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第26話 エピローグ
エピローグ
例によってプチ同窓会は平日のランチタイムに始まった。
梅雨の走りだったが東京駅から濡れずに行けるビルが会場だった。東京駅舎のレトロな佇まいを眺めながら食べるフレンチである。
そこで千帆子は旧友らに花のカードを配った。この春もオープンガーデンに参加した。その際に撮影した様々な花の写真をカードに加工したのだ。
ちなみに今年は〝がんばったで賞〟だった。優勝への道のりはまだまだ遠い。
食事も終わってデザートを待つひととき、それぞれが自慢の写真をスワイプしては見せあっている。フラダンスの発表会だのインド刺繍の小物だの。何なら孫の写真を出す人もいた。
千帆子はもちろん庭の写真をガーデニングの先輩である〝庭友〟に披露していた。
木香薔薇 のアーチは昨年よりも見事に黄色い花が咲きこぼれている。その前に立っているのはデザイナーズドレスを着た新郎新婦である。
「ちーちゃん、見事に育てたね。モッコウバラが満開じゃない」
と感心する庭友の横から覗き込んだ旧友達は、花よりドレスを見ている。
「ステキ! これが噂のリチ・デザインのウェディングドレス?」
「みんな見て! ちーちゃんちのお嫁さん!」
ひとしきり谷津理知デザインのドレスについて「ステキ!」「タキシードもドレスとお揃いなのね」「オリジナルドレスいいわねえ」などと盛り上がる。
庭友はそれにはあまり興味がないようで何種類もある花のカードを熱心に見比べている。
実は千帆子が夫婦喧嘩の度に逃げ出したのはこの友人宅なのだ。
若い頃に結婚と離婚を経て一人で生きて来た庭友である。その存在が千帆子にとっては離婚への抑止力になっていた。
千帆子が手渡したスマホをスワイプしては写真を見ていた旧友たちが声をあげた。
「あら、こっちもちーちゃんの息子さん?」
「ホントだ。この一重瞼の男の子、ちーちゃんそっくりじゃない!」
「うそ。三人も産んだっけ?」
スマホには二人の男性の写真がある。
「あ、違うの。これは長男と……ほら、お婿さんなの」
やはり黄色いバラのアーチの下に、ブラックフォーマルを着用した二人の男が写っている。
背の高い長男と、それよりやや背の低い和風の顔立ちの連れ合いである。
「正式な結婚はしてないけど。ほら、マンションでね……ずっと一緒に暮らすんですって」
興味なさそうにしていた庭友もその写真を覗き込むのだった。
「木香薔薇の花言葉は〝あなたにふさわしい人〟」
「え?」
思わず友人の顔を見返す千帆子である。
木香薔薇の花言葉は〝純潔〟〝初恋〟〝素朴な美〟などいろいろあるが、
「この写真を見てると〝あなたにふさわしい人〟の花言葉が一番似合ってると思うな」
そう言って、写真の二人の男を指先でなぞる庭友である。
「知ってる? 同性カップルって夫を二つ書いて夫々 って読むのよ」
誰かが明るい声を上げた。
旧友達は一瞬黙ってから、ほんのり笑顔に包まれる。
思わず千帆子も頬を緩めた。それまでの緊張した微笑みは安堵の笑みに変わっていた。
長男夫々の写真は披露するかどうか迷っていたのだ。なのでスマホを明け渡してしまったのだが案じるまでもなかった。
「兄弟そろって結婚したわけね。おめでたいじゃない」
「ちーちゃんもやっと子供の手が離れて自由になったね」
一同が温かい空気に包まれた中にデザートの皿が運ばれて来た。
千帆子は皆に配った花のカードを示して、それを加工してくれたのは長男の婿でもある庭の先生だと自慢するのだった。
「だから今年の山旅に参加するんだ?」
改めて庭友に言われて、得意気に頷く。
毎年夏は地元長野県に住む同窓生も加わって故郷の山を歩く旅が催されていた。けれど千帆子は家族の夏休み優先でずっと不参加だった。
今年は蓼科の山荘に泊まってニッコウキスゲを見に行く計画である。
夫には少しずつ家事を仕込んでいる。数日間家を空けても問題はなかろう。庭の世話も長男の婿に頼めるだろう。
いよいよ泊りがけの山旅に参加するのだ。今からわくわくしている。
東京駅北口改札前の重厚なホールの元で旧友たちと抱き合って握手を交わし、改札口を入って行く。
深い寂寥感に襲われて友人たちと別れ難かったのは何年前のことだったろう。
今やその思いも遠い過去のことである。
この充足感は園芸という趣味を得たからか。
あるいは年若い園芸男子と身近に接するようになったからかも知れない。
もちろん単なる憧れである。それこそ親子ほどに年の離れたアイドルを推す熟年ファンと変わりはない。
何なら彼のお嫁さんを見てみたいと思っていたが、まさかそれが我が息子だとは思いもよらなかった。
そしてもっと思いもよらなかったのは、夫がこの推し心に気づいて嫉妬したことである。
結果それが〝たっちゃん〟〝ちーちゃん〟になったのだから驚くしかない。
きっかけは千帆子の発言である。
「いつまでもお父さんお母さんでもないでしょう。ほら、息子たちも独立したんだし。私は庭の先生より、辰徳さんに〝千帆子さん〟て呼んで欲しかったのに……」
それは確かに本音だったが、夫がここまで変わるとは思いもよらなかった。
あるいは息子のカミングアウトのお陰かも知れない。
家庭の中で自分一人が暗い隘路に押し込められていると寂寥感に苛まれていた頃、長男はもっといたたまれない思いで過していたのだろう。
今となっては何が正解で何が間違いだったのかわからない。
けれど、もういいのだ。
時に少しばかりの憂晴らしをして、また日常に戻ればよいだけだ。
そんな戸倉千帆子は予想だにしていない。
ニッコウキスゲが咲き乱れる平原で、よもや長男夫々と鉢合わせしようとは。
だがそれはまた別の話である。
〈了〉
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