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強くなりたい

 年の瀬になると、時計の針が進むスピードがいつもよりも速い気がする。師走とはよく言ったものだ。あっという間に時間が過ぎて、気づけば新年を迎えていた。  律は年末のカウントダウンコンサートで忙しくしていたけれど、元日から四日間休みをもらえたらしく、一緒に過ごそうとお誘いがあった。  だから僕は実家に一泊してから、それ以降は律の家に入り浸っていた。朝、目が覚めてもひとりで帰らなくていい。それがたまらなく嬉しくて、好きな人と一緒に暮らすってこういうかんじなのかなと、今はまだ遠い未来を描いた。約束していたスツールも買いに行けて、まさに夢のようなお正月だった。  けれど、大学の冬休みが終わると一気に現実に引き戻される。まだ就活は本格化していないけれど、ダラダラしていればすぐに三月がやってくる。そしたら、いよいよ戦いの始まり。うかうかしているとスタートに出遅れる。  多くの人がキャリアセンターに通いつめているのに、自分はまだ一歩も踏み出さず、立ち止まって悩んでいる。進路の話になる度に先の見えない不安でキリキリと胃が痛んだ。  そんなとき、一通のメッセージが僕の元に届いた。差出人は田島さん。先輩の件以来の連絡に少し緊張しながら、メッセージを開く。  『吉良紡様』  そんな畏まった始まりにスっと背筋が伸びた。何だなんだと胸のざわめきがうるさい。ふうと息を吐いて、先を読み進めていく。    『貴方は三月十四日に開催されるJTOファイナルの参加者に推薦されています。詳細は追って連絡しますが、まずは参加か辞退か、貴方の意思をお聞かせください』  ――JTOファイナル、参加希望の確認。  あのオーディションがパワーアップして帰ってくる。  今までにない規模でファイナルが開催されるということは、随分前に話題になっていた。惜しくも優勝を逃した、全五回行われてきたこれまでの参加者の中から選りすぐりの者だけが参加できる、夢の舞台。  JTOは毎年開催されているわけじゃなく、不定期で行われているからきっと参加者の年代もバラバラだ。まさか直近の出演者である自分がチャンスをもらえるなんて思ってもいなかったから、興奮と緊張で指が震える。  正直、突然の連絡で心の中は混乱している。自分がどうしたいのかも定まらない。参加することになったら、以前とは比にならないぐらいのプレッシャーを抱えて過ごす羽目になるのだろう。だけど、辞退するのは絶対に後悔すると思った。  しかし、あと少しの勇気が出せず、なかなか返信できずにいると、番組公式からファイナル開催が発表される。当然のようにSNSのトレンドになり、誰が出演するのか話題の種になっていた。  返信の期日まであと一日に迫った頃、律から電話がかかってきた。  『ファイナルのこと、またひとりで抱え込んでる?』  「……はい」  当然のようにファイナルの参加者に推薦されたことを知っている。全てを見透かした第一声に大人しく頷けば、しかたないなあと言いたげなため息を零された。  『紡はどうしたいの?』  「……わかんない」  『わかんない、かぁ』  電話の向こう側で、律がうーんと唸っている。  優柔不断で、自己主張するのが苦手な僕は、こういう時にどうすればいいか迷ってしまって、正解が分からないのだ。  『じゃあ、俺の願いを言ってもいい?』  「うん」  『……紡、優勝してよ』  静かな声に、ぞくりと全身が粟立った。  精神が研ぎ澄まされて、ふつふつと血が湧き上がってくる。アドレナリンが分泌されているのを感じる。ギラギラと目が光る。  東雲律、ずっと僕の神さまだった最愛のひと。貴方がそう言うなら、貴方が背中を押してくれるなら、僕は何だってできるんだ。  あの日、田島さんから渡された数枚の名刺のことはちゃんと頭に残っているし、財布に大事にしまってある。  名だたる著名人たちは僕の歌を評価して、認めてくれたのかもしれない。だけど、JTOの結果が準優勝に終わってしまったことが唯一引っかかる。  だって、一番になったわけじゃない。  律のいる世界に足を踏み入れるなら、準優勝じゃ足りない。二番なんて、最下位と同じ。たとえ律が許しても、僕自身がそんなことを許せるはずがなかった。  就活を始めて、いろんな企業のインターンシップや説明会に参加してきた。その度に、僕がやりたいのはこれじゃないと違和感を覚えていたのは事実。  ――律と一緒に歌いたい。  この夢を叶えるために、何が必要なのか。  僕なんかが律の隣にいられる理由を作ることができるのは、僕しかいない。  「……見ててよ、律」  『うん』  「僕が一番になるから」  『ん、楽しみにしてる』  嬉しそうなのが声だけで伝わってくる。直接その顔が見れないのは残念だけど、律の喜ぶ姿を見るのは優勝したときに取っておこうと思う。  『返事が遅くなってすみません。参加させてください』  『吉良くんからの返事を待ってたよ。君の一ファンとして、参加してくれることを嬉しく思う。応援してるよ』  締切ギリギリでの回答でも、田島さんは責めるどころか激励までしてくれた。  律や田島さんだけじゃない。多分僕が参加すると知ったら、家族や奏、宇田たちだって応援してくれるだろう。今まで見ようとしてこなかったたくさんの人の愛に、今度は僕が返す番だ。  ……強くなりたい。  