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一番星は泡沫を泳ぐ

 いつも律と一緒だったから、たったひとりで仰々しいまでの高級マンションに足を踏み入れるのは緊張する。警察に通報されないか、と警戒して必要以上にキョロキョロしてしまった。  不審な行動が監視カメラに映っていて、後から不審者がいたと問題になったらどうしよう。そんなことを考えながらエレベーターに乗って、高層階に向かうとき特有の不快な耳閉感と戦っていた。  ふうと息を吐いて、鍵穴にさっき渡されたばかりの鍵を差し込む。もちろんぴったりはまるそれを回せば、かちゃりと鍵が開いた。許しを得ているはずなのに、どこか落ち着かないのは何故なのだろう。  「お邪魔します……」  か細い声でそう言って中に入れば、いつもと変わらない、しんとした淋しい空間が待っていた。  五万人に囲まれて、たくさんの歓声を浴びた後にこの部屋に帰ってくる律の心境を思えば、切なくなる。  来てよかった。彼を孤独にしたくない。  僕じゃ全然役不足だけど、そう思う。  プレゼントを寝室に隠して、僕はリビングの大きな窓から外を眺める。東京の街を一望できるこの場所がお気に入りになっていた。窓際は冷気を感じるけれど、それが冷静にさせてくれた。  星が散りばめられた夜空から、ほわほわと天使が踊るように白い雪が舞い降りてくる。通りで寒いわけだ。積もることはなさそうだけど、クリスマスだと思えば風情があった。  律にどんな顔をして会えばいいのだろう。  うまく顔を見れる自信がない。  膝を抱えて座り込んだ僕は、切なく震える心にどうにかなってしまいそうだった。好きで好きでたまらなくて、本当は片時だって離れたくない。  始まったばかりの関係なのに、いつか終わりが来るとつい考えてしまって怖くなる。    プレゼント、重かったかな。  無難に花束の方がよかったかもしれない。  僕の気持ちは枯れないからって、それを押し付けられた律は困るだろうに。  一度考え始めたらぐるぐるとネガティブな思考に陥ってしまって、一旦回収しようと腰を上げる。廊下に出たところで、玄関のドアががちゃりと開いた。  「紡」  マフラーに顔を埋めながら入ってきた部屋の主は、僕の姿を確認すると瞳を甘く蕩けさせた。  スーパーアイドルの周りに煌めく粒子がまとわりついているみたいで、自ら発光している。平凡な僕にはあまりにも眩しい。  「おかえりなさい」  「ただいま」  なんだか新婚夫婦みたいだ、無意識にそんなことを考えてしまって赤面する。恥ずかしくて、律の顔が見れない。手早く靴を脱いだ律は、そんな僕をぎゅうっと抱きしめた。  「はぁ、寒かった」  「…………」  「紡も冷えてるね、お湯沸かすから先にお風呂入っておいで」  体を離した律が浴室に向かうのを見つめていた。コンサートを終えたばかりだというのにやっぱり律は淡白で、今宵も抱かれることはないのだろうなと思いながら。  家主より先にお風呂に入れないと断ったものの、自分はシャワーを浴びてきたからと笑顔で押し切られて、僕はしかたなく湯船に体を沈めた。  ……狡い男だ。  僕ばかり甘やかされて、たくさんのものを貰っている。  モヤモヤと考え込んでいるとつい長湯になって、律が待っているんだったと慌てて浴室を出た。若干逆上せ気味だ。  いつも借りているバスタオルで体を拭いてから気がつく。ぼーっとしていたせいで、部屋に服を置きっぱなしにしてきてしまった。  下着は脱衣所にしまっていたから穿いたけれど、どうしようと悩む。  すると、邪な心が僕に囁いた。この姿のまま、律の前に出れば流石に手を出してくれるんじゃないか。