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Ch.14

翌日、土曜。 朝から薄暗い雲が垂れ込めて、折れかけた心に追い打ちをかけるような空だった。 午前のうちにマストの用件を片付けた僕は、昼過ぎにパディントン駅に向かった。 実際、プレス・ナイトの夜から放心状態の僕は、昨日のことをろくに覚えておらず、取るものも手につかず、旅行用のキャリーを引きもせず、着の身着のまま、オックスフォード行きの電車に飛び乗っていた。 そして今日も、スマホに彼からの通知はない。 車窓を流れていく田園は、グレイの憂鬱な小雨に濡れている。その眺めは、ほんの2ヶ月前、気晴らし程度でオックスフォードに向かった日と似ていた。 思えば、ウィルとの思い出の端々には、雨の音がしていた。 今一度。スマホを見ても、依然、あってほしいSMSの通知はなく、ウィルとのSMSのログを古い物から眺めていれば、その時々のときめきが蘇る。そして、何よりも思い出せるのは、裸で抱き合う悦びよりも、どういうわけか、ドライブの助手席で歌う楽しそうな彼の姿だった。 今日の今まで、彼とのことをできるだけ思い出さず、考えないようにしていたのは、失ったものの大きさに直面したくなかったからだった。 そして、少しでもウィルの記憶を呼び起こしてしまえば、その全てがあまりにも愛おしく、失っていいわけがない。そう思うと、胸が張り裂けてしまいそうで、人目も憚(はばか)らず涙を流していた僕は、ようやく、彼への本当の想いを思い知った。 オックスフォードに着いた後、キャブに乗って『HILLOCK』へ向かった。 駅の西から郊外を抜け、田園を通りウィルの丘へ登る角で、例の看板が目に入った。黒板のチョークの字は、また、雨風に晒されて消えかけていた。 車を停めてもらい、看板を回収して車に乗せ、もう一つを思い出して、怪訝な顔の運転手にジェリコ街への回り道を頼んだ。 あの、僕を『HILLOCK』に導いた陸橋のたもとの看板も、見つけた日のように字がところどころ溶けて、店名は読めなかった。 これも回収して彼の丘に向かい、『HILLOCK』に着いた時、16時になろうとしていた。 キャブが去った後、しつこい小雨の中、2枚の看板を抱えて、彼にかける言葉をいくつか思い浮かべていた時だった。 『HILLOCK』のドアが開いて、出てきたウィルは、顔を上げて僕に気づくと足を止めた。 『…!?』 驚きに見開いた目は、拒絶と、苦悩と、諦めが入り混じって、何度か瞬いた後、緑の丘に吹く風のように優しく、僕を見つめた。 そんな彼を見れば、用意したはずの言葉は吹っ飛んで、こみ上げる熱いもので息が詰まった。 立ち尽くす僕に、彼は悲しく微笑(わら)った。 『…どうして?』 帰れと言われなかっただけで、崩れ落ちそうだった。 「…看板(これ)、描き直そう」 とっさに口をついて出た言葉に、ウィルは、苦笑を浮かべた。 そして、僕の前に来た彼は、看板を片方取って、僕を店の中に促した。

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