律の隣にいても恥ずかしくない自分になりたいと、そう思った。  ◇◇  ファイナルの流れとして、メールが届いたからといって全員が本選に進めるわけじゃない。通常は審査員に選ばれたひとが人数関係なく駒を進めることができるけれど、今回は違う。  まずは動画サイトにアップロードされた映像を元に、視聴者投票で参加者が篩にかけられる。二十名の参加希望者のうち、たった五名しか生き残れない。  全員が一位を逃しはしたものの才能の塊、しかもそのジャンルのトップレベルばかり。勝ち進むのは容易ではないと分かっている。  ここで負けるわけにはいかない。ずっと長い間付けられていた枷が無くなった僕は、今までにないぐらい全身全霊で魂をぶつけるように歌に願いを込めた。力強く、パワフルに。そして、どこまでも届くように伸びやかに。  同時刻に一斉にアップロードされた動画は、瞬く間に再生数が増えていく。画面を更新する度に変わる数字をドキドキしながら追っていた。  参加者のパフォーマンスで一番多いのが歌で、僕を入れて十一人。あとはマジックが四人とダンスが三人、楽器が二人。  その中には僕が子どもの頃に準優勝したひともいる。テレビで観たことのあるひとがライバルというのは、半端じゃないプレッシャーがある。  全員の動画を観たけどファイナルに選ばれるだけあって、全てに惹き付けられて、時には涙してしまった。敵わないんじゃないかとさえ思ってしまう。  だけど、もう過去は変えられない。自分の才能が平凡なことに変わりはないけれど、僕なりのベストは尽くした。  結果が出るまで、三週間。  こんなに気が遠くなるほど長く、緊張で張り詰めた時間を過ごすのは初めてだった。  ◇◇  ――二位、吉良紡。  ホームページに公開された予選の結果を確認すると、その文字がまず目に入ってほっと胸を撫で下ろす。また二番手。それと同時にじわじわと悔しさが湧き上がってきて、ぎゅっと拳を握った。  僕なんかが名だたるメンバーの中で二番を取ったのは凄いこと、誇っていい順位だ。だけどそんな言い訳も慰めも、今の僕には必要ない。  一番しか、いらない。  本戦へのやる気には繋がるものの、視聴者投票の結果に落ち込んでいるのは事実だった。心が折れてしまいそうになるけれど、まだ舞台の幕は上がってすらない。  決戦のときが翌日に迫った日、僕は初めて律の家の合鍵を使った。悩んで悩んで、どうしてもひとりじゃ落ち着かなくて、そこにいなくてもいいから、とにかく律のものに囲まれた空間で過ごしたくなった。  予想よりも大きな解錠の音にびくりと蚤の心臓を跳ねさせてドアを開ければ、また少し物が増えた律の部屋。その部屋の主はやっぱり留守にしていて、小さく「お邪魔します」と呟いてから、中に入った。  都会の街を見渡せるリビングの大きな窓から空を眺めれば、太陽がちょうど沈んでいくところだった。  この間買ったばかりの壁掛け時計がチクタクと音を立てて時を刻んでいく。電気も付けずに僕は膝を抱えて座りこんだ。  真っ暗な夜空で丸いお月様が幾千の星に囲まれて笑っている。どれだけ時間が経ったかは分からない。だけど、律の部屋にいるというだけで不思議と勇気が湧いてくる。  勝手に来て何も言わずに帰るなんて空き巣みたいだなと思いつつも、そろそろ帰ろうかなと腰を上げようとした時だった。  玄関からドアの開く音がした。それから少しして、バタバタとリビングに駆け込んでくるのは、僕の最愛。月明かりに照らされた少し焦った顔が珍しくて、かわいい。  ぱちんと電気をつけた律が、安堵の表情を浮かべて僕の隣にしゃがみこむ。  「……紡」  「勝手に来てごめん」  「ううん、まだいてくれてよかった」  コートも脱がずに、甘く瞳を蕩けさせる。その糖度に直視なんてできなくなる。  「もう帰ろうと思ってたところなんだ」  「……え、」  会えないだろうと思っていたから、律の顔が見れただけで僕はもう大満足だった。明日も頑張れる、そんな勇気をもらった。  このままじゃ名残惜しくて帰れなくなるとそそくさと立ち上がれば、迷い子のようにズボンの裾を掴まれる。  「……律?」  「やだよ」  「え?」  「俺は紡が足りてない」  むすっと唇を尖らせた律が見上げてくる。僕が律の上目遣いに弱いと分かってやっているなら、なんてあざといのだろう。  「おねがい、紡」  だけど、それに絆される僕も僕。自分のちょろさに笑ってしまう。  「……泊まっていいの?」  「もちろん」  嬉しそうに破顔するのを見れば、何にも気にならない。律が喜んでいるならそれでいいから。  「もしかして、これまで俺に内緒で来たことあった?」  「ううん、今日が初めて」  「はぁ、まじで巻いてよかった……」  スーパーアイドル様は、収録を二時間も早く終わらせてきたらしい。さすが、仕事のできる男。  同じベッドに横になっていれば、律が柔らかな笑みを浮かべて口を開く。  「明日だね」  「……うん」  「紡なら大丈夫」  「うん、見てて」  「ん、頑張れ」  たった四文字のメッセージがどれだけ僕に力をくれるのか、多分この人は分かっていない。  その瞳から、ただ純粋に僕を信じて応援してくれていることが伝わってくる。それだけで僕は無敵になれる。  いよいよ、明日。  自分で運命を掴み取る、そのための舞台の幕が上がる。

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