……律にその気があればの話だけど。  肩からかけたバスタオルをぎゅっと皺になるほど握りしめる。何もしなくていいと言われたけれど、律にしてもらってばかりな自分から卒業したかった。  ぽたり、少し伸びた前髪から雫が落ちる。  数分考え込んで、ようやく決心した。  ゆっくりとドアを開いて、躊躇いがちに一歩を踏み出す。  バスタオルをかけているし、暖房もついているとはいえ、肌寒くて鳥肌が立つ。それでも歩くスピードを速めることができないのは、躊躇いがあるから。  少し悩んでリビングのドアを静かに開ける。僕に気が付かなければいいのに、なんてめちゃくちゃなことを思ってしまう。  だけど、律はすぐに物音に気がついてこちらを振り返る。バスタオルを羽織って、下着しか穿いていない僕を確認した律は驚きに目を見張った。  「……服、忘れていったんだね。気づかなくてごめん、すぐ用意するから」  ごくりと生唾を飲み込んだ律は動揺を隠すようにすぐに笑顔を貼り付けると、ソファから立ち上がった。そして寝室に向かおうと、僕を見ないようにして足早に隣を通り過ぎていく。  あ、失敗した。  すぐにそう悟って、絶望する。  変態だと嫌われたのかもしれない。ぐしゃぐしゃに心が崩れていく。ぼたぼたと涙が溢れてくるけれど、拭う気にもならない。  律と想いが通じ合ってから、自分でも知らなかった僕がどんどん顔を出す。悩んで傷ついても、そんな自分を消せなくて、やり場のない状況に苦しんでる。  ふらと足から力が抜けて立っていられない。その場にへにゃへにゃとしゃがみこんだ。頭からバスタオルを被ってしまえば、世界を遮断したように思えていくら泣いても許される気がした。  「あったよ、紡……、紡?」  背後から声をかけられるけれど、何も反応できない。肩が勝手に震えてる。僕の異変に気がついて、駆け寄ってくる気配がした。  ぼろぼろと大粒の涙を零すのを確認した律は目を丸くした。  「紡、どうしたの」  「……っ」  あまりにも優しい声色で名前を呼ぶから、声にならない嗚咽が漏れた。  「ど、したら、いいの」  「ん?」  「……りつは、ぼくと、したくない?」  嗚呼、言っちゃった。泣きすぎて目が痛い。自暴自棄にも似た気持ちで口を開けば、八つ当たりのようになってしまって、すぐに後悔が顔を出す。  はっきりとセックスしたいとは言えなくて、曖昧に濁した言葉の意味を正確に理解した律は、浮かべていたよそ行きの柔和な笑みを消す。そして瞳に青い炎を燃やして、ぐずぐずと鼻を鳴らす僕に問いかけた。  「……俺でいいの?」  「律じゃなきゃ、やだよ」  縋るように律の服の裾をきゅっと掴んだ。ぎらぎらと更に炎が燃え上がる。  答えを聞いた律はそれ以上何も言わずに簡単に僕の体を抱え上げると、寝室のベッドに優しく下ろした。  期待と緊張で心臓がうるさい。  目の前の獲物を品定めするようにじいっと僕を視姦する極上の男。それだけで呼吸が荒くなって、露になった肌がピンクに染まる。  それを視認した律は口角を上げる。欲望を隠そうともしない律は少し怖いけど、あまりにも妖艶で魅惑的だった。  「紡の気持ちに気づかなくてごめん」  「……ううん」  ぐずと鼻を鳴らせば、目元に唇を寄せられる。たくさんの謝罪の代わりに、何度も贈られるキスが嬉しい。熱っぽい視線に焦がされそう。  お互いの呼吸とリップ音が部屋に響く。ぬるりと唇の間から入ってきた舌を絡めて、絡め取られて、その気持ちよさに頭がぼーっとする。  耳を擽られて身を捻じれば、両手で頬を覆われて逃げ場がなくなった。律に身体の自由を掌握されていることに歓びを感じる。まだキスしかしていないのに、もう何も考えられないぐらいぐちゃぐちゃだ。  