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第24話 ちーちゃんとたっちゃんの忘年会
23 ちーちゃんとたっちゃんの忘年会
ぎっくり腰が治癒する頃には師走も大詰めだった。
逸生は毎年大晦日から正月三が日は実家で過ごしていた。けれど今年は仕事納めの二十八日にその足で帰省して一泊しただけでアパートに戻っていた。
玄関のモッコウバラは葉も枯れて蔓枝が血管のようにアーチに巻きついているのが見て取れた。クリスマスローズはこの寒空にクリスマスカラーの花を咲かせて、玄関から庭に向かうレンガの道を彩っている。とはいえ何がなし寂しい冬の庭である。
だが玄関ドアを開けて驚いた。手狭な玄関ホールには何足もの靴が並んでいる。室内からは楽し気なざわめきが響いて来る。家では宴会が催されているのだった。
「お帰りなさい。お義兄 さん!」
奥から迎えに出て来たのは、真田百香だった。エプロンを着けてすっかり家事手伝いの様相である。
「隆生も帰ってるの?」
と訊けば、百香だけが帰省したという。母から戸倉家の正月料理を習う予定だという。
「いや正月料理って……家にそんな大層な物はないけど」
「お義兄さんはお節料理の〝ちょろぎ〟ばっかり食べていたそうですね。だから何も知らないんだって隆生さんは言ってましたよ」
まあ、それは事実だが。料理や食べ物にあまり詳しくない逸生である。
リビングダイニングに顔を出して見れば、大勢の客がソファやテーブルで楽し気に吞んだり食べたりしている。
「あら、いーちゃん、お帰りなさい。今日は真柴本城園芸倶楽部の忘年会なのよ。それと新しい先生の歓迎会もね」
母がもったいぶって示す一人用ソファ(父の定位置である)には、小太りの老婦人がにこにこと他の客達と語り合っていた。その新任の先生はもとより倶楽部の年齢層はかなり高いらしく母が最年少のようにも見える。
「佐藤先生の送別会もしたくてお声をかけたけど、やっぱり年末はお忙しいみたい」
回りの倶楽部員達と「残念ねえ」と頷き合っている。
この家にこんなにも大勢の客が訪れたのは、はっきり言って秋のオープンガーデンぐらいである。あの時は庭に三々五々訪れただけだから、まとまって家の中にこれだけの人数を見るのは初めてと言ってもいい。
母が逸生は家に友人や恋人を招かないとぼやいていたのは、暗に父の来客嫌いを非難していたのかも知れない。外にゴルフに出かけることはあっても家に誰かを呼ぶことはないのだ。
その父はあろうことかエプロンを着けてキッチンに立っているのだった。つい先日カレーを焦がしたばかりなのに大丈夫かと案ずる逸生である。
逸生は自分のカミングアウトが両親の負担になったのではないかと案じていたのだが、案外にそれは夫婦間の話し合いを促す薬になったのかも知れない。
結果これまでにない客を招待するまでに変化している。
そもそも園芸が母を変えたのか他に何か理由があったのか、離れて暮らす長男には知る由もない。だが共に暮らす夫婦なら、片方が変わればもう片方にも影響は出るだろう。
父が佐藤先生を目の敵にしたのは、そんな変化に適応できない苛立ちがあったのかも知れない。
不器用な手つきで野沢菜を鉢に盛っていた父は、ソファで庭の先生と談笑している母に、
「たっちゃん。ほら、そこの寿司桶を運んでちょうだい」
と呼ばれるや少しばかり頬を緩めて、
「わかった。ちーちゃん」
などと言って、出前の大きな寿司桶をソファのテーブルに運んでいる。
〝たっちゃん〟〝ちーちゃん〟 て何なんだ!?
逸生が戸口に立ったまま呆然としていると、百香が先立って室内に入りながら、
「ちーちゃん」
と、やはり母に呼びかけている。
「名古屋の手羽先も温めます。たっちゃんも、みなさんも食べてください」
「あら、ありがとう。ももちゃん」
だから〝たっちゃん〟〝ちーちゃん〟〝ももちゃん〟て……何なんだこの家は!?
変化にも程があるだろう!!
