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プロローグ
「はい、じゃあこれ部屋の鍵ね。何か困ったことがあれば、電話掛けるか、直接俺の部屋来てくれれば話くらいなら聞くから。そいじゃ、素敵なマグナムライフを〜」
飄々と告げた長身かつ美形の男――ここ『VIPマグナム』男子寮の管理人である一条 雅臣 から差し出された鍵を受け取って、朔実 は曖昧に頷いてみせる。
「はあ……ありがとう、ございます?」
マグナムライフ、の意味がいまいちよくわからないが、多分歓迎してくれているのだろうということで軽く頭を下げておいた。
ひらひらと手を振ってお見送りしてくれる一条に軽く会釈して、朔実は正面の階段へと足を進める。
「よいしょ、っと」
引きずっていたトランクケースを持ち上げ、のっそのっそと階段を上っていきながら、かれこれ一ヶ月ほど前になる友人との会話を思い出していた。
(え、だったら朔実、俺んとこの寮くれば? ちょうど今、新しい寮生募集してる時期だし。一人暮らしより絶対楽だって)
大学入学とともに入居したアパートでの生活が、もうじき一年に差し掛かろうといった二月下旬。一人暮らしの大変さと虚しさに気が滅入ってきたと零す朔実にそんな提案を持ちかけてきたのは、同じ東京の国公立大学に通う友人――速見 大誠 だった。
仲のいい友人のいる寮で共同生活。確かに、しけたアパートでの一人暮らしより、よほど楽しそうだ。入学当初から寮生活を送っている大誠の存在を思うと、何かと心強くもある。
とはいえ――
(寮かぁ……)
ぼんやりと、朔実は憂うように呟いた。
(何、朔実って共同生活とか苦手系?)
(いや、それは多分、大丈夫なんだけど……)
何よりも気になるのは、やはり金銭面だった。
朔実の実家は岐阜の片田舎で、それこそ大学進学が決まった当時は寮生活も視野に入れて物件を探していたのだが――安い寮はすでに満室な上、空きがあるところといえばそれなりに値が張ってしまう。諦めてオンボロのアパートに住むほうがまだ出費を抑えられるということで、今の生活があった。
(相部屋ってところさえ気にならないなら、入寮しない手はないぜ。部屋は十四畳あるから二人で生活してても全然窮屈じゃないし、壁もばっちり防音加工されてる。トイレ、洗面台、その他諸々の家具も設備されてる上、平日はイタリアンシェフお手製の食事付きだ。その辺のアパートや寮なんかとは比べ物にならない優良物件だぜ)
(え、ちょ、ちょっと待って。イタリアが、何? 今って何の話してる?)
ぺらぺらと饒舌に語られる内容が、途中から理解不能になっていた。一体どこの高級ホテルの話をしているのだろう。
(何って、俺んとこの寮だろ。ジュリオが作ってくれる飯、マジで美味いんだぜ。出身はイタリアだけど、和食でも中華でも何でもこいの凄腕シェフなんだ。この間なんか、みんなのためにクッキー焼いて配ってくれてさ――)
その後もしばらくの間、大誠は寮の魅力について淀み無く語り続けていた。
何でもその寮は、元高級ホテルだったところを御曹司である『一条さん』とやらが買い取って改築し、趣味で設立したものらしい。イタリアンシェフに関しては、学生寮を開設するにあたって一条本人がイタリアからヘッドハントしたそうだ。
(――で、どう? 朔実もちょっとは俺んとこの寮入りたくなってきた?)
ひとしきり寮のプレゼンを終えた大誠に嬉々として訊かれ、朔実はうっと返答に詰まった。
(い、や……何ていうか、その……大誠の暮らす寮がすごくいいところなのはわかったんだけど……聞いた感じ、家賃がちょっと……厳しいんじゃないかなって……)
部屋の設備や間取りといい、イタリアンシェフといい、間違いなく今以上にお金が掛かるだろう。バイト三昧の日々に加え、実家からの仕送りを受けてなおかつかつの生活だというのに、さらにまた家賃が高くなるのでは元も子もない。
おじおじと告げた朔実に、大誠は何やらしたり顔でチッチと舌を鳴らした。
(そこに関しては心配ご無用。何たってうちの寮、家賃三万五千円だから)
(え?)