ようやく唇が離れて、唾液が口の端から垂れていくのも気にならないぐらい、はあはあと荒く息を乱す。ぺろりと舌なめずりした律は、そんな僕を見下ろして目を細めた。  「……ずるい」  「何が?」  「いつも律ばっかり余裕ある」  僕はキスだけでこんなに乱れてしまうのに。  大人で経験者の余裕が羨ましい。そう思っていれば、僕の手を取った律が自らの胸に当てる。  ドクドクと自分と同じような速さで主張する心臓の音を感じて表情を伺えば、律は恥ずかしそうに白状する。  「俺だって余裕ないよ。臆病なくせにかっこつけて、大人ぶってるだけ」  「…………」  「ずっと紡に触れたかったのに、紡を怖がらせるのが嫌で、断られたらどうしようって逃げてた」  「……僕は律になら何されてもいいのに」  「そんなこと言ったら付け上がるから駄目。……かっこ悪くて、泣かせてばかりでごめん」  「律は、いつでもかっこいいよ」  「今だって、こんなに緊張してるのに?」  「うん、律でも緊張とかするんだね」  「ふ、俺をなんだと思ってるの」  「神さま」  即答すれば、律は「そうだったね」と諦めたように笑った。  「……でもね、これからはちゃんと恋人として隣に立ちたいから、神さま扱いするのはもう止めるって決めたんだ」  すぐには無理かもしれないけれど、ただの東雲律を愛したい。芸能人として見るじゃなくて、彼自身をちゃんと。  それはここ最近ずっと思っていたこと。告白すれば、律はしみじみと喜びを噛み締めるように口角を上げた。  「ありがとう。好きだよ、紡」  「うん、僕も」  「もう止まれないよ」  「律の、好きにして」  額を合わせて、鼻を擦り合わせる。甘い声で囁かれれば、それだけで骨抜き。掠れた声で懇願すれば、律の瞳の炎が再び燃え上がった。  指先や唇、視線、律の全てが僕を好きだと訴えかけてくる。  脇腹を通りすぎて、何の膨らみもないそこを柔く撫でられる。ぞわと背筋が震えて身を捩るけれど、律の手は止まらない。  女性と違って、面白みのないその場所に律が萎えたりしないか不安になる。愛撫なんてしなくていいから、律の熱が冷めないうちに早く挿れてくれればいいのに。そんなことを考えていれば、叱るように胸の尖りを摘まれる。  「……んッ」  「かわいい」  思わず漏れた声に律は嬉しそうにしているけれど、僕はそれどころじゃない。触れられる度にどんどん熱が上がっていく気がした。  僕の反応に気を良くしたのか、何の躊躇いもなしに律は薄桃色のそこを口に含む。普段は何も感じないその場所も、律に苛められていると思えば簡単に性感帯に変わってしまう。  「んん……そこばっかり、やだ……」  蚊の鳴くような声で嫌がれば、顔を上げた律の欲望剥き出しの視線に射抜かれた。本気で嫌がってるわけじゃないのを見透かされているみたい。執拗に苛められて、上向きに主張しているそこが恥ずかしい。  「あっつ」  額に汗を滲ませた律が着ていたシャツを脱いで、適当にぽいと後ろに投げた。邪魔だと言わんばかりの荒々しい仕草に男らしさを感じて胸が高鳴る。  覆いかぶさってきた律と唇を合わせれば、お互いの体温が混じり合って溶けてしまいそう。  気持ちいい。心も身体も満たされていく。頭の中が快楽で埋め尽くされて、バカになっちゃったみたいに思考が鈍る。  「……あっ」  心構えしていないうちに下着の上から触れられる。すっかり反応しきったそこはだらだらと先走りを零して、下着の色を変えてしまっていた。  慣れた手つきであっという間に最後の砦も取り払われて、ローションを纏った指先がすりすりと数度窄まりをなぞった後、いよいよ侵略を開始する。  自分で慣らしたことがあるとはいえ、やっぱり異物感は拭えない。