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プロローグ
——目が覚めた時、まず気づいたのは、自分が動けないという事実だった。
カチャ。
無機質な金属音。静かな部屋の中で、やけに鋭く響く。
寝返りすら打てないこの状況に、徐々に意識が浮上してくる。
目を開ければ、見慣れたはずの天井。……なのに、ほんの少し、違和感がある。
温度。明度。空気の流れ。
“いつも”とは違う。けれど、それが何かがわからない。
「…………は?」
手を引く。
──ガチャン。
もう片方も引く。
──ガチャン。
金属の触感が、手首に冷たく絡みついている。
寝ぼけた脳がそれを「手錠」だと理解した瞬間、思考が一気に覚醒する。
言葉が喉に詰まり、息が乱れる。
「…………は?」
「おはよう」
上から、落ちてくるような声。
まるで穏やかな朝の挨拶みたいに。
凛が、ベッドの横に座っていた。
変わらない、いつもの穏やかな顔で。
御影凜 ──俺の幼馴染。幼稚園の頃から一緒でクラスも離れたことがない、親友。
いつもと変わらない、その目。その声。
なのに、背中にじわりと冷たい汗が滲んでいく。
「……俺、なんで手錠されてんの?」
「違うよ、手枷だよ。れーちゃん、逃げるでしょ?」
こてん、と首を傾げるその仕草さえ、あまりに自然で。
だからこそ、その“自然さ”に背筋が逆撫でされる。
「まってくれ話が全く……」
脳が情報を処理しきれず、思考が何度も同じ場所を巡る。
「もう大丈夫だよ」
カチッ。カチッ。
時計の針のような音。
だがその音の発信源は、凛の手元だった。
視線を落とすと、手に持たれたペン型の注射器。
細身で、冷たく光る金属製。
その側面に刻まれていたのは──**《O変異因子 TYPE-R》**という、黒い刻印。
「…………なあ、それ何?」
「うん。君をΩにするお薬だよ。僕がつくった、ね。」
「……は?」
聞き返したのに、返された言葉はあまりにも明快だった。
「O変異因子 TYPE-R。副作用も抑えてあるし、もう試験も終わってるから」
あまりにも平坦な声で、あまりにも穏やかに告げられる事実。
「それは今聞いてないだろ、な?凜」
「細い針だから、一瞬で終わるよ。痛くないよ」
カチッ。再びダイヤル音。
中身を調整しているのだろうか。凛の手は、迷いなく動いていた。
冷静になれ。思考を整理しろ、桜庭怜央 。
・俺はベッドに拘束されている
・目の前には御影凛
・その手には見たことのない注射器
・「君をΩにするお薬」と断言された
・薬の名は「O変異因子 TYPE-R」
どこを切っても逃げ場のない状況だった。
「……その薬……なんでそんなもん、作った……?」
「君のために、だよ」
一切の誇張も飾り気もない言い方だった。
「逃げようとする君を、これ以上放っておけなかったから」
唇の端が、すうっと笑む。
やわらかく、あまりにも自然に。
「だって、れーちゃんがΩじゃないと、僕とは番になれないから」
その一言が、全てを貫いた。
空気が、まるで水のように冷たく止まる。
ベッドの上にいるのは、今まさに再定義されようとしている“自分”。
そして、そのすべてを「当然」として遂行しようとしている──幼馴染だった。
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20250831:改稿
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