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Ch.1
オックスフォードの街外れのカフェ、『HILLOCK』(ヒロック)に辿り着いたのは、たまたまだった。
執筆にすっかり煮詰まった僕が、思いつきに任せてオックスフォード行きの電車に飛び乗ったのは、先週の金曜日のこと。
オックスフォードには、縁もゆかりも、何か特別な事情や思い入れがあるわけでもない。気分を変えられるならどこでもよかったが、世界屈指の大学都市の雰囲気に当てられて筆が乗るかもしれないし、アカデミックな場所柄、必要な資料や文献も手に入りやすいだろう。…このスランプで、必要な時がくればの話だが。
それくらいの考えだったが、あては見事に外れた。
市街地は観光ルートバスが1周50分で巡回する規模で、3日も観れば満足して街にも慣れ始めたが、それだけだった。この間(かん)、数ある図書館でもカフェでも公園やガーデンのベンチでも、もちろんホテルでも、これという理想的な執筆場所には巡り会えず、残念ながら、書く気はさっぱり起きなかった。
滞在5日目の火曜日。
ロンドンからここまで、天気は湿りがちで気まぐれだったが、今日はよく晴れた青空がどこまでも広がっていた。
爽やかな風に誘われて、街を出てみようと思いついた僕は、レンタサイクルを借りた。
オックスフォードは、テムズ川とチャーウェル川の合流点にある。まずは街の周回を目指して南と東の緑地と川沿いを巡り、北側の住宅街を突っ切った。それから、西を南北に走る鉄道沿いをしばらく南下すると、住宅地に街らしさが出てきたジェリコという所で、線路の西に広がるコッツウォルズの丘陵地へと渡る陸橋が現れた。
時間は昼を過ぎて、そろそろ腹が減っていた。
街中に戻ろうと考えた時、ふと、陸橋のたもとに置かれたスタンド看板が目に入った。
カフェやパブのエントランスによくある、チョークで黒板に書くあれだが、このところの雨のせいか文字が所々溶けている。かろうじて、『OPEN、各種お茶、コーヒー、ソフトドリンク、ケーキ、スナック、軽食、お酒』と読め、それに花のイラストとSMILE(笑顔)と描いてあるが、店名らしき文字は消えかけていてわからなかった。
辺りにそれらしき店はなく、看板を見た感じ、やる気を感じない。これでは本当に営業しているのかも怪しいが、妙に気になった僕は、陸橋を渡っていた。
街中の店ならいつでも行けるわけで、ほんの少しだけ、冒険心が出たのだ。
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