だけど前も後ろも同時に弄られると、少しずつ快感を拾ってしまう。  「……ッ、」  律の愛撫は止まらない。僕なんかの喘ぎ声を聞いたら律を萎えさせてしまうんじゃないかと不安になって、唇を噛んで耐えていた。  自分がどんな顔をしているかも分からないけれど、酷い顔をしていることだけは分かった。  普段から平凡な顔を晒していることに抵抗があるのに。こんな顔、顔面国宝の彼に見られたくない。僕は両腕で顔を隠して、表情を見られないように必死だった。  「紡」  「……っ」  「顔見せて」  敏い律はそんな僕にすぐに気がついて動きを止めた。腕を掴まれるけれど、強引に退けようとはしないところに優しさを感じる。  だけど、見られたくない気持ちは変わらない。いやいやと幼子のように首を振れば、宥めるように頭を撫でられる。  「こわい?」  「ちがう」  返事を聞きながら、身体中の至るところに何度も唇を落とされる。顔を見せたくない気持ちは変わらないけれど、気遣ってくれていることが伝わってきて、このまま変に誤解させたくないと思った。  「律みたいに綺麗じゃないから、こんな僕の顔を見ても萎えるだけだよ」  せっかくここまできたのだ、自分の地味な顔なんかで萎えさせたくない。そう思って白状すれば優しかった律は引っ込んで、強引に腕を退かされてしまった。  ぱちんと目と目が合って見つめ合う。  やっぱり世界で一番綺麗な顔だ。  自分とは対照的で、この人が今触れているのだと思うと堪らなくて、訳もなく涙がこみ上げてくる。  「だから、見ないで」  視線を逸らして懇願すれば、じいっと僕の表情を観察するように見つめていた律が涙の止まらない目元にキスを降らせる。  「ごめん、余計に興奮した」  「……おかしいよ」  真顔で宣う彼にそう言えば、中を弄っていた指を増やされてそれ以上の会話は許されなくなった。  「唇もそんなに噛まないで」  「だっ、て、こえ、でちゃう」  「聞かせて」  噛み締めたせいで赤くなった唇を撫でていた指が口の中に入ってくる。躊躇いも遠慮もない侵入に抵抗すらできない。  「んぐ、ッア、ゃら、」  だって、傷一つない肌に噛み跡なんて残せない。歯を立てないようにしていると、口の中や舌を擽られて言葉にならない声が漏れた。  「……んあっ、」  「見つけた」  「や、そこ、ッ、だめ、」  口の中を弄られることに集中していれば、不意に中を拡げていた指先がある一点に触れて、一気に神経を持っていかれる。  さっきまでとは違う快感を拾って、その強烈な刺激に怖くなる。本能的に腰を引いて逃げようとするけれど、律はそれを許さない。  嬉しそうに口角を上げて、そこばかりを弄られる。前を触らなくたって、これ以上ないぐらい主張している。感じたことのない快感に理性なんて飛んでいきそうだ。  ぐずぐずに溶かされて、熱に浮かされているうちに指がまた増やされていた。三本目までしっかり咥えて指を締め付ける窄まりを確認した律は、無表情に指を引き抜いた。  無くなったものを求めて、ひくひくと蠢いているのが分かる。自分の意思とは関係のない動きが恥ずかしい。  「紡、挿れるよ」  「ッ、」  ずっと待ちわびていた瞬間が遂に訪れた。律からの宣言に胸がいっぱいになる。ぬちぬちと押し当てられた後、指なんかとは比べものにならない、熱くて固いものがぐぐと入り込んできた。  その圧迫感に息が詰まって、はくはくと呼吸しながらシーツをぎゅっと掴む。それに気がついた律に掴むのはこっちだと手を取られて、指と指を絡め合う。  「痛い」とか「抜いて」とか、そういうことは言いたくなくて、ぐしゃりと顔を歪めて耐えた。  ぎゅうぎゅうと締め付ける狭い中は律だってきついはずなのに、僕を気遣うようにゆっくりと入り込んでくる。