思わずよろめいてまたドア框に頭をぶつける逸生である。
そもそも長男だからと毎月実家に帰省する必要などあったのだろうか。
どちらかと言えば逸生こそ親離れが出来ていなかった気がする。カミングアウトできない後ろめたさを引きずっては定期的に家に帰っていたのかも知れない。
夜になって客を送り出してから二階の自室に上がった。
いつものように母の手でベッドは清潔に整えられている。だが何か部屋の様子が違う。
どこがどう違うのかわからずに首を傾げていると、ドアがノックされた。
「お義兄さん、ちょっとお話させてもらっていいですか?」
廊下から声をかけられてドアを開けたものの、思わず狭い部屋を見回してしまう。男女二人が同室するには狭すぎる。隆生はゲイにさえ嫉妬するのだ。変に疑われたくはない。
「下のソファで話そうか?」
という提案に百香は首を横に振った。
階下からは父と母が後片付けをしながら楽し気に語り合う声が聞こえて来る。
二人には聞かれたくない話なのだろう。
百香はドアを開けたまま入り口近くに正座すると両手を前について頭を下げた。その姿に既視感を覚えながら見下ろしている逸生である。
「隆生さんに聞きました。昔お義兄さんは谷津理知さんと交際されていたそうですね」
「ああ……」
あわてて逸生も腰を下ろすと正座した。
「知らない事とはいいながら、ご不快な思いをさせてしまって申し訳ありませんでした」
「いや、別にご不快とか、そんな大げさな……」
「元彼に会うなんて嫌に決まってます。本当にすみませんでした。なのにきちんと話を通してくださって、本当に感謝しています。ありがとうございました」
「いえ、もういいんです。気にしないでください」
へどもどと返すばかりの逸生である。
対座したまま義妹は、谷津理知の起業に協力するという当初からはかなり変わった未来図について説明するのだった。
「お義兄さんには引き続きご不快な思いをさせてしまいますが……」
「いや。それとこれとは別だから。新しい仕事を頑張ってください」
「そうおっしゃっていただくと助かります。最初はただのパート事務員なんです。結婚生活に支障のない範囲で働くつもりです」
隆生との結婚に関しては変わらず進めるらしい。
来年早々に二人で真柴本城市に引っ越して、春には名古屋で両家の顔合わせ食事会をするという。
そして六月が結婚式である。式場の場所は東京都内だという。
「つきましては……お義兄さんにひとつご質問があります」
また居住まいを正す百香である。
「私の家族にお義兄さんがゲイだと打ち明けてもよろしいですか?」
「…………」
思わず腕を組んで考え込んでしまう。
「僕は、僕自身は構わないけど……」
何度も首を傾げずにはいられない。
「それで百香さんや隆生が嫌な思いをするなら黙っているのもありかと。失礼だけど、もし真田家の方々が僕を理由に結婚に反対でもしたら?」
「それは大丈夫です。私達は何があっても結婚します。でも逆に私の家族が、お義兄さんが独身なのを詮索するかも知れません」
「……確かに」
「今だって親戚の独身の子を紹介したいとか言ってるし。それならいっそ打ち明けてしまった方がよいのではないかと」
「まあ、そこまで言うならどうぞカミングアウトしてください」
ようやく逸生は腕を解いた。足が痺れて来たので胡坐をかきたいのだが、
「ありがとうございます」
と頭を下げて百香は相変わらず土下座の姿勢である。つられて逸生も正座を続けた。
「ところで庭の先生、佐藤先生はお義兄さんの今の交際相手と伺っていますが。そうなんですか?」
「まあ……はい。そうです」
「家族との食事会や結婚披露宴に、佐藤先生もお招きしてもよろしいでしょうか?」
「はあ?」
素っ頓狂な声を上げてしまう。
「何で?」
とも言っていた。
「だって、お義兄さんの婚約者というか……そういうお立場ならば私の家族にも紹介しておいた方がよろしいかと」
「いや……それは、だって……いやいやいや」
取り乱しながら正座を崩して胡坐をかくつもりが、足が痺れていたので身体は見事にころんと背後に転げてしまう。
「あっ、大丈夫ですか?」
と腰を上げた百香も、にわかに身体が横倒しになってしまう。逸生以上に足が痺れていたらしい。
「ご、ごめんなさい……足が痺れて……」
横に倒れてもはや足を宙に浮かせた状態で笑い出す百香である。
「正座なんて、めったにしないから……」
逸生も寝転んだままげらげら笑っているのだった。
寝転んで見上げると書棚には見覚えのない本が並んでいる。
植物図鑑や『趣味の園芸』といった雑誌。ブックエンドは、鉢植えを模した木彫りの彫刻である。
これが違和感の原因かと内心頷くと、書棚の隅には『LGBTQ完全理解』といった類 の本も揃っているのだった。
一階に父の書斎や夫婦の部屋はあるのだが、そもそも母には部屋がない。
そうとも。ここを母の書斎に提供すべきである。もっと早くに気づけばよかった。
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