予想を遥かに下回る金額に、朔実は目を丸くして驚いた。週五でイタリアンシェフの料理が食べられる寮の家賃とは、とても思えない。
(な、いいだろ俺んとこの寮。何だったら俺、書類審査の過程免除してもらえるよう一条さんに頼んでおいてやろうか)
(書類審査)
何だかまたよくわからない単語が出てきた。
眉を寄せて繰り返した朔実に、大誠は肩を竦めて苦笑する。
(なんかよくわかんないけど、あるんだよ。つっても、顔写真と全身写真、身長、体重を記入するだけの簡易的なやつだけど。そんで、それを通過した人にだけ入寮面接があって――)
(入寮面接)
何だかえらく本格的だ。しかし、それだけ好条件の寮となると応募は間違いなく殺到するだろうし、厳正な入寮審査が行われるのも頷ける。
(ま、それだけしっかりした寮ってことだよ。実際、うちの寮に柄悪いやつとか一人もいないし。大丈夫、朔実なら問題なく入寮できるって)
ぽんぽんと肩を叩きながら後押しされた三日後には入寮面接が行われ、面接官である寮長の一条と、イタリアンシェフのジュリオ・シルヴェストリから、即時『VIPマグナム』への入寮許可を言い渡された。
本日は四月一日。わずかな不安と期待を胸に、いよいよ新生活のスタートだ。
「二〇五号室、二〇五号室はっと……」
手に持った鍵に記された部屋番号を復唱しながら、朔実はころころとトランクケースを引いて二階の廊下を歩く。元高級ホテルというだけあって、実に広々とした綺麗な内装だった。
家賃三万五千円でこんなところに住めるなんて、未だに信じがたい。おばけでも出るんじゃないかと心配になったけれど、そこに関しては「ないない」と大誠に笑って否定された。
「あ、ここだ」
呟いて、朔実はその場で足を止める。『205』と記された表札に頷いて、深く深呼吸した。
「……よし」
気合を入れて、こんこんとドアをノックする。
「はじめまして。新しくルームシェアさせていただくことになりました、水鳥川 朔実と申します」
簡単な挨拶を述べて、じっと中からの応答を待った。
「……」
留守だろうか。しばらく経っても返事はなく、朔実はことりと首を傾げる。
時刻は午後五時過ぎ。外出中の可能性もあるから、応答がなければ鍵を使って勝手に部屋に入るといいと一条から言われていた。
――早く顔合わせしたかったんだけどな……。
ちょっぴり残念な気持ちになりつつも、朔実は手に持った鍵で部屋の戸を解錠した。
いくら相部屋とはいえ、先住者のいる部屋に黙って入るのも気が引ける。「おじゃましまぁす……」と申し訳程度の断りを入れて、ドアノブを引いたそのときだった。
「ん、んアアッ! そこ……っ、そこ、もっと……っ!」
鼓膜をついた穏やかでない声に、思わずビクリと肩が跳ねた。続けざま視界に飛び込んできた光景に、朔実は目を見開いて硬直する。
……無人と思っていた部屋の中。向かって右側に設置されたベッドの上には、真っ裸の男二人が密着して揺り動いていた。
一方が一方を組み敷いて、激しく腰を振っている。一振りされる度に響き渡る水音が――組み敷かれた男の波打つ体が、朔実の思考回路を完全に停止させた。
握っていたはずの鍵が、思わずするっと滑り落ちる。チャリンと鳴ったその音に、男二人の視線が揃ってこちらを向いた。
「わ……っ」
戸惑いの滲む声を漏らして、朔実は一歩、後退る。
「誰?」
朔実本人に、というよりかは組み敷いた男に向けて、腰を振っていたほうの男が問いかけた。
股をおっ広げた状態のまま、組み敷かれたほうの男が首を傾げる。
「……さあ?」
えええ……と朔実は困惑した。今日からここで暮らすことは事前に伝えられているはずなのだけれど、欠片も認知さていないのだろうか。
「あ、待って思い出した」
少しして、閃いたように男が付け足した。
「そういえば今日、新しいルームメイトが来るって一条が言ってた。もしかして、あんたがその?」
こくこくこくと、朔実は首を縦に振って肯定する。
よかった。何かの手違いかと思ったけれど、やっぱりこの部屋で間違いなかったみたいだ。
――よかった、のか……?
「へえ……」
吟味するような相槌を打たれ、朔実は戸惑った。
ひっくり返った蛙のような体勢の男と見つめ合うこと数秒。にっこりと、一変した愛嬌のある笑みを浮かべて男が言った。
「十分後に出直して」
「……は」
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