その優しさと愛情に幸福感が重なって、繋いだ手に顔を寄せた。  「入ったよ」  視線を上げれば、律が耐えるように眉根を寄せて険しい表情をしている。けれど、そこには確かに幸せが滲んでいて、同じ気持ちでいることを嬉しく思う。  僕の中に律がいる。  同じ体温を共有して、ひとつになっている。  この人がたまらなく好きで、愛しくて、胸の奥がぎゅっと傷んで主張する。    繋がれていない方の手でお腹を撫でると、それを実感してぶわりと熱いものがこみ上げてくる。つーっと一筋の涙がシーツに流れ落ちていった。  「りつ、」  「ん?」  「ありがとう」  アイドルになってくれてありがとう。  神さまでいてくれてありがとう。  僕に出会ってくれて、好きになってくれて、ありがとう。  今までで一番の幸せ。もうこの先不幸なことしか起こらないんじゃないかって怖いぐらい。  手を伸ばして、律の頬に触れる。  僕の手に擦り寄ってくる、そんな行動ひとつで幸福がまたひとつ積み重なる。  「紡、愛してる」  そう告げて落とされたキスの味を、僕はきっと忘れることがないだろう。  馴染むのを待っていた律が動き出す。中を擦られる度、声が漏れるのを抑えられない。  今、僕は律と繋がっているんだと思うと、痛みよりも感動が勝った。時折、前立腺に当たってびくんと身体を捩る僕を確認した律は、そこに狙いを定める。  「んぅ、ッア、……りつ、」  「つむぐ」  喉仏にキスをされて、興奮が募る。  「きもち、いい?」  ちゃんとできてるかな。  初めてだし、男だし。  律も気持ちよくなってくれているか不安で聞いてみると、がっと腰を掴まれて奥深くまで突き入れられて、ぐりぐりと押し潰される。  「アァッ、」  「ッ、最高だよ」  こんな律、見たことない。  ぺろりと舌なめずりをして、目を爛々と光らせながら僕の反応を伺う姿はまるで獣。  今この瞬間は自分だけが律の瞳に映っていて、僕だけが求められている。律の時間を独り占めしているのは僕だけだ。少しの優越感と恐れ多さに目眩がする。  憧れて恋をした、かけがえのないひとが僕で気持ちよくなっている。その事実だけで胸がいっぱいで、感動して、絶頂してしまいそう。  「りつ、ッあ、……ふっ、んぅ、りつ、」  「つむぐ」  「ぼく、も、だめ」  「ん、俺も」  自分の所有物だと刻みつけるような激しいピストンにベッドが悲鳴を上げる。前を扱かれて、頭の中がチカチカと点滅した。  繋いだ手を離してぎゅっと抱き締められたから、僕も首に手を回して彼に縋り付く。その刹那、頭の中が真っ白になった。僕が絶頂するのと同時に、ゴム越しに熱いものが出されたのを感じた。  妊娠なんてできないのに、中に出したわけじゃないのに、それを腹に馴染ませようとゆるい動きで僕を揺する。本能的なその行動に頭の中が沸騰しそう。まだまだ敏感な中は興奮が直結して、律のものを締め付けた。  「紡、」  お互いに呼吸が整わないまま、唇を重ねる。今なら死んでもいい。そう思えるぐらい、幸せだった。  律のものが引き抜かれて僕の中からいなくなる。もう何も入っていないのに、熱を孕んだそこはまるで違う生き物になったようで違和感がある。  「紡、」  「ん」  「ありがとう」  部屋にリップ音を響かせて、何度もキスを贈られる。柔らかい笑みで僕を見つめるのは、いつもの律。  思考も身体もどろどろに溶かされて、ぼんやりしている僕に降ってきた感謝の言葉。お礼を言うのは僕の方だ、そう思って口を開こうにも律の唇で塞がれる。  「りつ」  「眠いでしょ、寝ていいよ」  頭を撫でられると、一気に倦怠感と眠気が襲ってくる。ああ、もう駄目かも。