冷たいものが走った。叱られる覚悟はしていたのに、足は勝手に重くなる。 「呼ばれたから行ってくる……」  悠真に告げてからドアを閉めて階段を降り、父さんのいる書斎へ向かった。  開けっ放しの扉からは、紙とインクの匂いが鼻を刺す。机の前に座った父さんは背筋を伸ばし、静かな目で俺を見つめた。 「そこに座れ」  短い言葉に従って、書斎にある椅子に腰を下ろす。鼓動がやけに大きく耳に響いた。沈黙のあと、父さんは低く切り出す。 「……二階でなにをしていた?」 「それは、宿題を悠真と――」 「ごまかすな」  鋭い声に喉がひくりと鳴る。 「おまえのフェロモンは濃い。家中に充満していた。俺が帰宅した瞬間、鼻に刺さるようにわかったぞ」 「……っ、ごめん、なさい」 「謝って済む話じゃない。悠真くんはベタだろう。本来なら、アルファの強いフェロモンを浴びれば不快にもなる。彼が特別に感じない体質だからといって、許されるものじゃない」   言葉が鋭く突き刺さるのに、そこに怒鳴り声はなく、ただ俺を案じる重さだけがあった。 「でも俺、悠真が……」  口を開きかけた瞬間、父さんの目が細くなる。 「気持ちは理解している。だが、それとこれとは別だ。感情のままに動けば、相手を傷つけかねない。陽太、おまえは責任をとれる立場にいるのか?」  胸の奥がぎゅっと縮む。悔しいのに心配してくれているのが伝わって、余計に苦しい。 「わかってる。これから気をつけるから」  搾り出すように答えると、父さんは僅かに表情を緩めた。 「おまえが本気で、悠真くんを大事に思うならなおさらだ。これからはふたりきりで、宿題をしないこと。軽率な真似はしないように。いいな」 「……はい」

ともだちにシェアしよう!