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第25話 餅よりデリケート
24 餅よりデリケート
冬の乾いた庭先にブルーシートが広げられている。かの野菜祭でも活躍した敷物である。
だがその上に据えられた道具を逸生が見るのは初めてだった。
臼や杵、餅を搗く道具である。小学校の社会科見学で古民家やら博物館やらに飾ってあるのは見たことはあるが、佐藤家では現役のようだった。
暮れの三十日である。佐藤家では餅つき大会が催されていた。例によって家族やらご近所さんやらが庭に集まっている。
「餅米、行きまーす!」
家の奥から駆け出して来たカーキが抱えているのは、辺りが真っ白に煙る程の蒸気を上げた餅米入りの蒸し器である。
老爺にも見えるカーキの父親が手伝って、熱い餅米を臼に空ける。
縁側でお茶を飲んでいた逸生もつい腰を上げて近づいてしまう。
傍らにいたヤマトも四肢を上げるが、引き綱が座敷の柱に結んであるため庭には出られない。ひゃんひゃんと鳴くのを振り向けば、
「ヤマトは餅を盗み食いして病院のお世話になった前科があるから。餅つきの時は放してやらないの」
礼衣良が犬の身体を抱えて宥めている。以前はコリー犬のようだった髪色が、今はピンクと銀色に染め分けられている。当人が言うには紅白の正月カラーとのことである。
もうもうと湯気をたてて臼に投入されたもち米を杵で押しては潰しているのはカーキの父である。傍らでカーキが手に水をつけて均し作業を手伝う。
逸生は何やら胸がわくわくする。やがて父が杵を振り上げて臼のもち米を搗く。合間に手を入れ米を返す、所謂合いの手を入れるのが息子のカーキである。
周囲を取り囲んだ客達が「よいしょ、よいしょ」と掛け声をかけている。
年老いた父親が三人の娘に恵まれたにも関わらず男児を望んだのは、このためではなかったのかとさえ思えるような息の合った父子の餅つき姿ではあった。
逸生は湯気や水気を浴びる程近くに寄ってスマートフォンで撮影する。父子の勇士をパネルにするつもりだった。
父親が杵をカーキに渡して、今度は合いの手が母親に変わった。スマホを手に羨ましそうにしている逸生に気づいたのか、
「いーちゃんはまた腰をやるといけないから」
カーキは笑って言うのだった。
自分より小柄なカーキがいとも軽々と杵をもっては餅を搗く様にほれぼれと見とれる。
ふと撮った写真を確認して見れば、いかにも素人臭い構図である。パネルにするには難がある単なるスナップ写真なのだった。それでも懲りずにカーキの生き生きした表情をカメラに収める。
つきたての餅は丸めてきな粉、餡子、ずんだ、胡麻などを付けてその場で食べる。これも逸生には生まれて初めての体験だった。
田舎の冬は夜が早い。暮れかけた田んぼの畝道をヤマトの首輪につないだリードを引いて、カーキと共にぽくぽく歩く。
散々食べた餅で満腹になり、腹ごなしに散歩に出たのだ。
「もう痛くない?」
と腰に手を当てられて力強く頷く。
「じゃあ、大みそかはいーちゃんちで年越しエッチだね」
「何だよそれ?」
「だって、ずっと我慢してたんだから」
「嘘つけ。ぎっくり腰の病人をオカズにする変態なくせに」
言った途端に身体に体当たりされてよろめく。
「いーちゃんが誘ったくせに」
と、もう目元を赤く染めている。
そんな顔をされれば煽られてしまう。スケベ心を隠して体当たりを返せば、ヤマトが逸生に向かって不穏な唸り声をあげる。
「ほーら。ヤマトは僕の味方だもんね」
って何を言っているのだ?
逸生は咳ばらいをしてから切り出した。
「来年はマンションを購入するつもりなんだ」
「ええ?」
立ち止まってこちらを見上げるカーキである。
「ぎっくり腰で寝ている間、考えたんだ。あのアパートは来年契約更新だから……もう賃貸よりローンを組んでマンションを買うべきかと思って。資料をいろいろ検討してみたんだ」
「へえ。いーちゃんさすがに経理だね」
「今と同じ2DKだけど。面積が多少は広くなるから、二人で暮らすのも余裕だよ」
「え……」
「一緒に、住まないか?」
「…………」
答えはなかった。にわかにひしと抱き着かれる。その身体を抱き返してから、つい辺りを覗ってしまう。
陽が落ちかけた田んぼの中に人影はない。吹きつける北風に二人で耐えるかのように強く抱き合う。
足元ではヤマトがまるで忠臣であるかのように、腰を落として蹲踞の姿勢をとっている。
「ずっと一緒に居たかったんだ」
腕の中からくぐもった声が聞こえる。
「痛い痛い痛い」
と声を上げられるまで力一杯抱き締めてしまう。
「ずっと一緒に居よう」
力を緩めてそう答えるが、逸生はカーキの顔を見ることが出来ない。
何故ならば目に涙が溜まっているからである。ひたすら掌でさらさらの髪を撫でている。
実はもうひとつ問うべきことがある。義妹に提案された食事会や結婚式への出席についてである。
弟夫婦にカップルと認められるのはとても嬉しい。けれど佐藤和生も同じ気持ちかどうかはわからない。
今や逸生はカミングアウトのハードルがかなり低くなっている。義妹の家族や親戚でも、何なら自分の職場でも同性愛者と知られてもいいと思っている。
だが果たして佐藤和生はどうなのだろうか?
家族にばれて温泉に逃げるあの騒ぎである。
案外にデリケートな問題である。
心の内で悩みながら冬枯れた田んぼで抱擁している。二人を闇に隠すかのように夕陽が沈んで行く。茜色の空は藍色に変わり、瞬く間に闇が訪れる。
「寒いね。帰ろうか?」
身体をくっつけたままカーキは踵を返す。足元のヤマトは命令されたかのように立ち上がると田んぼの畝を歩き出す。
「なあ、キー坊」
背後からまたカーキの身体を抱き寄せる。闇の中でなら複雑な問題も尋ねられると思ったのに、
「あのな……」
言い淀む逸生の顔を、首を巡らせて見上げる佐藤和生である。
何故この顔をいつも忘れてしまうのだろう。典型的な日本人顔とはいえ唯一無二の心和む微笑みなのに。
ついその唇にキスをしてしまう。
いやそんなことをしている場合ではない。複雑な質問を……。
と思いつつ、柔らかな唇をそっと吸う。
「愛してる」
「僕も」
触れ合った口許が共に笑っている。
二人で声を出さずにいつまでもくすくす笑っていた。
足元で和犬は静かに尻尾を振っている。
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