重たくなる瞼に抵抗できそうもない。  クリスマスプレゼントを当日中に渡せなかったのは残念だけど。でも、いいんだ。だって、日付の変わった今日は――。  「律のおかげで最高の誕生日だ……」  「……は?」  これまで生きてきた中で一番幸せな誕生日を噛み締めながら、僕は微睡みから夢の世界へと旅立った。  少しして、ぽかんと口を開いて暫く放心していた律が気を取り直す。幸せそうに眠る僕を起こすに起こせなくて悶々としていたことなんて知らず、朝までぐっすりと夢を見ていた。思い描いていた以上の幸福がそこにはあった。  ◇◇  翌朝、カーテンの隙間から射し込む光で目が覚めた。腰を始め、足やお腹など身体の至るところに違和感があるけれど、そんなことは気にならないぐらい多幸感に満ちた目覚めだった。  じとと視線を感じて顔を上げれば、何やら不満そうな律。珍しく僕より先に起きていたらしい。  「おはよう……?」  「……おはよ」  何に対して不機嫌なのか分からないけれど、とりあえず声をかければ額に唇を落とされる。向かい合った体を抱き締めた律は、小さな声で不服そうに呟いた。  「今日誕生日なの?」  「うん」  「はぁ……、何で言わないんだよ」  信じられないとため息を吐き出す彼。あまりにも大袈裟なリアクションに笑いが溢れた。  「笑い事じゃないんだけど」  「だって、僕の誕生日なんてどうでもいいよ」  「俺の誕生日にも同じことが言える?」  「は?」  東雲律の誕生日と僕なんかの誕生日を一緒にしないでほしいんだけど。聞き間違いかと思って顔を顰めれば、律は天を仰いだ。  「紡の誕生日は俺にとっても大切な日なんだよ」  「……なんで?」  「本当に自分のことになると無頓着になるね」  首を傾げた僕の鼻を摘む律は寂しそうに笑う。  「好きな子の誕生日なんて祝いたいものでしょ」  「好きな子……」  「紡、俺に愛されてるってそろそろ自覚して?」  「ッ、」  いざ面と向かって言葉にされると、やっぱり気恥ずかしい。  ぼっと火が出たように顔が熱くなって、ようやく律が不機嫌になっていた理由をちゃんと理解した。  神さまとオタクの関係は、僕の中からなかなか抜けきらない。こういうところも少しずつ変えていかなきゃ。  僕らはきっと、言葉が足りなすぎる。いらぬ誤解を生みたくないなら、もっとコミュニケーションすべきなのだろう。まあ「僕ら」というよりも、勝手に空回りしがちな「僕が」なんだけど。  「ごめん、これからはちゃんと言うようにします」  「そうしてください」  僕の考えが変わったと理解した律は笑って許してくれる。そんな心の広い彼に甘えるように擦り寄れば、何も言わずに抱きしめてくれることにきゅんとして、またひとつ、好きの理由が増えていく。  「あのさ、律に……」  「ん?」  「その、せっかくのクリスマスだし、プレゼントを買ったんだけど、……えと、律は何でも手に入るし、何がいいのか分かんなくなって、だから、あの、気に入らなかったら全然いらないって言ってくれて構わないし、」  「紡」  記憶の彼方に放り投げられたままだったクリスマスプレゼント。その存在を思い出したから口に出してみたはいいものの、寝起きの頭ではどういう風に渡すか整理できていないし、自信を持って堂々と渡せるかと言われると全くそうではなくて。  もしもの時に傷つかないようにつらつらと言い訳を並べて心をガードしていれば、落ち着かせるように背中をぽんぽんと叩かれる。  「紡からのプレゼントは何でも嬉しいよ」  「……ほんと?」  「うん、それにプレゼントなら昨日貰ってるから他に用意してるなんて思ってなかった」  「昨日……?」  