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1 異常な日常

「……また、お前の膝の上か……」 高校の昼休み、教室の隅。 ざわめきの奥で、窓から差し込む光が淡く机に落ちていた。 俺── 桜庭玲央は、凛の膝の上に座らされていた。 「うん」 「うん、じゃない。抱き人形じゃないんですけど、俺は……」 「このほうが落ち着くでしょ?」 そう言いながら、凛は俺の腰をがっちりホールドしてくる。 腕に力を入れたわけじゃない。 ただ、逃がす気がまるでないという“意思”が、しっかりと伝わってくる。 俺が動こうとすればするほど、この190cm超えのバカ力が発揮されて、結果として逃げられない。 「落ち着くとかじゃなくて、他に椅子あるだろ」 「でも、君はここがいいでしょ?」 「いや、誰が決めたそれ?」 「……僕……?」 凛が首を傾けて呟くように言ったその語尾に、どこか“当然”という響きが宿っていた。 会話を聞いていたクラスメイトが呆れたように言う。 「お前らマジでいい加減付き合えよ」 「そうそう、もう番になっちゃえって」 「アホか。こいつも俺もアルファだってーの」 即座に否定する。 何度も言ってるが、こいつはただの幼馴染だ。 しかもお互いにアルファ同士。 確かに── クラスが一度も離れたことはない。 俺が何かしようとすると凛は必ずついてくる。 俺が座れば、当然のように膝の上に乗せられるし、 気づけば腕の中にいるし、 教室で「おかえり」とか言われるし、 頭を撫でられるし、 なんか視線を感じると思ったら、だいたい凛が俺を見てるし、 俺が喋れば当然のように相槌を打ってくるし、 飯を買いに行こうとすれば財布を出されるし、 寝てたら毛布をかけられるし…… ──まあまあまあまあ……確かに、他の幼馴染よりは距離が近いのかもしれない。 ……かもしれないけど!!!!!!!!!!! 「今時ふっつーにアルファ同士でも結婚するやついるじゃん」 「しねーわ!」 「じゃあ、その状況なんなんだよ」 「なんなんだろうな!!!!!」 正直、俺もよくわかってなかった。 そんな日々が、ずっと、何年も、当たり前のように続いていた。 「ねえねえ、れーちゃん」 「うん?」 「大学、本当に行かないの……?」 後ろで凛が聞いてくる。 低い声。柔らかい息。耳元にかかる吐息が、ふと妙に近く感じた。 俺は半ば諦めながら、凛に寄りかかった。 距離を取るには、もう遅すぎるとわかっていた。 俺たちは卒業を間近に控えており、お互いの進路は違う。 俺の家は両親ともに芸能人で、小さなころから俺もそういう世界でちょこちょこと生きてきた。 卒業を機にそちら方面へ行くことにしたのだ。 凛は薬学部に進む。 「勉強は嫌いじゃないけどなー。まあ、行きたくなったら行けばいいかなって」 「でもそれじゃ、僕と離れちゃうよ……」 「いやいやいや。どちらにしろ、俺は薬学とか無理だしね。それに家は近所だし同じ都内だし」 そう言った瞬間、上目で見る凛の表情が、わずかに変わった。 ほんの一瞬。まばたきの影のように。 「うん……」 変わらない声。 変わらない笑顔。 ──だけど、何かが引っかかる。 言葉では言えない、うすい膜のような違和感が残る。 「いつでも会えるさ」 「うん」 凛が、俺の頬に手を添える。 それはいつものことだった。 凛は昔から、俺に触れることにためらいがなかったし、俺もそれを気にしていなかった。 だけど。 「でも、君はどこにも行かないよ」 「……ん?」 「だって、ずっと一緒にいるんだから」 凛が、当然のようにそう言った。 別におかしなことは言ってない。 俺たちは昔からずっと一緒だったし、これからも関係が途切れるわけじゃない。 「……おお、そうだな……?」 ──でも。 なんだ、この違和感は。 胸の奥を、乾いた指で撫でられたようなざわつき。 まあ、いいか……? 「ああ、でも、事務所が少し遠いから近くに引っ越そうとは思ってる」 そう言うと、凛はにっこりと微笑んだ。 「大丈夫だよ。ちゃんと決まってるから」 「え?」 「君が住む場所」 「……なんだそれ」 「心配しなくても、全部ちゃんと準備してるよ」 準備。何を。何の? 思考が跳ね上がりかけて、途中でふわっともつれて落ちた。 凛はたまにこういうことがある。 会話が通じないというか──向こうのほうが、ずっと先を歩いてるというか。 「……えーっと?」 思考が追いつかないまま聞き返すと、凛は優しく俺の頬を撫でた。 「大丈夫だよ、れーちゃん。何も心配しなくていいから」 優しい声。 いつもと変わらない笑顔。 ──なのに、心臓が妙にざわっとした。 「……なんか、お前、変じゃね?」 俺がそう言うと、凛はきょとんとした顔をした。 「変?」 「いや、なんつーか……」 何が変なのか、自分でも説明できなかった。 けど、何かがおかしい。 ちいさなノイズみたいなものが、呼吸の裏に居座っていた。 ──そんな話をしていたのは、卒業前の、二月のことだった。 -------------------- 0250831:改稿 リアクションやコメントいただけると嬉しいです♪ -------------------

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