「紡をくれたでしょ」  昨夜の情事を思い出して、かあっと朱に染まる。顔が見れなくなった僕はするりと律の腕の中から抜け出すと、隠していたクローゼットの扉を開けた。紙袋を取り出して手に取ったはいいものの、やっぱり渡すのを躊躇ってしまう。  「……紡」  そんな僕を呼ぶ声。ぎこちなく振り返れば、拗ねたように唇を尖らせている。  「捨てるなんて許さないよ、おいで」  「…………」  渋々ベッドに戻れば、体を起こした彼に紙袋を奪い取られる。そうしないと、僕がゴミ箱に放り込んでしまうと分かっての行動だった。  「開けていい?」  「……ん」  それでも、ちゃんと許可を取ろうとするところが憎い。視線を逸らして頷けば、まるで子どものようにワクワクしながらラッピングを丁寧に外していく。  「わぁ、綺麗だね」  「…………」  「ありがとう、紡。めちゃくちゃ嬉しいよ」  キラキラした瞳で花を見つめる彼は、青いバラがよく似合う。その姿に渋谷に飾られていたポスターを思い出した。  「どこに飾るか悩むなぁ、紡はどこがいい?」  「…………がいい」  「ん? ごめん、もう一回言って?」  「……律が、この家の中で一番長くいる場所がいい」  それは僕の我儘。  でもあまりにも強欲すぎるから、はっきりと口に出すのは憚られて、どんどん声が消えそうになっていく。  嫌がられないかな、引かれないかなと律の反応に怯えていれば、腕を引っ張られて律の胸にダイブする。  「ふふ、紡の願いは何でも叶えてあげる」  「…………」  「この部屋に飾ろう。でも置く場所がないから、今度一緒にスツールでも買いに行こうね」  「……ん」  僕も置いてもらうなら寝室がいいと思っていた。朝目が覚めて一番に目に入って、夜寝る前に一番最後に目にするところだから。  僕なりの独占欲に答えてくれただけで堪らなく嬉しいのに、それにデートの約束まで付け加えてくれる最高の恋人。恋人にしたいランキング、ナンバーワンの冠を被る者は伊達じゃない。  「あ、そうだ、忘れないうちに返さないと」  「ん?」  「合鍵、借りっぱなしだから」  鞄の中から持ってこようと、ぴととくっついていた体を離そうとすれば、必要ないと回した腕に力を込められる。そのまま律がベッドに倒れ込むから、抵抗する間もなく僕も横になった。  「律?」  「あげるって言ったでしょ」  「え?」  「持っててよ、いつでも来ていいから」  想像していなかったプレゼントに瞳が潤む。律の特別を許されたことを実感する度に信じられなくて、でもそれはいつだって現実で、感動と喜びのあまりこみ上げてくるものを抑えられない。  律と出会って、僕は泣き虫になった気がする。だけどこれは喜びの涙だから、いくら流してもいいんだ。  「毎日来てくれますように……」  「本人を前にして神頼みしないで。毎日は無理だよ」  「意地悪……、ちゃんと使ってよ」  「……うん、使う」  なかなか勇気は出ないかもしれないけれど、ちゃんと一緒のペースで歩いていきたいから。会いたい気持ちを我慢しないで、ほんの少しだけ我儘になってみようと思う。  「あーあ、紡もここに住めばいいのに」  「それは無理」  即答すれば、隣からじとと抗議の視線が送られてくる。  「……でも、考えてはみるよ」  どうせ大学を卒業すれば、今の家は出ていくことになる。その時どうするかは未来の僕が決めるけれど、ひとつの選択肢として心の片隅に置いておこうと思う。  そう言うと、律は未来の約束が嬉しくてたまらないといった表情で瞳を甘く蕩けさせた。冬の寒さなんて気にならないぐらい、満たされた朝だった。

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